第3話 潮が舞い君が舞い
亜子ちゃんの病状が悪化した。彼女は入院する事になった。あたしは先生にお願いして課題などを送り届ける係になった。リモートで授業を受けられる時代。授業を落とす事もない。
気分が悪くなるほどの清潔感が溢れる個室の病室。呼吸器を付けた彼女がそこにいた。
「亜子ちゃん」
「よお……クラゲ」
今日の分のプリントを近くの台に置くと。私は椅子に座った。
「今日ね、担任の先生が遅刻してさ」
「マジかよヤマセンが?」
「うん、そんでみんなの前で土下座したの」
「あははっ! 変なとこで律義だよなあの人」
いつもみたいな会話、だけど私は目の前のひび割れて壊れかけの硝子細工に触れる事も出来なかった。
「亜子ちゃん、苦しくない?」
「ん? ああ、これな、呼吸する力が弱ってるから使ってるだけだから」
「うん……」
そうじゃない。今、あなたはこんな状況で苦しくないのか。クラスメイトにも会えない。学校で青春を謳歌することさえ許されなくなった。そんな事実に絶望してないのか。そう聞きたくても、そんな残酷な事、聞けるはずがない。
「アタシより元気なさそうだぞクラゲ」
「そんなことないもん」
「もんて、高校生だろ」
「いいじゃん別に」
その後もなんでもない話を繰り返した。
彼女が少しでも笑っていられるように。
でもそれはきっと独り善がりだ。
どうしようもなく終わっている。
「じゃあそろそろ面会時間終わるから」
「おう、またな」
「うん、また」
また会える。会えるよね。不安になる。病院から家に帰る。両親に迎えられ家で夕食を食べる。その間も彼女の事を考えていた。ふと両親に相談してみた。
「あたし、好きな女の子がいるんだ」
「あらま」
「ふむ」
特段、驚かれなかった。理解のある両親で助かった。
「でもその子、体が弱くて、今、入院してて、もうすぐ……死んじゃうかもしなくで」
最後の方は泣きそうになってしまった。いやほとんど泣いていた。
お母さんがそっと私を抱きしめて撫でてくれる。
お父さんは腕組みしながら。
「それで、お前はどうしたいんだ」
「亜子ちゃんの思い出になりたい。天国でも幸せだったって思えるような、良い思い出に」
「じゃあやる事は決まりだな」
するとお父さんは自分の書斎へと向かって行った。
お母さんは私を抱きしめたまま。
「私はあなたが優しい子に育ってくれて嬉しい。きっと別れが来てしまったら、あなたも壊れてしまうかもれない。でもその時は、私達がいるからね」
その言葉に安堵と申し訳なさを感じてしまった。
お父さんが書斎から帰って来る。大荷物を抱えて。
「ミュージカルをやるぞ」
「えっ?」
そういやお父さんって劇作家だった。
お母さんは元舞台女優。
「主演はお前だ月果。病院への許可は俺が取っておく」
「ちょ」
「久々だわ、腕が鳴るわね」
脇役としてお母さんも参加する気満々らしい。
こうして狭い病室でミュージカルがやる事が決まった。
決行するのはクリスマスの日。
台本を書いたのはお父さんだ。
タイトルは『クラゲは一人じゃ泳げない』内容とは関係ないらしい。
演目の内容はこうだ。
病弱な少女の下にサンタの女性が現れる。
サンタの女性は彼女にとびきりの「思い出」をプレゼントする。
お父さんは今なお所属する劇団のメンバーに声をかけ、演出を手伝ってもらう。
お母さんと一緒に練習の日々、合唱とミュージカルの歌い方は違うもので、とても緊張した。
リハーサルを繰り返し、クリスマス当日が訪れる。
亜子ちゃんには事前にミュージカルをやる事は伝えてある。流石にサプライズは無理だった。
最初それを話した時は。
「ミュージカル!? お、おお」
と若干引かれた。
決行する時間が始まる。
亜子ちゃんの病室である2ーAにはもう黒子の皆さんがスタンバイしている。
彼女も息を飲んであたしたちを待っている。
スライドドアが開き、音楽が鳴る。
「ああ、わたしはもう長くないのでしょうか神様、せっかくのクリスマスだというのに息が苦しいわ」
そこにお母さんもといサンタの女性が現れる。
「心配いらないよ、さあ、ソリに乗って、君を連れに来たんだ」
「サンタ様!? 連れにってどこへ?」
「ここじゃないどこか、そう、思い出の地へと」
そこで音楽が転調する。ミュージカルの肝である歌唱タイムだ。
「クリスマス、思い出のクリスマス♪ 生まれて初めて空を飛んでいる♪」
「そうさ♪ そうさ♪ これは思い出のクリスマス♪ 君を連れていく最高のプレゼントへ♪」
ライトアップが消え場面転換、黒子さんが舞台を組み換える。
ミニプラネタリウムによって病室に星空が浮かびあがる。
「わぁ……!」
亜子ちゃんの歓声が聞こえる。上手く行ってる。
私は必死にミュージカルを続けた。
場面はラストシーンに差し掛かる。
「ありがとうサンタさん。最高の思い出でした」
「まだ、あなたには為すべきことがあるでしょう、月果」
急に本名を呼ばれる。
でもここまで台本通り。
こっからアドリブ一発勝負。
「亜子ちゃん、あたしはあなたの事が好きです」
「――!」
顔を赤くする少女。
私は喉でキャロルを奏でた。
彼女に捧ぐクリスマスソング。
歌い終わる頃には、亜子ちゃんが涙を流していた。
「ズルいよこんなん」
「ごめん」
「謝るなよ……嬉しかった」
「告白の答え、聞かせてくれる?」
照れくさそうにしながら、彼女は言った。
「会った時から、私もクラゲの事が好きだった。一目惚れってやつだと思う」
なんだ。
私達、両想いだったんだ。
もっと早く気づけばよかったな。
いつの間にか黒子さんたちとお母さんは退場しており。
病室にはあたしたちだけになっていた。
「でもいいの、アタシもうデートも行けないよ」
「いいよ」
「ずっと病室でしか会えないかもしないよ」
「いいよ」
「絶対、クラゲより先に死んじゃうよ」
「それでも」
それでも。
「私はあなたの事が好き。心の底から愛してるんだ」
「……ああ、ちくしょう、嬉しいなぁ……」
彼女の頬を涙が伝う。
私はそっと亜子ちゃんを抱きしめた。
抱き返す腕の力は弱々しくて。
でも確かに彼女は私の腕の中で生きている。
今はただ、その事実が嬉しかった。
クラゲが海流が無ければ泳げないように。
宇美野月果には流亜子がいなければいけないのだ。
「あ、雪だ」
窓の外、夕景に雪が降っていた。
ホワイトクリスマス。
きっとそれが神様からのプレゼントだと思って。
不条理と幸せを不平等に与える神様に。
今だけは彼女と出会わせてくれた事を感謝して。
「なあクラゲ」
「なに亜子ちゃん」
「アタシ、こんな体でも幸せだよ」
「あたしも亜子ちゃんと出会えて幸せだよ」
彼女が呼吸器を外す。その意味は分かっていた。
私はそっと唇を重ねると亜子ちゃんの頭を撫でて。
「またね」
「うん、約束だ」
小指を絡めてお別れした。
それからもあたしはずっと彼女にお見舞いに行き続けた。
いずれ来る別れの日まで、ずっと、ずっと――
完
クラゲは一人じゃ泳げない 亜未田久志 @abky-6102
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