第1話 その名はアルテミス
第1話 前編 その名はアルテミス
『東欧戦線の状況ですが、武器解放戦線による大規模な攻勢に備え、管理軍はこちらロシアのモスクワ周辺に部隊を集結させています。先ほどから道路を人型兵器や戦車などの軍用車両が通過しております。解放戦線の人型兵器部隊は約30kmまで接近しており、市内にも砲撃音などが響いています。管理軍は今回の部隊補充で巻き返しを図る模様です』
つけっぱなしのテレビから聞こえるニュースの音で、俺は目を覚ました。ソファに雑な姿勢で寝ていたせいか、首や手足が痛む。窓から差し込むオレンジ色に染まった夕日が、部屋を柔らかな光で満たしている。何時間、眠っていたのだろうか。
散らかったテーブルから水の入ったボトルと精神安定剤の袋、携帯端末を手に取った。まず錠剤を2錠取り出すと口に放り込み、ボトルの口を開けて生ぬるくなった水と共にのどに奥に流し込んだ。
そして、端末の画面から正確な時刻を把握し、パスワードを入力して届いていたメールを確認した。1つは2日前に届いた東欧派遣命令の詳細。もう1つは数時間前に届いたかつての上官、草薙大佐からのものだ。
彼のメールを読むと、俺の安否を気遣い、都合の良い時間を尋ねていた。もう今日は遅いので、明日の朝一に、と返信を送ると、俺はソファから起き上がった。
まだ全身が痺れていて、急に起き上がったからか思考がぼんやりとしている。意識がはっきりするまで部屋を見回すが、床やテーブルに散らかるごみとつけっぱなしのテレビの画面しか目に入らない。
『続きまして、日本の自衛隊横須賀基地への武器解放戦線の攻撃から半年が経過したことを受け、現地にて慰霊行事が行われました。その際に行われた武器管理委員会代表のスピーチをご覧ください』
そこでテレビに映し出されたのは、俺の所属する武器管理委員会の代表・グレッグ・ウォーキンスだ。
『我々は半年前、悲劇的な出来事に見舞われました。武器解放戦線の卑劣な攻撃によって、日本を守る勇敢な兵士たちの命が多数奪われました……私は武器管理委員会代表として、卑劣な武器解放戦線に対し断固とした姿勢で臨むことを、改めてここで宣言します!』
白髪交じりの初老の男が、年齢を感じさせない覇気をもって声を張り上げた。この演説を聞いて素晴らしいと感じる人間がいるとすれば、そいつは戦場を知らない。俺はそんな冷めた感想しか持たなかった。スピーチの後、参加者に拍手で迎えられるこの男を一瞥しながら、俺はテレビの電源を切る。
武器管理委員会の強硬派出身であるこの男は、
部下の俺に至っては、新米ばかりの部隊を任され前線送りである。東欧戦線ではすでに部隊の平均損耗率が25%を超えているという。久しく戦場に足を踏み入れていない俺にとって、そんな前線で生き延びられる保証などない。
実質的には、死刑宣告のように感じられた。
_______
太陽が姿を見せない暗い朝、バスの揺れに身を委ねていた。目的地はお台場にある武器管理委員会本部だった。
武器管理委員会の本部がお台場に置かれることになった経緯は興味深いものだ。管理委員会の本部をどこに置くか検討された際、米国は軍需産業複合体の圧力により却下となった。そこで白羽の矢が立ったのが日本だ。復興が早く、島国で攻めにくい日本は本部設置に最適とされた。そして、本島ではなく埋立地に本部が置かれたのは管理軍と自衛隊の管轄地域を区別するためらしい。実に合理的だ。
草薙からの返信は深夜に届いた。そのメールには『明日の朝6時に21番倉庫で会おう』と書かれていた。用件については尋ねる機会を逸してしまったが、出征前の大事なタイミングで呼び出すのだからよっぽど重要な内容なのだろう。
事前に調べた結果、21番倉庫は基地の角に位置しており、入口から3kmほど離れていることがわかった。何もなければ早く来て軽い運動がてらに歩くのだが、あいにく今日はそんな気分ではなかった。車を借りる手続きが面倒だな、と考えていると、バスが基地に到着する。
降車した俺は基地のゲートをくぐると、まっすぐ装備課の建物に向かう。そして窓口に着き、置いてある端末で受付を済ませようとした時だった。後ろから鍵を持った手がにゅっと現れる。
「お探しのものはこれかな?」
その声に振り返ると、そこにはかつての上官である草薙大佐が微笑みながら立っていた。
「おはようございます。草薙大佐」
俺は敬礼をする。
「そういう堅苦しいのはいい」
彼は敬礼もせずに苦笑いをした。
草薙大佐は俺にとって父親代わりのような存在だった。ちょうど親世代と近い年齢だからかもしれない。管理軍に入ってからも様々な場面で助けられてきた。気さくで、公私ともに相談に乗ってくれる素晴らしい人だ。以前は年齢の割に若々しい黒髪だったが、失脚後はまるで力を吸い取られたように真っ白になっていた。
「よし、行くか」
そう言いながら草薙は、堂々とした足取りで建物の外へと歩き出した。私は彼に続いて歩く。建物を出ると、そこには草薙が借りたと思われるジープが駐車されていた。
「私が運転します。鍵をください」
右手を出しながらそう進言すると、草薙は手を振るだけだった。
「俺の運転テクニックを見ておけ」
「いえ。そんな訳には……」
日本人特有の遠慮合戦を2度、3度と繰り返したが、草薙が強引に運転席に乗り込んだことで決着がついた。俺は仕方なく助手席に収まる。
「遠慮しなくていいって言ってるのにお前ってやつは!」
そう言いながら、エンジンボタンを押す。ジープのエンジンが唸りを上げると、サイドブレーキがオートで外れた。それを確認すると草薙はシフトレバーをドライブに入れ、車をゆっくりと発進させる。年齢が60を超える草薙は、自信に満ちた表情でハンドルを握った。じっくりと話をしたいと考えているのか、スピードは緩やかだ。
「今日の要件は何でしょうか?」
「それは見てのお楽しみだ」
彼はにんまり笑いながら回答を拒否する。
「それより新しい部下たちはどうだ?……顔合わせの方はしたんだろ」
草薙はハンドルを握りながら尋ねてくる。俺は端末を操作し、隊員たちの資料を開く。
「何とも言えません。顔合わせも短時間でしたので……今回、部下は5人いますが、そのうち3人は新米です。一応、操縦技能は優秀とのことですが……どう見ても使い捨てにされているとしか思えません」
「だろうな」
3人の資料のページを行き来しながら、彼・彼女らの写真を眺める。最初のぺージの写真には黒髪の少女が映っていた。名はアリス。東欧の出身らしく肌は透き通った白い色をしている。次のページに映るのはリオンというイギリス出身の青年だった。白人系で黄金に輝く金髪が特徴だ。西欧人には珍しく、顔からは幼さが抜けきっていない。3枚目の写真は褐色肌に青みがかった黒髪の女性隊員シエラだった。隊唯一にアフリカ出身。リオンとは真逆に年齢に割に大人びて見える。
「まだこんなに若いのに……」
そんな俺もまもなく30歳といったところだが、ついそう呟いてしまう。写真に映る黒髪・糸目の日本人に目が留まる。
「佐藤大吾、彼だけ軍歴がある。自衛隊出身で最近
最近、ウォーキンスが自衛隊と癒着まがいの関係を築いているのを知っていた俺は質問をした。草薙も自衛隊出身で向こうに旧友も多い。
「俺も調べたんだがな。特に怪しい点はなかったよ」
彼は首を振りながら答えた。この佐藤という男の目的は何であろうか、と疑問が湧き上がったが、一旦は頭の片隅に追いやることにする。
「今回の任務はお前以外『アレクトール』を扱えるパイロットで構成されているが、この男は数日で完璧に乗りこなした。天才だよ。頼りになるかもしれん」
『アレクトール』は、強硬派が開発を進めていた次期主力量産機である。その特徴は可変機構を有し、速やかな戦地転換など様々な状況に対応できる点だ。今回の任務は、この新型機の実戦データ収集を名目としている。
「最後に整備兵の派遣が1人。ザック・へンダーソンです。彼とはよく知った仲だから助かります」
「これから向かう倉庫にザックも来ているぞ。あいつも今日、必要なメンツだ」
それを聞いて俺は意外に思ったが、草薙が見せたいものは新型の武器か何かだろうか。そんな考えを巡らせながら、21番倉庫に到着した。
「それじゃあ、行くか」と彼が車を降り、俺もそれに続いた。
倉庫の中に入ると、10mほどの白銀に輝くAF(アダマント・フレーム)が鎮座していた。これまで目にしたことのない、まったく新しいタイプのAFだった。四肢が曲線的なフォルムに対し、肩部や胴体は角ばっている。頭部はバイザーで、透けて奥のモノアイカメラが見えていた。整備中のためか武装は全て取り外されている。
機体の前で、先ほど話に出たザックと、白衣の眼鏡をかけた初老の女性が何やら話し合っている。「こいつは一体……」と私が尋ねると、草薙が答えた。
「先の大戦で使用されたワンオフ機だ。私がアイランドから取り寄せた。何とかギリギリ間に合って、一昨日の晩に届いた。今度の任務にこいつを持っていけ」
アイランドとは、管理委員会が所有するオセアニアのとある島だ。島には禁止兵器などを保管する倉庫や、武器の研究が行われている施設がある。警備は厳重で、現代版のアルカトラズのような場所だ。草薙は簡単に取り寄せたと言うが、手続きは複雑で実際には多くの苦労があったに違いない。
「先の大戦で使用されたということは、禁止兵器ではないんですか?」
「そのままではな。だから現在、条約による規制レベルまでデチューンしている。デチューン後も火力や耐久力は一般機のそれと比べて大きく上回るがな。具体的なマニュアルはこれだ」
そう言いながら草薙が自身の携帯端末をいじると、こちらの端末がピコンと音を立てメールの着信を伝える。すぐに中身を確認するとこの機体のマニュアルのファイルが届いている。そのファイル名に書かれていたのは……
「アル……テミス?」
「そう、それがこいつの名前だ。マニュアルをじっくり読んどけよ。それと後で簡単にアルテミスに関してレクチャーをお願いしている。おーい、ベッキー!」
草薙の声に応えるように、機体の近くでパソコン作業中の初老女性がこちらに向かって手を挙げ返事をする。ザックとの話はいったん区切りがついたようだ。
「あの白衣のレディーがレベッカ・トマソン博士だ。彼女が本機に関して世界で一番詳しい。マニュアルを読んだうえで不明点などがあったら彼女に聞くといい。ザックへの引継ぎも見たとおり進行中だ」
そこまで話すと、草薙が真剣な表情で俺に向き直る。
「確かに今回の戦争が起こった原因の一端は俺たち穏健派にあるかもしれない。だからと言ってお前が自分を責める必要はないんだ。責任は俺たち上層部のものだからな。お前のおかげで解決した事件はたくさんある。バルベルデの内紛や『青年自由連合』のテロ、お前がいなければもっと悲惨な事態になっていた。俺はそう思う」
彼の口調には一層の重みが感じられ、俺は自然と彼の言葉に集中していた。
「だから生きて帰ってきてくれ。必ずだ。お前にしてあげられるのはこれくらいだが、頼む」
草薙の必死な表情が、強く訴えかけてくる。彼の願いを受け止めつつも、俺はつい視線を逸らしてしまう。いまだに東欧任務の不安が脳裏をちらついていたからだ。だが、彼にここまで無理をさせたのだ。その期待に応えることが自分に課せられた責務のように俺は感じた。だからこそ俺は一言、「わかりました」と返答した。
_______
それから3日が経ち、いよいよ出発の日が訪れた。草薙も見送りに駆けつけてくれたが、時間が限られていたためゆっくり会話することはできなかった。ただ出征の挨拶をすると、大佐からは「帰ってきたらうまい飯を奢ってやる。気をつけてな」とだけ言葉をかけられた。
輸送機には、1機ずつ機体がそれぞれ積載され、隊員たちは自分の機体と共に分乗することになっていた。
輸送機に乗り込むと、俺は強烈な眠気に襲われる。ここ3日間、寝る暇を惜しんで機体のマニュアルを読み込み、シミュレーションを繰り返したため、まともに睡眠を取れていなかった。それが無理をして『アルテミス』を持ってきてくれた草薙大佐への恩返しになると信じて。
同じ輸送機には整備員のザックも同乗しているが、彼と今さら話すこともない。
腕を組んで座っているうちに、いつの間にか俺は眠りに落ちていた。
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