最終話

あの日以降、彼女が美術室に姿を見せる日数は目減りした。


それに伴って、俺が一人で放課後絵を描く日数は増えていったわけだが…

どうにも、一人では筆のノリが悪く、進みも遅い。


ため息の回数は増えるし、筆を置く回数だって数え切れないほどになった。


時たま莉佳が美術室を訪れる日には、普段よりちょっとは集中できた。

だが、その日数は限られている。


そして美術室に来る日には、決まって莉佳はマスクをしている。

誰がどう見ても体調が悪そうだった。


なぜそこまでして彼女は絵を描き続けるのか。

芸術というものは、それほどに彼女を引き付けるのか。

芸術というものは、彼女を、離さないのか。


俺にはわからなかった。

だが、彼女は明白に、俺がわかろうとするのを拒絶した。


もどかしく、悔しかったが、何もできないのだから仕方ない、と言うほかない。


「う~、さむ…」

季節は巡って、すっかり寒くなったある日。

俺はいつものように放課後の美術室へ足を踏み入れ、絵を描く準備をしていた。


「邪魔するぞ~。おっ、いたいた」

「?」

ふと背後から声がしたと思えば、そこには顧問の姿。ちょうど俺を探していたようで、俺を見るなり近寄ってくる。


「どうしたんですか、先生」

「あー、単刀直入に言うとだな、現部長の清野が、部長を辞めるとか言ってきてだな…」

「はぁ…はい!?!?」

「いやぁ、驚くのは分かる。まぁ彼女にも理由はあるっぽいし…」

「なんですかその理由って!?」

「…すまん、山本、私の口からは言えんのだよ。清野の方から口止めされていてな…」

「先生もですか…」

「すまんな…だが、次期部長は山本にお願いしたい…というか、君しか部員がいないから必然的にそうなるんだが、いいか?」

「…まぁ、わかりました。ですが、一度だけ、先輩と話しておきたいです」

「うん、私の方からも言っておくよ」


そう言うと、顧問は美術室を後にした。


いくらなんでも勝手すぎないか。

様子がおかしい理由だって教えてくれない。

部活だって急に休みがちになる。

そう思えば今度は部長を辞める。


莉佳への不満がふつふつと湧いてきて、俺は目の前の机を殴りたい衝動にかられた。

しかし、そんなことをしても莉佳は現れない。

彼女が部長を辞任するという話もなくならない。


「なんなんだよ…」


俺は怒りを込めて静かにそうつぶやいた。


それからというもの、莉佳は全く美術部に来なくなった。

一応俺が部長ということらしいが、どうにも実感がないし、これといった仕事もないので、妙に落ち着かない日々を過ごしていた。


そのまま期末テストに突入してしまい、部活動も休止期間に入った。

俺としては一度部活と、そして絵と距離を置くことのできるいい期間になった。


だが、絵を描くことを始めて8か月が経とうとしているこの体は、すっかり画家気取りになってしまったようで。


「何やってんだか…」


テスト最終日、体が勝手に美術室に向かっていた。

そして、ドアに手をかけていた。


「はぁ…」


莉佳はいないのに。

一人でさみしく絵を描くだけなのに。


俺は、芸術にとらわれてしまっているのか。


きっと、そうなんだろう。


ガラガラッ


古びたドアを開けると、俺は目を疑った。


そこに置かれていたのは、イーゼルに背中を預けるキャンバス。


そこには絵が描かれていた。


誰が描いたものか、俺にはすぐにわかった。


高校に入って、数えきれないほど見てきた画家だ。


一番見た画家で、一番近くにいた画家。


いつも余裕のある先輩を気取って、でもたまに失敗して、へこんで。


それでも最後には、頼りがいのある所を見せてくれる。


そんな画家。


大好きな先輩で、俺の、大好きな人。


彼女の絵だった。


俺はよろよろと力のない足取りでその作品に近寄っていく。


ふと、どこかで見たことがある構図だと気づく。


そして俺は息をのんだ。


その絵のモデルは、俺だった。


俺が、初めて彼女の前で絵を描いた時に、彼女が俺の姿を写真に収めた。


その写真をもとに、彼女が描いたのだ。


すぐ近くの机に置かれた書き置きを見て、俺はみっともなく泣いた。


「ごめんね、後輩君」


それが、彼女の最後の言葉。


彼女の最後の作品に添えられて、美術室に残されていた。

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君のいる未来をこの手で描けたら 山代悠 @Yu_Yamashiro

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