第2話 覚醒の水晶

「お兄ちゃん!」


 少女はリンネの頭から剥がしたHMDをベッドの上へと放り投げる。


「うわっと、おう、マイシスターか、帰って来るにはまだ少し早くないか?」


 リンネは夢のような世界から突如として現実に引き戻されたため、焦点の合わない視界で声の方を見つつ目をしばたたかせる。


「えっ、あー、そ、そんなことないよ」


「ふむ、まあ良いか、ご飯にするか、お風呂なら少し待て洗ってあるから今からお湯はりをする」


 姫咲リンネの外見は、17歳となった今では12歳の頃に比べるとかなり様変わりしている。短髪に刈られた髪はそのままだが、身長は170cm近くまで伸びており、肌は病人のように白く日焼けのあとなども一切見られない。


 リンネはベッドから降り、お風呂のお湯はりのスイッチを押すために移動しようとするが、それを止めるように少女は彼の前に手に持っていた水晶を差し出した。


「そうじゃなくて、これ、これが手に入ったんだよ」


「ん? なんだそれ、は」


 リンネはμαミーアを起動して水晶を見つめる。そしてARによって表示された水晶の情報を見て言葉を止める。


「これは……本物か?」


 μαには水晶の名称が表示されている。それは五年前にリンネが覚醒に失敗して以降、幾度となく手に入れようとしていたものだ、だが様々な事情、主に金銭的な事情で諦めざるを得なかった。


・覚醒の水晶▼。


 リンネは確かめるように▼を目線で選択する。


 ▽覚醒の水晶。覚醒因子を持つ未覚醒者を覚醒させることができる水晶。覚醒因子を持たぬものや覚醒者が使用しても効果はない。


 μαにそう表示されていた事により、リンネの眼の前にある水晶が本物の覚醒の水晶だということがわかった。


「マイシスターよ、どこでこれを」


「今日ね、ダンジョンで見つけたんだよ。パーティーのみんなにお願いして譲ってもらったの」


「いや、そんな、譲ると言っても売れば最低でも10億はするだろ」


「そうだけどね、みんなお兄ちゃんのこと知っているからね、お金なんかよりお兄ちゃんに渡してあげてって言ってくれたんだよ」


「そう、なのか、みんなにお礼言わないとな」


 覚醒の水晶というものは先の説明の通り覚醒因子を持つものを覚醒者へと変える効果を持つものだ。現在人類のおよそ半数が覚醒因子を持つと言われている。覚醒因子を持つものは14歳を迎えると覚醒が起き始める。だがその覚醒は時も場所もそして覚醒にかかる時間までも規則性はなく突如として始まってしまう。


 そのためコクーンが開発されるまで、様々な覚醒による事故などが多発していた。電車の中で、飛行機の中で、そして車の運転中など所構わず突然覚醒が始まる。そのため一時は未覚醒者は覚醒が終わるまで外出禁止という処置が取られたりもした。


 そしてコクーンが開発され、それに合わせるように出生時、覚醒因子の有無が調べられるようになった。今では14歳になるまでに因子を持つものにコクーンを使い覚醒させる事により、突発的な覚醒による事故が起こることは解消されることになった。だがコクーンでの覚醒は全員がうまく覚醒できるものではなかった。リンネのように失敗する事例もしばしば起きている。


 そしてコクーンによる覚醒に失敗した者は自然覚醒が起きるまで外出の自粛を言い渡されることになる。なのでリンネがこの五年間、ニートのように家に引きこもりいかがわしいゲームばかりしていたとしても仕方がないことなのだ。


「ほらお兄ちゃん早く使って」


「本当に良いのか? これを売ったら10億だぞ」


「もう、いいって言ってるでしょ!」


 少女はリンネに覚醒の水晶を押し付けるように手渡した。慌てて水晶を受け取ったリンネは、もう一度確認するように少女へ視線を向ける。少女は早くしろというようにクイッと顎を動かす。


「あー、その、なんだ、マイシスターよ部屋から出てもらえないだろうか」


「どうして?」


「ほら、なんと言ったら良いか、服を脱がないといけないわけで」


「あっ!」


 顔を真っ赤に染めた少女は駆け足で部屋を出る。それを見送ったリンネは違和感を覚えつつも気のせいかと考えるのをやめて、水晶をベッドの上に置くと衣服を脱ぎ始める。


 実はコクーン使用時とは違い、自然覚醒や覚醒の水晶を使っての覚醒の場合は衣服を脱ぐ必要は無い。コクーンの場合はなるべくエラーを出さないために全裸になるのだが、いつ始まるのかわからない自然覚醒などの場合は衣服の有無は関係ないと言われている。


 ただし服を着たままの覚醒の場合は、覚醒後衣服などの所持品は消滅してしまい結局全裸として出てくることになるので別段リンネが全裸になったことはおかしいことではない。リンネ自信は少女を外へ促したことから、見られて興奮するような性癖を持っているわけではない。


 全裸となったリンネの肉体は、五年ものニート生活をしていたとは思えない程引き締まっていた。それもそのはず彼はいつ自然覚醒が起きても良いように自己鍛錬を欠かしていなかった。リンネとは違い覚醒を果たした妹が危険なダンジョンへ潜っている後ろめたさもあったのかもしれない。


 ちなみにリンネがやっていた鍛錬は数世紀前に作られたフィットネス系のVRゲームだったりする。一日一時間欠かさずゲームでの鍛錬をしていたわけだ。


 再び覚醒の水晶を手にとり、それを両手で握り込む。握り込んだ水晶からはトクントクンと心音のような鼓動が聞こえてくる。トクントクントクントクン、その音が彼の心臓の鼓動と重なり始める。


 トクントクントクン……トクン。水晶の鼓動とリンネの心臓の鼓動が完全に重なり合った時水晶から光が溢れた。溢れた光は、光る糸となりリンネの体を包み込み光の繭を形成した。


 その様子を少し開いている扉の隙間から見ていた少女は、部屋に入り光の繭のそばまで寄るとそれにそっと触れる。


「これから大変だと思うけど頑張ってね、ママ」


 額を繭に触れさせながらそう呟くように言った少女の姿が変わる。先程まで黒色だった髪は銀色へと変化する。繭から離れた碧色の眼をした少女は光の繭に背を向け歩き出す。その先にはいつの間にか、白く染まったアーチ状のゲートが現れていた。


 少女はゲートをくぐる直前にもう一度光の繭を見つめニコリと笑いかけた。そしてゲートに向き直るとそのまま歩みを進め、ゲートを潜っていく。少女がゲートの奥に消えると同時にゲートは消え去り、部屋には光の繭だけが残されていた。

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