悪魔の契約
蒼馬は父親の仕事の都合で五歳の時にフランスに移住した。
慣れない土地ではあったが、持ち前の明るさと協調性と語学力で、問題なく過ごせるようになっていた。
普段は執事と外出することが多い彼だったが、その日は父親が休養をとったので一緒に出掛けていた。仕事がひと段落したらしいということは子供心ながらわかった。
駅から五分のところに中央市場がある。市場には魚介、ソーセージ、チーズ、チョコレートなど様々な品物と店が並んでおり、蒼馬はここぞとばかりに商品を買ってもらっていた。
「なにこれ」
紫のフードを目深に被っている老婆が本を並べていた。そこにある一冊に目が惹かれた。
「それは、悪魔の本じゃ」
流暢な英語で老婆が言った。
「悪魔? 実際にいるの?」
蒼馬はきょとんとした。
老婆はバルタン星人のような「フォッフォッフォッ」という声をあげると、
「いるよ」
ニヒルに笑った。
「怖いよ」
蒼馬が怖気づくと、老婆が諭すように言う。
「怖くない。ちゃんと契約すれば問題ない」
「契約?」
「悪魔との契約さ。手順に従って進めれば、願い事を叶えてくれる」
「本当!?」
蒼馬は半信半疑だった。
「本当さ。ただし、悪魔は内容によって大切なものを奪う」
「大切なもの? ゴールデンボールとか?」
「さあね。しかし、さっきも言ったように、契約する内容によるから、『お菓子が欲しい』といえば2ドルなくなるだけとか、そういうもんじゃよ」
老婆は再びバルタン星人のように不気味に笑った。
「お父さん。これ欲しい」
蒼馬はねだった。父親は「こんなものに金を……」と及び腰だったが、熱意に負け、買い与えてしまった。
住処に戻った蒼馬は、早速自分の部屋で本を開く。市場で入手した”悪魔の本”は五歳児の蒼馬にとっては厚く重かった。
「これ、本当に悪魔と契約できるのかな」
まじまじと眺める。旧約聖書と同じくらいの分厚さだろうか。
「なになに」
本によると、魔法陣を描き、火をつけたろうそくを四本立て、魔法陣に動物の血を注ぎ、長い呪文を唱えると、悪魔が現れて契約交渉できるようだ。
疑っていたが、考えるよりも行動が早い蒼馬は、実行していた。
「何も起きないじゃん」
長い呪文を唱えて数分待ってみたが、魔法陣に変化はなかった。
「騙された?」
蒼馬が片づけようと手を伸ばした時、後ろから荒い息遣いが聞こえてきた。振り返り、蒼馬は驚いた。
上半身が牛で下半身が人間――ミノタウロス――の悪魔が毅然と立っていた。
「お前の願い事を言え」
悪魔が言った。蒼馬は口をパクパク動かすが、声が出ない。
「なんだ。人間ではなく鯉か」
異形のモノはせせら笑った。
「あ、えっと」
蒼馬は声を絞り出した。
「言ってみろ」
「本物ですか?」
「どういう意味だ」
悪魔は憤然とした。
「アックマンですか?」
「そうそう。こうやって、アクマイト光線を出して、『ふくらめふくらめ悪の心よ!』ってちがーう」
「ノリいいですね」
蒼馬は悪魔のノリツッコミを冷めた目で見ていた。
「お前がやらせたんだろ。というか、その年齢でドラ〇ンボールネタが通じるんだな」
悪魔はまじまじと幼児を見た。
「悪魔って、色々なジャンルやコンテンツに詳しいのですか?」
「ああ。人間のことを知るために、各国の文化や宗教には精通している」
悪魔は誇らしげだ。
「俺のことはいい。さっさと願い事を言いなさい」
苛立ち始めた。蒼馬は質問したいことが多々あるが、願い事を優先することにした。
「その前に」
蒼馬は力士の突っ張りのように手の平を前に出した。
「願い事が叶うとき、僕にどのような被害がありますか?」
ミノタウロスはふんと鼻を鳴らし、
「それはお前の願い事を聞いてから決まることだ。さっさと言え!」
ビリビリと地鳴りがする声で言った。
「わかりました。では……」
蒼馬は咳払いをした。
「僕が日本に居た時、I県で同い年くらいの女の子と仲良くなりました。彼女は病院に入院していて、完治するのが難しい病気のようでした」
「ふむ。それで?」
「その彼女の病気をなくし、元気な体にしてあげてくれないでしょうか」
蒼馬は悪魔の顔を見つめた。
異形のものは沈黙すると、しばらくして口を開いた。
「わかった。お前の願いを叶えてやろう。その代わり、お前は俺のような体になってもらう」
「獣人のようになるということでしょか?」
「そうだ」
今度は蒼馬が黙し、思案した。
「どうだ? 受け入れるか」
悪魔が返答を急かす。
「体が変わるといっても、心は人間のままだし、悪魔になるというわけではない。生活は、普通の人間として生きていくように調整は入る」
「そんなことが可能なのですか?」
「悪魔の力を舐めるな」
ミノタウロスは腕を組み、胸を張った。
「では、お願いします」
少女を治す引き換えに、デメリットを受け入れることを決断した。
「本当にいいのか? 生活が変わっちゃうぞ」
悪魔は脅して決意を揺さぶってきた。
「問題ありません。最低限の暮らしができれば」
蒼馬のかたい意思を確認でき、悪魔は口笛を吹いた。
「ひゅー。幼いのに凄いね。じゃあ、やるぞ」
悪魔はラグビーの五郎〇選手のような姿勢をとり、呪文を唱える。
「×〇△□マルマルモリモリ×〇△□マルマルモリモリ」
「それ、正しい呪文ですか?」
蒼馬が指摘すると、悪魔は紙に、
『黙れ。集中できない』
と書いて見せた。
「ウエウエシタシタヒダリミギヒダリミギビーエー」
(コナミコマンドじゃん……)
蒼馬が心の中でツッコミを入れていると、辺りはモクモクと煙が立ち上った。
あっという間に黒煙に包まれて周りが見えなくなった。
(何が起きているのだろう)
蒼馬は呆然と待った。数分ほど経ち、煙は徐々になくなっていった。
「あれ、いない」
目の前に悪魔もういなかった。
『儀式は終わりだ。願いは叶えた』
どこからか声が聞こえた。
部屋を出て、洗面所に向かった。
「まだハロウィンには早いぞ」
廊下で父が声をかけてきた。蒼馬はまだ自分の体の変化がわかっていなかった。
洗面所に着き、鏡を覗く。顔や腕には異常がなさそう。
「なんだ。変わっていな――」
下半身をみて驚いた。
「これだと、ミノタウロスではなくてケンタウロスじゃないか」
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