蒼馬のフィアンセ

 朝、校門前に黒塗りのベンツが停車した。登校してきた生徒たちは何事かと見ていると、後部座席のドアが開き、少女が降りた。

 艶やかで長い黒髪、白く透き通った肌、印象的な大きい瞳、高身長のモデル体型の美少女だ。頭にスカーフを巻き、頭頂部でリボン結びにしている。

「綺麗」

 女子生徒も男子生徒も見惚れていた。

「そこのあなた」

 彼女に呼び止められた男子生徒は、

「は、はい」

緊張のあまり身を縮こませた。

「白鳥蒼馬って、どこのクラスかご存知かしら?」


 一時間目が終わりを告げるチャイムが鳴ると、影雄は蒼馬と勇作に近づいた。

「なあ。すげー美人の転校生がきた話、知っているか?」

「知らない」

 勇作は否定した。

「それが、すげー美人らしいんだ。二年生だってさ。俺らの一個上だな」

「ふうん」

 蒼馬は興味がないようだ。

「おめーは美人にお近づきになりたくないのか」

「僕は美人よりも、可愛い子、つまり美波ちゃんが好きなので」

 蒼馬は屹然と言った。

「はいはい。報われない恋をずっとやってろ」

 影雄は適当にあしらった。

 その時、ガラッと勢いよく教室の扉が開いた。そこには、くだんの美少女が立っていた。

「あっ」

 蒼馬は驚きの声をあげた。少女はつかつかと彼に歩み寄る。

「ようやく見つけたわよ。白鳥蒼馬ダーリン

 彼女は蒼馬の首元を締め上げる。彼はたまらずタップする。

「あ、あの~」

 影雄が口を挟む。

「お二人はどのようなご関係で」

「私は五月女優奈さおとめゆうな。この男、白鳥蒼馬の、婚約者よ」

 一瞬、教室は静まり返ったかと思うと、すぐに、

「えっ、えええー!」

 どよめきの声があがった。


 蒼馬と優奈は両家が親しいこともあり、幼少期の頃から許嫁と決められていた。

 優奈の父親は五月女グループの跡取りで、現在は副社長のポジションだ。五月女グループは、先々代が飲食店を開き、そこから学校運営など多彩な経営戦略で成長した。

 昼食時、中庭にいつもの面々が集まり、経緯を聞いた。

「蒼馬は、私から逃げたのよ」

 優奈は厳しい目で蒼馬を見る。

「本来であれば、蒼馬は大阪で暮らす予定だったのに、私が大阪にいたから逃げたのよ」

 彼女は再び蒼馬の首を絞めようとした。

「暴力はやめましょう」

 勇作が引き留める。

「サンドウィッチ、美味しいね」

「この卵サンド、最高」

 美波と翔子は仲良くパンを食べていた。

「この子たち、なに?」

 優奈が聞く。

「くらすめ――」

 勇作の言葉を遮り、

「僕の大切な人と、その友人です」

 蒼馬は胸を張った。

「違います」

 言下で美波と翔子が否定した。

「あら、そうなの? ライバルじゃなくてよかった」

 優奈は大きい胸を撫でおろした。

「いえ、僕の大切な人です」

 蒼馬は殊更に言う。

「片想いだけどな」

 影雄が突っ込み、健太はけらけらと笑った。

「蒼馬が好きなのはこちら?」

 優奈は翔子を指差した。蒼馬はかぶりを振る。

「いえ、この女性です」

 彼は美波の手を取った。

「触るな。変態」

 翔子はピシリと蒼馬の手の甲を叩いた。

「あら、違っていたの? てっきり、この子の蒼馬を見る目が……」

 優奈は美波と翔子をまじまじと観察し、

「どちらにしろ、私のライバルにはならなさそうなので、安心だわ」

 高飛車に笑った。

「優奈さん。先ほども言いましたが、僕は美波ちゃんが好きで、優奈さんの入る余地はありません」

 蒼馬は毅然とし、彼女を見つめた。

「無理よ。学生時代のひと時の恋人にはなれても、配偶者としては、白鳥家にふさわしくないですもの」

 その発言に、勇作は立腹する。

「ちょっと、あんた。さっきから話を聞いていれば、偉そうに」

「そうだそうだ」

「美波も翔子も、充分魅力的な女子だ。馬鹿にするな」

「そうだそうだ」

「おい、影雄の語彙力! 『そうだ』以外、何か言えよ」

 勇作は囃し立てる影雄を注意した。

「勇作。そんなにも私たちのことが好きだったのね」

 翔子は大げさに瞳を潤ませて見つめた。

「そこまで言うなら、女子三人で勝負しようじゃない」

 優奈は張り合う。

「学力テストだと、私が一学年上なので有利になってしまうから、女性の所作対決はいかがかしら。マナーとか諸々」

 彼女は自信満々に腕組みをした。

「この小説、バトルになること多いな」

 健太がポツリとつぶやいた。


 放課後。特別教室を借り、メンバーが集まった。

 教室の長テーブルには、皿、フォーク、ナイフ、ナプキンが置いてあった。美波、翔子、優奈の三人が座る。

 そのテーブルの横に、ひっつめ髪をした目つきの鋭い中年女が立っていた。

「どうも。マナー講師の下呂林です。審査させていただきます」

 独特のしゃくりあげるような口調だ。

「テーブルマナー! ファイト!」

 健太が開始の鐘を打つ。カーンとゴングが鳴った。

「まずは前菜を食べるマナーをお願いします。実際にはありませんが、想像でお願いします」

 マナー講師が居丈高に言った。

 優奈は優雅にナイフとフォークを使い前菜を食べる演技をする。美波と翔子も同じく演技をする。

「違う! ナイフとフォークの角度が違う!」

 下呂林が翔子を叱る。

「だから、違うって! そこは斜め35度だ!」

 翔子は慌てて、ナイフを落としてしまった。

「はい。げんてーん」

 嫌味ったらしく下呂林が言う。

「あ、君も減点。いま、こちらを見て、ナイフとフォークがかち合った」

 美波に指摘した。

「なんだ。このババア」

 影雄は聞こえるようなボリュームで言った。下呂林はキッと彼を睨みつける。

「うるさいわ。マナー守れないやつが悪いんじゃ」

 大きな声で少年たちに向かって言った。

「うわっ。口悪いな。この人」

 勇作の顔は引きつっていた。


「はい。結果発表します」

 下呂林が教師のように言う。

「最高得点は、五月女優奈さんの95点です! 惜しかったです」

「どう考えても〇〇じゃん」

 影雄が小声で言った。

「二位は、西美波さんです! マイナス10点です。全然ダメ!」

 下呂林は声高に言った。

「ドンケツは、前多翔子さんです! マイナス75点! 女の素養なし!」

 ゲロの発言直後、翔子は立ち上がり、涙を浮かべて走り去った。

「やりすぎだろ!」

「いい加減にしろよ!」

 勇作と影雄は抗議した。

「あれ、蒼馬?」

 健太が気づいた。蒼馬は翔子を追いかけていた。


「気にするなよ」

 蒼馬が声をかけると、

「うっさい。あっち行きなさいよ」

 翔子は気丈に返した。

「まあ、なんだ。あんなの、勝手に作られたルールだから」

「あんたがいうと薄っぺらいわね」

 蒼馬のフォローに、翔子は微笑した。

「あ、そうそう」

「なに?」

「あのオバさん、ムカつくから、さっき、イタズラを仕込んでおいたよ」

 蒼馬は不敵に笑った。


 下呂林は手を挙げ、タクシーを停めた。

「今日もいい仕事したわ」

 タクシーのドアが開いたので、乗り込んだ。

「さて、お化粧直し、今のうちにしようかしら」

 バッグをごそごそと探る。手に違和感があった。

(なに?)

 取り出すと、それは精巧な茶色の虫のおもちゃだった

「ぎゃー! と、とめて!」

 タクシーを急停止させ、下呂林は虫を外に出そうとした。

 ドアが開き、慌てて出ようとすると、足がつんのめった。

「ぎゃっ」

 したたかに、顔がコンクリートにぶつかった。

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