第19話 文化祭
それからの日というもの、莉佳は文化祭の準備で忙しくなり、俺の方はというと、半ば押し付けられた体育祭実行委員の仕事で忙殺される日々となり、美術部としてまとまった活動をする日は減っていった。
さみしいだとか、生活での物足りなさを感じる暇すら与えられないほどには東奔西走していたた。
9月末になって、学生にとっての目玉イベントの一つである体育祭が開催された。
まだまだ残暑がしぶとく残っている時期での開催には文句こそ聞こえてきたが、みな楽しそうにしていたので、実行委員の俺としては結構満足だった。
莉佳はクラスごとのダンスと借り物競争に出場していた。
莉佳の踊っている様子は彼女の筆遣いのようになめらかで、周囲の生徒よりも完成度が高いように見受けられた。
(まぁ、贔屓目に見てるのかもしれんけど…)
借り物競争では、黒板消しというお題の元、教室の方まで走って消えていった莉佳の背中がどこか頼りなくて、それでいて、可愛くて、守ってあげたいような、ついていきたいような思いに駆られた。
変態とか言わないでほしい。そう思ってしまったんだから。
俺の方はというもの、種目に参加する生徒の誘導やら結果の整理やらでまともに楽しむ時間はなかったが、やりがいはあった。
(意外と裏方の仕事好きなのかもしれないな)
押し付けられるように始めた仕事とはいえ、最後にこのような思いができたのはよかったな、とらしくもなく振り返った。
10月半ばの中間テストをなんとか乗り越え、秋らしい涼しさと、木々の色づきを感じている暇などないように、文化祭という、学生にとって、わが美術部にとってのビッグイベントはやってくる。
莉佳は夏休み以降、すでに2作描き上げてしまっているらしい。
俺の筆が遅すぎるだけかもしれないが、俺からすればこの制作ペースは早すぎる。
自分の胴体よりも大きなキャンバスに、大胆に、かつ繊細に筆を走らせる。
そうして彼女は、ものすごいペースで作品を仕上げていった。
そして、俺も。
夏の旅行で得たもの、感じたこと。
それと、今までの経験全部を詰め込んで、俺は絵を描いた。
これだったら大衆に見せられる、と言えるほどのものができた。
人生で初めて。
描き上げたとき、「これでいいのかな」という不安ではなく、「できた…」という達成感が湧き上がってきたのは、自分でも不思議に思った。
莉佳に出来上がった作品を見せたとき、彼女は本当にうれしそうに俺をたたえてくれた。
でもそんな彼女の顔には、明らかに疲弊の色が染みついていて。
2学期が始まってから、週に1回くらい、彼女は学校を休んでいるらしい。
学校に来ていても、教室には向かわずに保健室で過ごしたり、教室で授業を受けた後に美術室には寄らずにまっすぐ帰宅したり。
とにかく、俺の知る以前までの莉佳の行動パターンではないことは明白だった。
ある日俺は聞いてみたことがあった。
「先輩、平気です?」
「ん-?へーきへーき。気にしてくれてありがとー」
平気じゃないだろ、なんで急にマスクし始めたんだよ。
とは言えなかった。
俺だって、莉佳に隠していることがあるじゃないか。
俺の過去のこと、結局話してない。
だから、莉佳が俺に隠し事をしていることを責める権利は、俺にはないんだ。
その事実が、俺が一歩踏み込むのを妨げるストッパーになってしまって、彼女にはぐらかされてしまうと、そこで終わり、という繰り返しになっていた。
もどかしさ、いや不甲斐なさから来る一種の自分への怒りかもしれない。
そういうドロッとして熱いものが、胸の中で渦巻いていた。
そうして迎えた文化祭の日。
「こんにちはー」
「いろんな作品が展示されていますので、良ければご覧くださーい」
中学生や、この高校の生徒、地元住民などなど、様々な来場者を迎え入れて、必要に応じて簡単な説明を行う。
去年とは立場が一転していることを滑稽に思いつつ、俺は来場者の対応を楽しみながらこなしていった。
途中莉佳は友達と回ってくると言って抜けていった。
内心では保健室に向かったのではないか…という疑念を抱いてしまった。
莉佳を信じることのできない自分を殴ってやりたい気持ちに駆られつつ、俺は自分の役目を全うすることに努めた。
初日の午後は、莉佳がシフトに入ってくれるとのことで、俺も校内の各所を巡って、文化祭の雰囲気を楽しむことに決めた。
去年までは、まともに校内の構造を把握しておらず、文化祭のマップから得られる情報だけで散策していたが、今年は普段の校内図を頭に入れた状態で歩き回れているため、より非日常感を味わえる。
さすがに体験型の出し物をやっている教室に入る気にはなれなかったが…
そんなこんなで初日は無事終わり、来場者が帰って、校内に残る生徒もまばらとなってきた時間帯に、俺は美術室にいた。
莉佳も一緒だった。
「疲れたねー」
「ですねぇ。ま、楽しかったですけど」
「ほんと?それはよかったよ」
木のボードに貼り付けられて展示されている作品たちを前にして、俺たちは言葉を交わした。
視線は絵に向いていたが、意識はたがいに向けられていて、すぐ隣に互いの存在を感じられるくらいの距離感を保っていた。
手を伸ばせば簡単に触れられるけれど、決して触れることのない距離。
それが、俺と莉佳の間の距離感。
思えばずっとそうだった。
必要以上に互いに踏み込むことのない関係性だった。
だから、俺が今莉佳の体調について心配しているのも、必要以上のことなんじゃないか?
そう思うと、胸がジンと焼けたような感覚が残った。
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