第2話 前編-C アリス
「今から情報を共有する」
麻倉英司――俺は小隊の部下を前に話し始める。
着任の挨拶の後、モスクワ陥落の知らせが入ったことを受け、緊急で開かれた会議に俺は参加した。そこでは、敵の攻勢を考慮していくつかの激戦地からの戦略的撤退、本部への武器や人員の補給要請などの事項が決定された。
「……以上が司令との会話や会議で決定した内容だ」
部下たちへの話が終わる。彼らの顔を見ると、佐藤と新兵の1人・シエラは落ち着いた表情をしていたが、アリスとリオンは不安からか表情が固まっていた。
そんな中で佐藤は手を挙げて質問する。
「我々の部隊には具体的な命令はまだ何もない、ということでしょうか」
「そうだ。まだ具体的な命令はきていない。だが、いつどのような命令がきても対応できるよう準備に万全を尽くしてくれ」
まだ頭の整理がつかず、顔に焦りが見える新兵2人に向けて、俺は言葉を続ける。
「敵もモスクワ攻略でかなりの損失を出しているはずだ。先に話したとおり、司令も本部に補給を要請している。厳しい状況に立たされているが、完全に負けているわけではない。君たちはこれまでの訓練どおりに動ければ問題ない」
まるで自分に言い聞かせるように俺は言葉を紡いでいた。俺が話し終えると、隊員は揃って「はい!」と返事をする。アリスとリオンの顔からは、先ほどまでの焦燥感が少し鳴りを潜めていた。
_______
次の日の午前中、俺はアルテミスのシミュレーションに没頭していた。一度、実戦経験が積めたとはいえ、まだこの機体に慣れるために時間を要する。
特に難しいのは、この機体のエネルギー管理だ。AFはアダマントを動力源とするマナドライブからエネルギーを半永久的に供給されるが、一度にエネルギーを使いすぎると、前回のように枯渇してしまう。
「刀のエネルギー消費が思ったよりも高いな……」
そうつぶやきながら、コックピットのドリンクホルダーから水筒を取り出した。蓋を開けて水を一口飲むと、次のシミュレーションメニューを開いた。
訓練用のシミュレーションはこの機体の調整を担当したトマソン博士が作ってくれた。その内容は膨大で、赴任前の3日間をほぼ費やしても10分の1も終わらなかった。
画面には架空の敵機体が現れる。それを刀や前回は使用できなかった
10体ほどの敵を倒したところだろうか。操縦桿を握っていた右手が軽く痙攣し始める。左手に着けていた携帯端末を見ると正午を過ぎていた。かれこれ3時間近く訓練をしていたことになる。さらに、3体の敵を倒したところでプログラムは終わった。
「そろそろ食堂に行くか……」
そう独り言を言うと、わずかばかり残っていた水筒の水を飲み干す。背もたれに掛けていたタオルを首に巻き、汗を拭いながらコックピットのドアを開け飛び降りる。すると、丁度倉庫のドアが開くのが目に入った。
小隊の一員であるアリスが、セミロングの黒髪をゴムでポニーテールにまとめ、私の方へ歩いてきた。おそらく彼女は隣にある自分の愛機で、シミュレーションをしに来たのだろう。彼女の邪魔をしないようにと思ったが、よく考えてみると彼女とは顔合わせやブリーフィングでしか会話をしなかった。少しコミュニケーションをとることも、隊長の役割の一つだと割り切り、声をかけることにした。
「やあ、アリス」
彼女は大きな声で「隊長、お疲れ様です」と返事し、俺の方に急いで駆け寄ってきた。
「何かご用でしょうか?」
「いや、ただ少し世間話がしたくてね。調子はどうだい?」
アリスは一瞬目を泳がせてから「大丈夫です」とだけ答えた。アリスの反応を見て、彼女がまだ不安な様子であることに気づく。彼女を取り巻く状況を考慮すると、今のタイミングで内面に踏み込んでも効果は薄いと感じた。俺は「そうか……」とだけ返答し、会話の流れを変えることにする。
「確か、君は東欧出身だったね。ご両親はどうされているんだ?」
「両親はいろいろありまして……10年ほど前に亡くなりました」
これはマズいことを聞いたなと心の中で思ったが、よく考えるとご存命でも東欧がこの状況では良い答えなど返ってこなかっただろう。俺は「悪いことを聞いたな。すまない」とだけ答えて、言葉に詰まってしまった。適当な言葉を見つけられない自分自身を情けなく感じる。
部下に動揺を悟られないように、何とか言葉をひねり出そうと、彼女に時折視線を送りながら次の言葉を探した。だがそんなときに頭に浮かび上がったのは、見れば見るほど彼女は美しい女性だということだった。その漆黒の髪は真っ暗な夜空を彷彿とさせ、サファイアブルーの瞳は吸い込まれるような魅力を放っていた。
「どうして軍に入隊したんだ?」
最初に出た質問はそれだった。ハラスメントに抵触するのだろうか、とふと疑問に思ったが好奇心が勝った。
「そうですね……」と少し思案すると、彼女は言葉を続ける。
「両親が亡くなったとき、ある軍人の方に助けていただいたんです。なので、私も誰かを助けたくて軍人になりました」
「そうだったのか……」
確かに助けてくれた人に感謝して、その人と同じ職業に就くことはよくあることだ。俺は彼女の答えに納得した。
「その人は管理軍の所属だったのかい?」
「ええ」
「それなら、ここで会えるかもな」
彼女は少し困った顔をして、答える。
「実は救助されたとき、ショックが大きくてその方の名前を聞きそびれたんです。唯一覚えているのは、最後別れるときにピンクのガーベラをもらったことくらいで……」
「その人のことをただ覚えておけば良い。そうすればきっと会えるさ。そう信じよう」
彼女がその軍人に会えるよう祈りつつ、会話を終えようとした時だった。突然、大きな音が倉庫に響き渡る。驚きながら音源の方を見ると、佐藤が扉を勢いよく開けて入ってくる音だとわかった。彼は息せき切って報告する。
「隊長、司令がお呼びです!」
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