第11話 少女が見据える未来。少女を追う過去。


 巨大な噴水公園を抜け、校門に差し掛かったところで、ふと綾乃は既視感を覚えた。


(この気配は)


そして、校門端で腕を組んでいるマリアを見つけると、綾乃は軽い調子で手を上げる。


「やあマリアさん。さっきぶりだね」

「……」


 声をかけるも返事がない。

 マリアはむすっとした表情のまま、半眼を綾乃に向けてくる。


「アンタいつまでその姿でいるつもり?」


 その姿とは、綾乃の少女姿を指しているのだろう。

 綾乃は後ろ髪を掻きながら苦笑を漏らす。


「いやあ、こればかりはリングがないとどうしようもなくて」

「スペアはないわけ?」

「あったらとっくに戻ってるよ」

「それもそうね」


 マリアは吐き捨てるように言って腕をほどく。そのまま壁から背を離すと、びしっと綾乃向かって指を指してきた。


「今からちょっと付き合いなさい」

「え」

「え、じゃない。アンタには聞きたいことが山ほどあるんだから」


 何が原因かは分からないが、どうやらすこぶる機嫌が悪い様子だ。

 だがしかし、さすがの綾乃も今日は疲れている。久しぶりの戦闘というのもあるが、力を解放したことが思ったより大きく響いている。


「あー、明日じゃダメかな?」

「駄目に決まってるじゃない」


 さも当然のように鼻を鳴らすマリア。

 綾乃はがくりと頭を落とした。


(うーん……参ったな)


 どうしたものかと思案を巡らす綾乃。

 ちらりとマリアを見やる。相も変わらず強気な表情を浮かべていて、他人を引き寄せない雰囲気を放っていた。自ら最強を名乗るだけあって、とても十二歳には見えない貫禄がある。

 ただ、何か若干の違和感を覚えた。


 噛み合っていないというか、無理をしているというか……。


 マリアは返事がないことに憤怒し、顔を一層歪ませた。


「し、従わないなら強制執行よ! 私に逆らうと怖いんだから!」


 強気に声を荒げるも、それはどこか焦燥を孕んだ声音に思えた。

 さらに綾乃が沈黙を続けていると、マリアは震える手で綾乃の胸ぐらを掴んできた。


「いいから来なさいッ! ほ、本当に痛い目に合うわよ!」

「…………わかったよ」


 このまま続けていると〈神武〉を出しかねない。

 仕方なく綾乃が了承すると、マリアは掴んでいた手をゆっくり離した。


「ふん、最初からそう言えばいいのよ」


 そっぽを向くマリア。


「はぁ。それで、どこに行くのさ」

「あそこよ」


 指さした方向を見やる。

 そこには、〈新F東京〉の中でも随一の高さを誇る高層ビルがあった。

 しばしの沈黙が流れる。


「えーっと……あそこというのは、あのめちゃくちゃ高いビルのことかな?」

「それ以外何があるってのよ」


 がくりと項垂れる。何というか、自分の常識が崩れ去る音が聞こえるようだった。

「もしかしてマリアさんって、かなりのお嬢様?」

「別に、親がちょっとお金持ちってだけよ」


 それ以上は語らなかった。マリアは「ほら早く」と言うと、綾乃を置いていくように歩き始めた。


(……仕方ないか)


 すでにボロボロの身体に鞭を打ちながら、綾乃は半目で歩を進めるのであった。





 三十分後。


「お待たせいたしました。こちら前菜のサーモンのカルパッチョでございます」

「ん」


 綾乃たちは、どうしてか高級レストランの一角で食事を摂っていた。

 煌びやかに装飾の施された内装に、心地よさを感じさせる生演奏のジャズ。周りにいるお客全員がこれまた高そうな正装を纏っており、これまでこういう経験をしたことがなかった綾乃にとっては、正直場違い感が凄まじかった。


「にしても、良く似合ってるじゃない。そのドレス」


 ふふといじわるな笑みを浮かべるマリア。


「素直に褒め言葉として受け取っておくよ」


 対する綾乃は、ガラスに映る自身のドレス姿に嘆息を吐いた。


 ……どうしてこんなことに。


 時は遡り十分前。例の高層ビルにたどり着いた綾乃たちは、エントランスでの手続きの後、何故か更衣室へと案内された。

『せっかく可愛い姿してるんだから』という理由で半ば無理やり押し込まれ、待機していたスタッフによって衣装だけでなくメイクや髪のセットも施されたのだ。


「仕方ないじゃない。さすがにぶかぶかの制服じゃ恰好つかないでしょ?」


 そういうマリアも淡い赤色のドレスを纏っており、薄く化粧も施していた。

 髪をまとめ上げてうなじが露出していることもあり、普段とは違う、若干大人びた印象を与えた。


「そりゃまぁそうだけど。というかこういうところのマナーとか全然知らないんだけど大丈夫なの?」

「別に普通にしてれば大丈夫よ」


 綺麗な所作で前菜を口にしていくマリア。

 その普通が分からないんだよなぁと思ったが、言うだけ無駄だろう。


「さて――」


 と、どうしたものかと思案している時。


「じゃあこれだけ美味しいモノご馳走してるんだから、いろいろ答えてもらうわよ」


 最初からそれが目的だったのか……!


「ちなみにマリアさんは、恩の押し売りって言葉を知ってるかい?」

「さぁ? 私の辞書にはない言葉ね」


 口元を拭い、胸を張って答えて見せるマリア。

 もう本日何度目かすら覚えていないが、綾乃はがくりと頭を落とした。


「んで、マリアさんは何が聞きたいのさ」

「その前に、その『マリアさん』っての禁止。普通に名前で呼びなさいよ」

「……マリアは何が聞きたいのさ」

「よろしい。じゃあ単刀直入に聞くわね」


 マリアは綾乃の目をじっと見据え、問う。


「――アンタ何者?」

「…………」


「朝からずっとアンタのこと見てたけど、とてもEクラスに入るような落ちこぼれには見えなかった。それにオリエンテーションのあの動き、いくら相手がSクラスでないとはいえ、あの人数を一人で全員倒した事実に変わりはないわ」

「まぁ、そうだね」


 マリアの問いに綾乃は飄々とした様子で答える。


「正直、アンタは私が思っている以上に強い。けれども『Eクラス』に所属している。なら、そこには何かしらの理由があるはずよね」


 マリアはふぅと吐息を吐くと、綾乃の胸を指さした。


「もう一回聞くわ。アンタは一体何者なの? そして――その中にあるもう一つの〈神武〉は一体何なの?」

「……」


 問われた綾乃は、静かに目を伏せる。

 そして、


「僕が何者かについては、『人間じゃない』とだけ答えておくよ」

「は……?」

「それでもう一つ。君も気付いてる通り、確かに僕はある〈神武〉を隠し持っている」


 でも、と綾乃は続ける。


「悪いけどそれを答えるには、ちょっとこれだけじゃ足りないかな」


 目線を豪華絢爛に並べられたコース料理へと向け、軽快に笑いを漏らした。


「……その答えで十分よ」


 その様子にマリアは一瞬ぽかんとするも、諦めにも似た息を吐き乗り出した身体を戻した。


「〈神武〉についてはまた聞くとして――それより『人間じゃない』ってどういうことよ」


 人間ではない。何も知らない状態で聞けば冗談と受け取るが、実際オリエンテーションの戦いを見ていたため一概に冗談と一蹴することはできなかった。


「そうだね。着せられた恩だけど、こんなに美味しいモノを食べたのは初めてだよ。そのお礼と言っちゃ変だけど、それについて少しだけ君に話すよ」


 持っていたナイフとフォークを皿に置き、綾乃は口を開く。


「僕はね、昔一回死んだんだ」

「な……っ」


 一瞬の狼狽。それと同時に、オリエンテーションの時も似たようなことを言っていたのを思い出した。あれは比喩でもなんでもなく、ただ一つの事実だったのだ。


「みんなを護るためには、もっと力が必要だった。僕の望んだ力を得るためには、人間のままじゃ駄目だったんだ」

「――」

「だから僕は、自分の魂をある〈神武〉に捧げた」


 乾いた笑みを漏らした綾乃は視線を自らの右手にやった。


「そうして出来上がったのが、今の僕――斬崎綾乃だよ」


 語り終わると、綾乃はパクパクとサーモンを口に入れ始めた。

 うまーいと朗らかに表情を明るくする綾乃とは対照的に、マリアの表情は暗かった。


「……正直に言うと、すごく驚いたわ」

「だろうね。あ! これは他言無用で頼むよ」

「わかってるわよ」


 それよりも、マリアはある部分に引っかかりを覚えていた。


「アンタの戦う理由は、人を護るためよね」

「うん」

「そのために、ひたすら力を求めてきたわけ?」

「うん」

「…………そう」


 どうしてだろうか。そんなわけないのに、綾乃と自分は似ている気がした。


「力のない理想に意味はないからね。たとえどんな手段を使おうとも、僕は人を護ってみせるよ」


 もっきゅもっきゅと両頬を膨らませながら綾乃は言う。


(どんな手段を使っても、か)


 それは恐らく、聞かないなら力でねじ伏せることを意味するのであろう。

 力は絶対的な正義。

 この世は力ある者が全て。

 力なき者に理想を語る資格はない。


(――)


 それは、マリアが逃げ出した「レイドランス家」の教えだった。

 ニンゲンシャカイには必ず格差が生まれる。カーストが発生する。その中にいる有象無象を蹴散らし、最上位に上り詰める。

 そうすることが大人として正しい生き方だと。戦士として、レイドランス家として誇り高い生き方なのだと教えられた。


 だが――そこにマリアの意思はなかった。


 教えの通り力を誇示しても、彼女が望む『関係』は得られない。それどころか、皆が皆マリアを遠ざけた。


「…………ねぇ綾乃」

「ん、なんだい」

「多分よ、多分だけどそのやり方は……」


 ――間違っている。


「い、いやなんでもないわ。忘れてちょうだい」


 とは、言えなかった。


「?」


 頭に疑問符を浮かべる綾乃だったが、すぐに食事に戻る。

 マリアは眼前の綾乃を見ながら、静かに拳を握りしめた。

 それを紡げば、その言葉を紡いでしまえば最後、自分の存在を否定してしまう。


 ……弱いのね、私は。


 身体はここにいても、心はあの大きく冷たい屋敷に捕らわれたまま。

 マリアは、未だ過去を捨てきれずにいた。

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