第12話 狂人と貧乳
翌日。男子寮を出た綾乃は、朝日を浴びながら大きく背を伸ばした。
「く、うぅ……」
そうして眠目を擦りながら、あくびを漏らす。
(寮母さんへの説明が手間取ったからなぁ)
肩を落とし、綾乃は昨夜の喧騒を思い馳せた。
マリアとの食事を終えた後、綾乃は特に寄り道をすることなく男子寮へと帰った。
だがそんな綾乃を待っていたのは、口をへの字に曲げた寮母の姿。寮母にしては若干若く感じられる見た目だが、中身は『厳しい』の一言であった。
『ここは男子寮です! 女の子は向こうの女子寮を利用してください!』
『いや、だから僕は男で――』
『じゃあその格好は何ですか!』
『これには深いわけが――』
『問答無用! 不純異性交遊を認めるわけにはいきません!』
『…………』
このように、全くと言っていいほど綾乃の言葉に耳を貸そうとしなかった。
その後自身の〈神武〉の副作用、そのための反作用リングの件も話したのだが、彼女は首を横に振るばかりで頑なに綾乃を通そうとしなかった。
そんな不毛なやり取りが四時間ほど続いた時。
『おーっす、何やってんだぁ
とうに夜も更け、そろそろ何をやっているか分からなくなってきた瞬間。
担任である唯我が真っ赤な顔で寮母の名を呼んだ。
ふらふらとおぼつかない足取りで、片手に一升瓶を握っている。完全に酔っ払いのそれであった。
『ゆ、唯我ちゃん! どうしてここに!?』
『いやな、ちょっち説明し忘れたことがあって……ん? なんだ綾乃もいるじゃねぇか! ってなんだその格好!? きゃわ――おめーマジで女でいろよ』
綾乃の背を乱暴に叩きながら、がははと男笑いを上げる唯我。
どうやら二人は顔見知りらしかった。泥酔した唯我を介抱するように、千夏が胸を貸す。
『お前ほんと胸ないな』
『――』
パッと手を離す千夏。完全に体重を預けていた唯我は、なすすべなく地面に顔を打った。
『いてーーーーーーー!!! 何すんだよ千夏っ! うわっ、酒がぁぁぁ……!』
『自業自得です』
『何だよぉ……ちょっとした冗談じゃんか……』
はぁと大きくため息を吐く千夏。
『それで、説明し忘れたことがあるって?』
『あ、あぁ……綾乃のことなんだが』
『この女の子のこと?』
『いやまぁ今は女なんだが。これは見てもらった方が早いな』
綾乃、と名を呼んだ唯我は小さな何かを投げ渡してきた。
『っと、ってこれは』
それを手に取った綾乃は目を丸くした。
『リングじゃないですか! どこでこれを……』
唯我は一つ頷き、もう一つ一枚の紙を渡してくる。
『来週にでも礼を言うんだぞ』
渡された紙に目を通していく。
そこには、生徒会長である皇鳥つばめからのメッセージが綴られていた。
それによると、どうやら師匠が学園にリングを届けたらしかった。
(師匠にしては気が利くな)
また追記で「いつでも遊びに来てええからな」という内容が記されていた。
師匠にしては気が利くではないかと感心していると、
『は、早く男になれ……』
急かすように唯我がそっぽを向き、呟いた。
だが、どうにも様子がおかしい。
『この前みたいに変なことは言わないんですね』
半眼で問うてみると、唯我は「くっ」と奥歯を噛みしめた。
『次あのような真似をしたら退職と理事長に言われたからな』
『理事長はまともそうで良かったです』
『あ、あの!』
のけ者にされていた千夏が頬を膨らませ声を上げた。
『あぁごめんなさい。ちゃんと見ていてくださいね』
『……え?』
綾乃は慣れた手つきで髪をポニーテールに結ぶ。その後、リングが淡い光を輝かせた。
と、同時。
ぽんっと気の抜けるような音が、静謐な夜の空間に響き渡った。
『けほっ、なんですかこれ』
『あぁ、私の綾乃ちゃんがぁ……』
片手で口を押え、もう一方の手で煙を払う千夏。
それを他所に、唯我は歪んだ表情で多量の涙を流していた。
『もう、私を馬鹿に――』
『ほら、男でしょう?』
『え?』
煙が晴れたところで、千夏は目を見開いた。
先ほどまでの女の子はどこへやら。眼前に現れたのは、一瞬前まではいなかった男子生徒の姿。
だが、
『へ、変態ッッッ!!!』
綾乃の姿を見たが刹那、千夏は目にもとまらぬスピードで拳を振り抜いた。
『え、えぇ!? 僕は変態じゃ――』
一拍おいて気付く。
……格好、そのままじゃね?
(……)
仕方ない。
『僕は変態じゃありません!』
『言い切ったし説得力も皆無だよ!?』
あまりに突然の出来事に困惑している千夏に、気だるそうに唯我が説明を挟んでくれた。
『……と、いうわけでコイツは少し変わった奴でな』
『僕自身が変人みたいな言い方やめてくれません?』
『その格好で否定できる度胸だけは褒めてやるよ』
『そ、そんなことが……』
二人を他所に、千夏は考え込むように顎に手を当てる。
そうして数分経った時。千夏は呟くように「分かりました」というと、諦めにも似た吐息を吐いた。
どうやら納得してくれたらしい。安堵に胸を撫でおろす綾乃だったが、
『でも条件があります』
『条件?』
はい、と頷く千夏。
『男子寮では絶対に女性化しないこと、これが飲めないなら退寮してもらいます』
『なんだ、全然かまいませんよ』
『分かりました。部屋の鍵は各ロッカーに置いてありますのでそこから。……ほら唯我ちゃん、そんなに酔っぱらってたらまたどやされるよ』
『うーん……ナイアガラの滝』
『もう唯我ちゃんったら。ナイアガラの滝はとっくになくなってるでしょ?』
『うん、だから『ない』なぁって』
すかすかと千夏の胸前を切る唯我の手。
(……寝るか)
鈍い音を背に、綾乃は自室へと足を向けた。
といった感じで今に至るわけだ。
(あの様子じゃあ三回ぐらい殴られてたよね……)
ここの寮母は怒らせると怖い。特に胸の話は厳禁。心のメモに綴っておこう。
そうしたところで、ポケットの端末が震えた。
「ん?」
慣れた手つきで端末をとる。見やると、画面にはマリアからのメール通知が映し出されていた。
……アドレス交換したっけ?
ふと思うも、怖いのであまり気にしないことにした。
『昨日はありがとう』
淡白な文であった。だが彼女が素直に礼を言う物珍しさの方が勝った。
(少し得した気分だ)
綾乃は微笑を浮かべると、マリアへの返信内容を思考し始めた。
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