第5話

宮藤英嗣のマンション、つまり、彼が死んだ自室があるところだ。理人はその部屋を、先ずマンションの入り口から見あげた。三階とのことである。マンションの周りは昨日の雪で濡れ、そうでない部分は凍り、白っぽい外装を余計に寒々しく見せている。

理人は入り口の自動ドアを通って、エントランスホールに入った。比較的高級なマンションと事前に聞いていたが、想像していたより、やや古びていて質素だ。理人は誰ともすれ違うことなくエレベーターに乗って三階に上がり、英嗣の部屋の前まで来た。チャイムを鳴らすと、インターホン越しに柚子の声が聞こえてきた。

「『探偵社アネモネ』です」

理人が声を投げると、柚子はドアを開けてくれた。今日も、かなりくたびれて見える。恋人を亡くした焦燥か、はたまた。

事件が発覚したのは、もう一か月も前だと言う。ほとんどのものは、警察が調べた後だろう。それでも柚子には、捜査情報をくれるかもしれないという望みもあった。そしてそれは叶ったようだ。理人は柚子に勧められるままソファに座った。

お茶を出してくれるというので、それを待つ間、マンションの室内を見渡してみる。内装は、全体的に落ち着いた色合いだ。白や木目調を基調とした家具が多く、清潔感のある印象を与える。

此処で、英嗣は毒ガスで亡くなった。密室だったにも関わらず。

暫くすると、湯気の立つ白いマグカップを持って柚子が戻ってきた。柚子の目の下の隈は濃かった。昨日も眠れなかったのだろうか。理人は実に丁寧に礼を言って、出された温かい緑茶を一口飲んだ。

余りの焦燥ぶりに心が痛むが、理人がここにやって来た理由は一つだ。この事件を解決すること。それが柚子のためにもなる。

「突然の依頼にも関わらず、請けてくださってありがとうございます。他では断られてしまって……そんなに、報酬も支払えませんし。こんなに優しく請けていただけるなんて」

理人は、まず柚子の心を解すべきと考えた。女性と話すのは得意だ。顔を上げて、質問を投げる。

「あなたは、水樹を見て、どのように感じますか? 彼は、事件の背後には、必ず依頼人が抱えている悩みや問題がいくつも存在しているため、それらに焦点を当てることで事件解決に繋がると信じている」

 柚子は白いマグカップで手を温めながら、俯いて、黙って話を聞いてくれている。

「水樹は、単に犯人を捕まえるだけではなく、事件のアウトラインを示すことに情熱を注ぎます。また、依頼人の気持も置き去りにはしません。人情味のある対応で信頼関係を築くことで、依頼人にとって最善の解決策を提案します。また、彼は自分の推理が正しいと妄信せず、関係者や他の探偵の考えも必ず聞いて、尊重します。真実に辿り着くことは一人では不可能であり、仲間の情報と連携が必要だと確信しているからです。口に出して信念を押し付けはしませんが、依頼にしっかりと向き合うことで問題解決に向けて尽力しますから、それが伝わるはずです」

そこで、理人は「ちょっぴりツンデレかもしれませんがね、其処も愛らしいでしょう?」とユーモアを付け加えて、言葉を続ける。

「実は依頼された調査に全力で取り組み、自分のやり方や信念を曲げることない、誠実な探偵です。私は水樹を尊敬しています。ですから、御安心ください。私たちが必ず事件を解決します」

「ありがとうございます、ありがとう……」

 理人は柚子が落ち着くまで背中を撫でてから、こう告げた。

「英嗣さんの亡くなっていた場所を見せていただけますか」

「勿論」

柚子は二つ返事で承諾してくれた。

其処は、キッチンであった。いたって普通の、システムキッチンだ。流し台もコンロも換気扇も綺麗なまま。食器棚も中身はそのままだ。理人は辺りを見回しながら、柚子に訊いた。

そういえば英嗣さんって料理はお上手だったのですか? と理人が首を傾げると、どうなんでしょうね。私は食べたことがないから分からない、というようなことを、柚子は答えた。彼が死してなお、職場恋愛を隠すあたり、彼の立場を考えられる奥ゆかしい女性である。

此処の床に、彼は仰向けになって亡くなっていたらしい。理人がほかにも見て回ろうとした時、チャイムが鳴った。インターフォンに、水樹と陽希が映っている。

「おや、二人とも……」

「やっぱり、来ちゃいました。理人が真面目に働いているか、監督したくて。だって、僕たち、三人で『アネモネ』なんですから。ね?」

水樹はまだ問うてもいないのに、べらべら喋る。心配だったくせに、素直ではない。

「はい、お茶とお菓子」

遊びに来たというわけでもないのに、陽希は茶葉の缶と菓子を持っている。依頼人の柚子が引いているくらいだった。

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