第3話

 滞在2日目。カミルの目覚めは決して心地よい気分ではなかった。

 窓辺から差し込まれるのが朝日ではなく、陰気な湿った空気であること。

 それに、目覚ましの音がわずかな悲鳴であったからだ。

 しかし、いくら爽快とは離れた目覚めであろうと、悲鳴を聞けば身体が動いてしまう。カミルの職業人として叩き込まれた性質と、未だその性質を失わない正義感が彼にすぐさま着替えを済ませ、悲鳴の方へ走らせた。


「あら、“冒険者”様。朝早くからお急ぎのようで。いかがなさいましたか?」 


 道中、前から歩くデネブルと出会った。

 彼女は相変わらず、目元は前髪で隠し、首元にはスカーフを巻いていたが、昨日酒場で見たドレスとは装いの違う、簡単なワンピース一枚の恰好。仕事前、といったところだろうか。それでも、彼女のスタイルは隠さず、むしろシルエットを浮き彫りにしている。衣服どうので彼女の美しさは損なわれない。こんな女と一緒に歩いていればいやに目立ってしまう。


 だが、カミルは助かった、と内心叫んだ。

確かに聞こえた、とは言え、建物を反響してカミルの鼓膜を揺らした程度の悲鳴。土地勘のない彼はどこをどう探してよいか、行き詰まりかけていたからだ。


「あ、ああ。少し悲鳴が聞こえてな。心配になって、宿を飛び出してきたは良いものの、出所がわからなくて困っていたところだ」

 言外に含ませた「わかっていたら教えてほしい」という要望をデネブルは汲み取ってくれた。


「でしたら、こちらですわ。どうぞ、開店までお時間もありますので、ご案内いたします」

 言って、デネブルは案内を始めた。するする、と路地を抜けていく。建物と建物の間──路地裏も抜けているから、最短距離を使ってくれているのだろう。


 やがて辿り着いたのは、一件の宿屋。カミルの泊っている宿屋とは違い、富裕層向けのレンガ造りだ。


 宿屋の前にできた人だかりを見て、カミルは歯噛みした。

 遅かった。すでに街の衛兵も中に入っている。これでは、【冒険者】であるカミルに立ち入る余地はない。


 そして、今まさに、衛兵が担架に大人一人分の大きさの袋を載せて出てきた。

 死体だとはすぐにわかった。


「あい、すみません。衛兵さん」

 どうするか、と途方に暮れかけていたカミルをよそにデネブルは担架を運ぶ衛兵のなか、先導するまとめ役らしき衛兵に声をかけていた。


「これはデネブル嬢! いかがなさいましたでしょうか⁉」

 若い衛兵が声を上擦らせて応じる。どうやら、デネブルはこの街で名が知れているらしい。

 鼻が膨らむのを抑えきれぬ衛兵に、デネブルは微笑みかける。


「あちらの冒険者様のお知り合いが、どうやらこの宿にお泊りのようでして。そして、この騒ぎでしょう? ご心配な様子ですので、そのご遺体、確認させていただけませんこと?」

「は、いや、しかし」

 若いが、しっかりした衛兵だ。デネブルの助け舟が渡ってほしいと願いつつも、カミルは目の前の美貌と己の職務に揺れる衛兵に感心する。


「どうか、この通り。これも人助けだと思って」

 衛兵の両手を握り、眼前に持ち上げると頭を下げた。


「顔を確認するだけですよ……」

 衛兵はついに折れて、部下に担架を下ろさせ、さらに人垣を死体から遠ざけるように指示をした。


「感謝する」

「私はなにも。御礼ならあちらの衛兵さんにお願いいたします」

「そうだな」

 と、カミルが衛兵に顔を向けると、「小官はなにも」とバツが悪そうに背けられた。こそっと上着のポケットに手を突っ込んだところから、デネブルに両手と一緒に金銭も握らせられたのだろう。

 決め手が賄賂だったのかは疑問ではあるが。


 カミルは死体袋の紐を解き、顔を露わにする。

 小太りのほほ肉がたるんだ初老の男だ。

 乾いた血が口元と首元を真っ赤に染め上げている。


「死後の膠着状態から推測するに、死亡したのはちょうど昨日の雨が止んだ頃だろうな」

「死因は?」

「ナイフで頸動脈かき切っている」

「自死でございますか?」

「驚かないのだな」

「この街では珍しいことではございませんので」

「そうなのか」と衛兵を見やる。

「旅人にナイフや縄を持たせない法律を作るべきだ。簡単に死んでしまえる」

 独り言を呟いていてくれた。

 カミルも独り言にはわざわざ答えない。

 さらに死体袋の紐を解き、全身露わにする。


「いや、自死ではなさそうだ」

 衛兵が眉根を寄せるが、何も言わない。

 代わりに、デネブルが問う。


「それはどうして?」

「見ろ」

カミルは死体の両手と首を指さす。両手は首元以上に血に染まり、真っ赤な手袋をつけているようだ。


「これは傷口を抑えた痕だろう」

「こうでございますか?」

 デネブルが自らの首に指をかけて、スカーフの上から首を絞めるような動作を実践する。


「そうだ。──危険だから、それ以上はしなくていい」

 白い細指で自らの首を絞める。たった、それだけの真似事が官能的な彫刻のようだった。日も登りきらぬ──空を覆う雲のせいで太陽は見えないが──うちに曝す光景ではない。すぐにやめさせる。


「通常であれば気管を潰して、呼吸を妨げるか、吹き零れる血を抑えるためならば、躊躇はしないはずだ。止血の方法が思いつかぬのなら、なおさらに。その証左に、首筋には血の向こう側に鬱血が見えている」

「ほう。自ら死のうとしているのに流れる血を止めようとするのは、仰る通り可笑しな話でございますね」

 カミルは頷く。理解は得られたようだ。


「ゆえに、これは他殺だ。となると、いったい誰がこの男を」

 まずは目撃者から探るべきだろう。ここからの計画を築き始めるカミルの思考を、衛兵の咳払いが引き戻す。


「そろそろいいでしょうか」

「ああ、そうだな。すまない、邪魔をした」

 遺体にこれ以上用はない。衣服のポケットに捜査に役立ちそうなものが入っていれば話は別だが、この場で望みすぎるのも目立ちすぎてしまう。


 リーダー格の衛兵が部下に命じて、遺体の搬送を再開させる。

 夜にでもなれば、詰め所にいって遺留品ということで何かないか探ろう。どうせここでは、あの遺体になった男と知人ということになっているのだ。


 次の課題は彼が泊まっていた客室にどう入り込むかだ。


 だが、この課題もデネブルがあっさりと解決してしまう。

 彼女はまだ残る若い衛兵に声をかける。


「お部屋に立ち入らせていただいてよろしくて?」


 当然、衛兵は渋い顔を浮かべる。遺体の顔を見るだけならまだしも、状況がそのままの現場に部外者を立ち入らせるなど、まともな職業人であれば許しはしない。

 この反応もデネブルにはわかりきっていたのだろう。わずかな間。まともな神経を持ち合わせた者が一度断られた無理な願いを、再度陳情するために必要な逡巡の沈黙の後に、たたみかける。


「ええ、無理は承知。しかし、亡くなられた方はかつて、身寄りのない“冒険者”様を引き取り親代わりに育て上げた方だとお伺いしております。昨晩は偶然、私の店で再開を果たしましたがそれも夜も更けたころ。次の日、つまりは今日、久しぶりに父子おやこ2人でお酒を呑み交わそうと約束しておられました。ああ、しかし、現実は無情。死者に会える街で。それもこの街初めての雨をお済になってから。なんと、恐ろしき殺人鬼によりお父上は天に召されてしまって……」

 よくもまあ、こんなにつらつら虚言を吐き出せるものだ。あの欲望と脂肪で肥え太った男と父子関係を結ばされるのは癪だが、致し方ない。

 それに、この女にかかれば即興の虚言も重ねるほどに吟じられた唄の如く耳へ入り込む。思わず聞き入ってしまいそうであるし、耳の良い通行人は何人か足を止めて、芸事でも鑑賞するように耳を傾けている。


「デネブル嬢が仰ることはよくわかりました。しかし、せめて“冒険者”の方とお父上との間柄を証明する何かがございませんと。小官いたしまして、おいそれと認めるわけにはいかず」

 ここで、衛兵とデネブルがカミルの方を向く。衛兵は彼女の手前、露骨なほどではないが疑いの目をもって。デネブルは前髪に目は隠れて真意は読めないが、人の好い微笑みを、口角に浮かべている。

 前者は尤もだが、後者は明らかにカミルがどのように返答するか楽しむように待っている。

 すまないが、お前みたく面白い虚言は吐けない。心にもない謝罪を胸に留めながら、カミルが口を開く。


「父の名はドワイト・ベレー。右肩に裂傷の痕があるはずだ。ただし、宿帳には偽名を記しているかもしれないがな」

 すぐさま遺体から上着は剝ぎ取られ、カミルの言う通り包丁ほどの刃物で貫かれたのであろう傷跡が見つかった。

 さらに、財布の内側からはドワイトの名を示す刺繍が確認された。

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