修羅場

修羅場

「この女は誰なの！？」

　アパートの部屋に突然女が入ってきて言った。僕は玄関の鍵をかけていなかった。

「あなたこそ、誰？」

　僕の恋人・椎名恵（しいなめぐみ）は困惑していた。

「この男の彼女よ」

　女は胸を張った。ロングヘアが揺れた。

「私も彼女ですが」

　ショートヘアの恵も対抗して胸を張った。バチバチと視線がぶつかる。

「ごめん。本当に君は誰？」

　僕は冷ややかに言った。

「酷い！　酔っぱらって、眼鏡かけていなくても、この部屋と声で誠（まこと）だってわかるのに！」

　ロングヘアの女が取り乱した。玄関にあったキーケースを投げてきた。

「この人の名前は優（まさる）ですが？」

　恵は呆れた顔で言った。どうやら、頭のおかしい女が現れたと解釈しているようだ。間違ってはいない。

「そうだ。名前が違う！　人違いだ」

　僕は追撃した。

「え、そんなことない！　私が酔っぱらっているから、馬鹿にしているんでしょ」

　女の息はたしかに酒臭い。目はくりくりとして可愛げがあり、男にモテそうな顔をしている。

「いやいや。馬鹿にしていない」

　僕が否定すると、

「私は小馬鹿にしているけどね」

　恵が苛立ちながら言った。

「ちょ、余計なこと言わないで」

「キッ―！」

　女は猿のような声を上げ、今度は玄関にあった靴を投げた。

　ピンポーンとチャイムが鳴った。

「はい」

　火花を散らす二人を無視して応答した。

「すみませーん。隣の田中です」

　聞き覚えのある男の声だ。

「はい。今、開けます」

　ドアを開けるなり、

「騒がしいんで、静かにしてもらえませんか？」

　叱られた。

「すみません」

「ただでさえ、あなたの部屋から、昼間はアレの音でうるさかったのだから……」

　アレとは、恵とした性交渉のことだろう。結構派手に音をたてていた。

「すみません。静かにします」

　僕は謝罪し、ドアを閉めた。

「てめーこら、どこのもんじゃ」

　部屋に戻ると、ロングヘア女が恵の胸倉を掴んでいた。酔っているせいか、焦点がうまくあっておらず、目つきが怪しい。

「お前こそ、どこのもんじゃ」

　恵も対抗して胸倉を掴み、ヤンキーのように睨んでいた。

「ちょっと、ちょっと、穏便にして。静かにして」

　僕が仲裁に入るも、二人は睨み合って悪口を言い合っていた。

「うるせえ。邪魔するな」

　ロングヘアの女に胸を突かれた。意外と力が強く、僕はふらふらと倒れそうになり、部屋の壁に腰を打ちつけた。

「いてててて」

「優、大丈夫！？」

　恵が駆け寄ってくれた。

「ああ、なんとか」

　僕たち二人を、ロングヘア女は目をこすりながら見ていた。酔いが回って眠いのだろうか。

「静かにしてくれないかな。このアパートは壁が薄いし」

　僕が言うと、恵は「あっ」と声をあげ、考え始めた。

「どうした？」

　恵は僕の問いを無視して、女の方を見た。

「ねえ、あなた」

「なに？」

　ロングヘア女は虚ろな目で応じた。

「あなたの部屋って、ここ？」

「そうよ。誠と愛し合っている部屋よ」

　彼女はふんと鼻で笑った。

「あっちに、このアパートと同じ建物があるのはわかる？」

　恵は窓外を指差した。

「知っているわよ。このアパートは同じ建物が駐車場を挟んで続きであることくらい」

　女は不思議そうな表情をしていた。

「じゃあ、第何館で何号室か言える？」

「第2館で201号室よ」

　女が言った瞬間、僕は「あっ」と声を出し、

「やっぱり」

　と恵はつぶやいた。

「あなたは勘違いしている。ここは第１館の201号室よ。酔っぱらっている上に視力が弱いから、間違えたんでしょ」

　恵がぴしゃりと言うと、ロングヘア女は顔を真っ赤にした。

「は、ははははは」

　彼女は苦笑すると、

「申し訳ございません。失礼します」

　深々とお辞儀をした。そそくさと部屋を出て行った。

「人騒がせな……」

　恵は肩を竦めると、僕のほうを向いて言う。

「よかった。優が浮気していなくて」

　＊

　＊　＊

　＊　＊　＊

　僕たちはベッドで横になっていた。

「優、今日は激しかったね」

　彼女が言った。彼女は幸せそうに僕の腕枕にいる。

「……」

「どうして、黙っているの？」

　彼女が甘えた声で聞いてきた。

「なんで、あんなことしたんだ？」

「なんでって？」

　彼女はきょとんとした顔で聞き返す。

「この前のことだよ。あれはなんだったんだ」

　僕が再度尋ねると、彼女はふふっと笑った。

「からかいたかっただけよ。反応が面白くて」

　彼女は上体を起こすと、ロングヘアをかきあげた。

「修羅場って感じで楽しかったでしょ」

　第2館201号室の住人・西村里美（にしむらさとみ）は微笑んだ。