第3話 覚醒

 姫咲レイネはホームルームが終わり教室の教壇にあるホロディスプレイが消えると同時にカバンを背負い駆け出した。教室を出て階段を飛び降り昇降口に到着する。彼女がなぜそれほど急いでいるのか、それは虫の知らせとでも言えば良いのだろうか、そんな予感めいたものを感じたからだった。


「レイネー、そんなに急いでどうしたの? 今日のダンジョンはどうするのー?」


 昇降口で上履きを脱ぎローファーに履き替えようとした所でレイネは声をかけられた。


「あっ、ごめん、今日は休むってみんなに言っておいて、急いで家に帰らなきゃいけない気がしてるの」


「家ってリンネさんに何かがあったってこと?」


「わからない、わからないけど……」


「なら仕方ないね、レイネはお兄ちゃん大好きっ娘だからねー」


「そ、そんなんじゃ、お兄ちゃんのことなんて」


 少し怒ったふりをするが全く出来ていない、そんな可愛らしいレイネを見て焔坂ほむらざかアカリは苦笑を浮かべている。


「ほらほら早く行きな、先生と他のみんなには体調が悪くて帰ったってボクから言っておいてあげるから」


「お願いするね、ありがとうアカリ」


 他の生徒が帰宅するため昇降口に向かってくるざわめきが聞こえて来たのを感じ、レイネは急いでローファーを履きアカリに後ろ向きで手を降り駆け出した。あっという間もないくらいの速度で校門を抜けて歩道を駆けていく。


 レイネは走りながらμαミーアを起動し、兄のリンネに通話を試みるが通信不能と返ってきた。普段なら2,3コールですぐに繋がるのだが、通信不能といった反応は初めてのことだった。


 ポニーテイルにしている濡烏ぬれがらすのような黒髪は上下にはね、全く揺れることのない慎ましやかな胸部は走るのに全くじゃまにならない。そんな彼女の走る速度は時速50kmは出ているのではないだろうか。


 現在15歳のレイネは覚醒者となってから既に三年経過している。覚醒者となって以降は学校の授業以外でもダンジョンに潜り、力をつけてきた。その結果、時速50kmで数時間走り続けたとしても全く疲れないほどの成長をもたらしている。


 普段ならこのような速度で歩道を走っていれば誰かに見咎められるものなのだが、この日に限っては人通りもなく車の一台も通っていない。レイネは若干そのことを訝しみながらも家へ向かう。


 そして走ること数分、普段なら一時間近くかけて歩く距離をひた走り目的地である家が見えるところまでたどり着いた。レイネの家は高級住宅街の中でも大きい部類の敷地の中にある。


 門の横にある読み取り装置にカードキーをかざし、開き始めた門に体を滑り込ませ家へ向かう。人の通過を感知した門は自動で閉まり始める。2階建ての屋敷とも言えなくはない家の前で止まったレイネは自然と二階の兄の部屋へ視線を向け目をすがめた。


 レイネの視線の先にはカーテン越しにもかかわらず眩しい光が兄であるリンネの部屋の窓から漏れ出ていた。それを確認したレイネは急ぎカードキーを読み取り装置にかざし鍵を開け家の中へ駆け込んだ。


 ローファーを脱ぎ捨てスリッパを履くことなく一気に階段を駆け上がる。背後では玄関の扉が閉まり自動でロックされる。


 階段を駆け上がった勢いのままリンネの部屋の扉を開ける。部屋に駆け込んだレイネの眼にはゆっくりと明滅を繰り返している光の繭が見て取れた。


「覚醒……よね?」


 コクーン以外の覚醒を見たことのないレイネでも、目の前の繭が覚醒によるものだというのはわかった。レイネの目からは涙が溢れ出し頬を濡らしている。ずっと兄が待ち望んでいた覚醒を迎えることが出来たのが嬉しいのだろう。


 心音のように明滅を繰り返している繭に、レイネは恐る恐る手を触れてみる。ほんのりと兄のぬくもりが伝わってくるような気がした。そのまま繭に顔近づけて額を繭にくっつけた。


「良かったねお兄ちゃん」


 そう呟いて繭から離れたレイネは兄であるリンネのベッドに一度座りそのまま倒れ込む。


(そうだおじさんに連絡しておかないとね)


「よいしょっと」


 ベッドから起き上がりμαミーアを使い通話のコールをする。


『レイネかどうした?』


 三コールで繋がった。コール先はこの家の所有者であり、リンネとレイネの身元引受人である霧影きりかげゲンタだ。


『おじさん急にごめんね、今ねお兄ちゃんが覚醒中みたいなの、この後どうしたら良いのか教えてほしいんだけど』


『リンネが? 済まないが視界をリンクして見せてもらえるか』


『うん、少し待ってね』


 レイネはμαミーアを起動し視線を数度動かし視界リンクの設定を済ませ繭に顔を向ける。


『どう? 見えてる?』


『おう、ありがとうな、ちゃんと見えてる。ふむ、その明滅具合なら覚醒が完了するのは明日の昼頃といったところかな』


『えっ、おじさんって見ただけで覚醒の時間とかわかるの?』


『これでも覚醒者協会の役員だからな。まあそういうわけだから、今のところレイネにできることはないな、リンネが出てきた時に困らないように衣服の用意と風呂でも沸かしておいてやれば良い。と言っても明日の昼頃だからその時でいいだろう』


『わかった、ありがとう』


『それと学校には俺の方から明日は家の都合で休むと連絡しておいてやるから、リンネがその繭から出てきたら協会まで連れてくるように。覚醒者登録をしないといけないからな』


『わかった、学校の件はお願いね』


『それじゃあリンネのことはこちらの方でも書類関係は用意しておくからこっちに来る前に一度連絡をよこしてくれ』


『うんそうする』


『気にすんな、お前たち二人は大事な甥っ子と姪っ子だからな。それじゃあ切るぞ』


『うん』


 通信が切れると同時にμαが待機状態に移行する。レイネはもう一度だけ明滅を繰り返している繭に手を触れたあと部屋を出ていく。明日に備えて早めにお風呂とご飯を済ませて寝るつもりだ。


 レイネは自分の部屋に戻り部屋着に着替え、替えの下着を持って階下に降りる。お風呂と夕飯を済ませたレイネは、視界内の時計で時間を確認し、焔坂ほむらざかアカリにコールを送る。


 コールにでたアカリに根掘り葉掘り聞かれたが、レイネは無難に返答しつつ兄が覚醒の繭に包まれていることや、明日学校を休むこと知らせ、その後は夜中まで会話を楽しんだ。


『リンネさん覚醒できてよかったね』


『うん、ありがとうアカリ』


『それじゃあまた学校でね、レイネおやすみ』


『アカリもおやすみ』


 通信が切れるとレイネはもう一度兄の部屋へ移動して繭を確認する。最初に見たときよりも光の明滅が少しゆっくりになっている。


「おやすみお兄ちゃん」


 レイネは繭に唇を寄せキスをした後部屋を出ていく。部屋の中には明滅している繭だけが残されていた。



 翌日の朝からレイネは兄であるリンネの部屋で待機している。いつ覚醒が終わり出てきても良いように、着替えなども準備万端だ。レイネはリンネのベッドに寝転び枕に顔を埋め兄の残り香を嗅いだりしながら時間を潰している。


「ふへへへ、お兄ちゃんのにおいだー」


 兄であるリンネがいる前では絶対にすることのない、ふにゃっとした表情を浮かべている。あの兄にしてこの妹ありといったところだろうか。


 そしてレイネの視界内の時計が12時を指し示そうとした時それは起こった。ゆっくりではあるが明滅を繰り返していた繭から光が消えた。そして繭が少しずつ光の粒子になり消えていく。


 レイネは兄の裸を脳裏に焼き付けようと目を見開き、ついでにμαを起動し録画を開始している。はぁはぁと鼻息を荒くしているのは乙女にあるまじき姿だが、彼女にとって兄の肉体はご褒美なのだから仕方がないのかもしれない。


 繭が光となって消えていき繭のあった場所には一人の人物が降り立った。レイネはその人の背中から一瞬純白の翼が羽ばたいたような幻視をみた。


「お兄ちゃん?」


「ん、んー、おうレイネか、どうしたそんな呆けた顔をして、可愛い顔が台無しだぜ?」


「えっと、お兄ちゃん? 本当にお兄ちゃんなんだよね?」


「何を言ってるんだ、どこからどう見てもお前の兄にしかみえな……」


 レイネの視線の先には男の姿をしたリンネの姿はなく、どこからどう見ても美少女が立っている。


「俺って誰? え? 何だこれ」


 全裸の美少女はその碧眼を右に左に動かし自らの身体を確認している、そこそこ引き締まっていたはずの胸板には今ではたわわに実った2つの果実があり、黒くて短かった髪は、腰元までまっすぐと伸びた銀色のサラサラストレートヘアとなっていた。


 そして美少女は恐る恐る自らの股間へ視線を向けるが、そこには見慣れていたはずの物が確認できなかった。


「な、なんじゃこりゃーーーー!」


 美少女となったリンネの叫び声が部屋に響き渡った。

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