第2話 漆黒の美少女


「Eクラスは、ここか」


 地図アプリと照らし合わせた綾乃は、顔を見上げた状態で呟いた。


「ちょっと緊張してきたな……っとそうだ」


 こういう時は人を斬――手に書いて飲めばよいと師匠に教わったのを思い出す。

 試しに下手な棒人間を三人ほど書き、飲み込んで見せる。


(まったく効果がない)


 当然と言えば当然なのだろうが、緊張が収まる気配はなかった。


「……」


 さてどうしたものかと思った、その時。


「お前、何してんだ?」

「ん?」


 突如として訝しげな声が聞こえてきた。反射的に振り返ると、綾乃と似た身長の男子生徒が細眼を向けているではないか。

 いや、よく見ると、身長は綾乃より少し高めだ。綾乃が一七八センチなので、恐らく一八〇は超えているだろう。金髪のオールバックに、ナイフのように鋭い目。そして乱雑に気崩した制服。

 『不良』――という単語が真っ先に浮かんだ。


「いや、ちょっと緊張しちゃって」

「なんだ、ただの馬鹿か」


 がらりと教室に入っていく不良。


「……」


 この態度には、さすがの綾乃もムッとした。後を追うように、綾乃も教室に入る。

 最前の電子ボードから扇状に広がるように席が配置されている。近未来的な白亜の机が設置されており、後方に行くほど床の高さが上がっている。


「初対面で馬鹿はないだろう」


 一瞬気をとられた綾乃が、はっとして棘のある声を出す。


「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」


 素っ気ない様子で言い放ち、オールバックはどかりと適当な席に座る。


「いやそりゃあ馬鹿なのは認めるけど……」

 綾乃も続くように隣に座る。

「おい、なんで隣に座る」

「別に良いだろう?」

「……厄介なやつに絡んでしまった」


 オールバックは心底嫌そうにため息を吐いた。


「聞こえてるよ」

「聞こえるように言っているのだから当たり前だろ」

「なるほど、君はそういうやつか」


 飄々とした様子で、綾乃は刀を片隅に置いた。


「この時代に刀、サムライにでもなったつもりか?」


 訝しげな目を寄越してくるオールバックに、綾乃は軽く頷く。


「なったつもりというか、僕は実際にサムライだからね」

「…………」

「それよりさ、君の名前を教えてくれないか?」

「なぜだ」

「なぜって……ほら、友人の名前くらい知っとかないとね」


 綾乃の発言に、オールバックは苦い顔を浮かべた。


「いつ俺とお前が友達になった」

「きっかり三分前かな」

「……お前気持ち悪いぞ」

「はは、初めて言われたよ」


 ケラケラと笑う綾乃。

 オールバックは茶番を続ける体力がなかったのか、後ろ髪を掻き、静かに喉を震わせる。


悠斗ゆうとだ。遠峰とおみね悠斗」

「へぇ、格好は派手なのに名前は地味なんだね」

「ぶっ殺されてぇかテメェ……」


 胸ぐらを掴んできた悠斗に委細構わずメモをとる綾乃。数秒がるると喉を鳴らしていた悠斗であったが、周りの視線に気づき、ばつがわるそうに着席した。


「僕は斬崎綾乃、よろしくね」

「クソッ……入学初日からついてないぜ」

「いやぁ、僕という友人が出来たんだから幸運だろう?」

「今すぐにでも俺の〈銃〉でぶっ飛ばしたいな」


 がるると悠斗は牙を剥く。


「へぇ、悠斗の〈神武〉は銃なんだね」


 対する綾乃は気にすることなく、机に片肘をついた。


「正確には荷電粒子砲だが……ま、お前を消し炭にするぐらいの威力はあるな」

「それはどうかな」


 不敵な笑みを浮かべながら、綾乃が目を細める。

 ほぉ、と悠斗が声を漏らした。


「……友人に対する言葉にしては、随分と挑戦的じゃねぇか」

「あ、友人と認めてくれたんだね」


 がくりと悠斗が席から崩れ落ちる。


「大丈夫?」

「……お前といると疲れるよ」

「そりゃありがた――」


 と、その時。


『九時二十分より第二三五回入学式を執り行います。教室に待機している新入生の皆さんは、担任の指示に従い〈第三多目的ホール〉に集合してください』


 天上の埋め込みスピーカーが、無機質な機械音声を鳴らす。


「やっとか」


 オールバックが腕時計を見やりながら呟く。

 そうして数分後。賑わいが絶えないEクラスのドアが、乱暴に開け放たれた。


「おいーっす、みんないるかー?」


 びくりと肩を震わせるEクラス。その視線を集めるようにして入ってきた女性は、これまた厳つい目を配ってきた。


「なんだ? 今年の新入生は覇気がねぇな」


 高身長、橙色のショートカットに鋭い瞳。そして何よりも、学園支給の体操服に収まりきらない暴力的な胸が一同の目を引いた。

 片手に持った竹刀で肩を叩きながら、女性はどかりと椅子に座った。


「まぁいい、やる気がないのはお互い様だ」


 そう言うと、女性はおもむろに煙草を取り出し、火を点ける。

 美味そうに煙を吐いた後、女性は気だるげに端末を操作し始めた。

 数秒後、Eクラス全員の端末が軽快な音を鳴らした。


「ほいっと。よく聞けー、今お前らの端末に今週のスケジュール表を送ったから確認するように。見るの忘れてましたは通じねぇぞ」

「おっかねぇ……あれが俺たちの担任かよ」


 小さく声を漏らす悠斗。半ば綾乃に同意を求めた言葉だったのだが、返事がない。


「おいどうし――」

「すぴー、すぴー」

(ね、寝てやがる……ッ!?)

「っと、あぁ自己紹介が遅れたな。私の名前は七瀬ななせ唯我ゆいが、専門科目は〈魔導特科〉だ。面倒だが、今日からこのクラスの担任を務めることになった。よろしく頼む」


 唯我の鋭い視線が、綾乃を捉える。


「おい、おい起きろ。初日から問題を起こすつもりか……!」

「すぴー、タラバガニはカニじゃなくてヤドカリの仲間……すぴー」

「どうでもいいッ!」

「おい、そこ」


 びくりと悠斗が肩を震わせる。


「まさかとは思うが、寝ているわけじゃあないだろうな?」

「い、いえいえ! コイツは元からこんな感じで! 決して寝ているわけじゃないっす!」


 笑顔を張りつかせながら、机下で脇腹を小突く。


「ほぉ……なら確認するか」


 腰を上げ、唯我が竹刀を叩きながらやってくる。


(というか、なんで俺はコイツを庇っているんだ……)


 必死に起こそうとする自分が馬鹿らしくなり、悠斗はがくりと項垂れた。

 そして、ついに唯我が綾乃の前に至った。


「すぴー、すぴー」

「寝息を立てているようだが」

「……」


 もう知らん。悠斗は目を逸らした。


「おい、起きてるなら返事をして見せろ」

「すぴー、ウィッス」

「…………ほぉ」


 唯我のこめかみに青筋が走る。


「よほど命が惜しくないようだ……覚悟はできているんだろうな」


 そうして竹刀を振りかぶった――その瞬間。


「はっ! 殺気ッ!」


 パァンッ! と、綾乃は振り下ろされた一閃を両手で制して見せた。


「あ、おはようございます先生」

「おはよう少年」


 にこりと笑う両者。


「死ねッ!」

「おっと」


 間髪入れず放たれた唯我のパンチが、眼前の机を粉々に破壊した。


「あまり怒ると小じわが増えますよ」


 華麗な宙返りで回避した綾乃は、着地ざまに言った。


「ほぉ、髪だけでなく態度も舐め腐っているときたか。これは期待の新人だな」


 ぴくぴくと頬を吊り上げながら、唯我が獣のような声を零した。

 髪とは、綾乃のポニーテールのことを指しているのだろう。

 だが別に、綾乃も好きでこの髪型にしているわけではなかった。


「髪は少し事情があって」

「問答無用ッ! 斬り伏せてやるッ!」


 振るわれた横凪ぎを跳躍で避ける綾乃。その綺麗な身のこなしに、Eクラスの皆が「おぉ……」と感嘆の声を漏らした。


「え、あ、あはは。ちょっと照れちゃうな」


 不意の出来事に綾乃が照れ臭そうにしていると、


「そこだッ!」

「あ!」


 スパっと、唯我による緻密な一閃が、綾乃のポニーテールを斬り落とした。

 それと同時に、髪を縛っていたリングが床に落ちてしまう。


「ふん、男たるもの、女々しくあらずだ」


 振り返りざまに目を伏せ、全くと言った様子で嘆息を吐く唯我。


「……先生、先生ちょっと」


 だが数秒もせず、悠斗がその肩を軽く叩いた。


「ん? なんだ」

「何だというか、コイツ輝き始めたんですけど……」

「は?」


 素っ頓狂な声を上げた唯我が、疑念を孕んだ目を向ける。


 ――その時。


 ポンッという気が抜けそうな音と共に、光の中から何かが躍り出た。


「まったく、人の話はちゃんと聞いてくださいよ」

「「「「…………え?」」」」


 続けて現れた『人物』に、全員が目を剥いた。

 だがそれも無理からぬことではあった。


「お、お前……それ」


 何故なら、先ほどまで中肉中背の一般生徒だった少年が――


「お、女ぁ?」


 漆黒の長髪を舞わせる、可憐な少女に変わっていたからである。

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