第17話 錦秋

高校に入って初めての夏休みも終わり、いよいよ2学期を迎えることになった。


結局、夏旅行から帰ってきてからこの日を迎えるまで2週間ほどあったが、美術部に行ったのは3回だけだった。


別にほかに予定があったわけじゃない。ただ、なんとなく莉佳との間に壁を感じてしまったから。

その壁はほかでもない俺が築いたものだけれど。


部活に行けば、莉佳は明るく迎えてくれた。

そしていつも通り絵を描いて過ごした。


莉佳は秋の文化祭に向けた作品を制作しているようで、毎回集中して作業していた。


始業式を終え、教室でぐだぐだ駄弁るような友人もいない俺は、軽くて薄っぺらい鞄を引っ提げて美術室へ直行した。


「失礼しまー…ってあれ?」


ガラガラと扉を開けるも、中に人の姿はなし。

まだ2年生は連絡事項とかあるのかな、と想像を巡らせつつ、俺はすっかり定位置となった机に鞄を置いて、莉佳を待った。


30分ほどスマホを見ていて、流石に美術室に来てまで絵を描かないのは損だなと思い始め、俺は絵を描く準備をする。


イーゼルを設置し、絵具やらパレットやら水やらを一通りセットする。


キャンバスの前に置いた丸椅子に座る前に、俺はなんとなく扉の方に目をやった。


(先輩、来ないな…)


俺が美術室についてからすでに1時間近く経過するが、莉佳はいまだやってこない。

仕方なく俺は筆を取り、途中だった絵の製作を始めた。


さらに1時間ほど作業をしても、誰かによって扉が開けられることはなかった。

作品の進捗がキリの良いところに差し掛かっていた俺は、今日のところはこのくらいにしておいて、また明日来ようと決めた。


さっきと逆の手順で道具を片付けていく。

そして最後にイーゼルを片付けて、鞄を手に取り、美術室を後にするまで、結局莉佳は現れなかった。


何かあったんだろうか、学校を休んでいるとか。もしかしたら忌引きなのかもしれないし、うっかり寝坊して、今日はサボっちゃえってなっただけかもしれない。


夏休み明け初日だし、それくらいいいよね。


でも、莉佳はそんなことするか…?


古びた電車に揺られながら、俺は逡巡する。

だが、莉佳がこの場にいない限り正解は不明のままだ。


もやもやした胸に鞄を抱きながら、俺は家路をたどった。


翌日。2学期の最初の授業日である今日は、生徒たちは皆、昨日と同等かそれ以上の鬱屈さを呈していた。


あちらこちらから「憂鬱だ~」「いやだ~」といった嘆きが聞こえてくるが、時計の針は残酷に授業開始時刻へ向かっていく。


だが俺にとってはそのことが好都合であったかもしれない。


放課後、莉佳に会って直接昨日のことを聞けるかもしれないから。

今日も彼女が美術室にやってこない可能性だってあるけれど、そんな可能性を信じるより前向きに考えていた方が胸も軽くなるものだ。



6コマの苦行を乗り越えた俺は、頭の中身がほぼ空っぽになってしまった感覚に襲われた。

(軽くなったのは心持ちじゃなくて頭の方だったか…おかしいな、授業受けたら知識を吸収して頭は重くなるはずなんだけど、ははは…)


1か月以上のブランクがある学生に、いきなりフルコースの授業を提供する学校も学校なのだ、仕方ない。


そんなことより今は莉佳のことだ。

どれだけ頭から大切なものが抜けていこうと、莉佳のことだけは頭にこびりついて離れなかった。


(よし、行くか)


俺は気持ちを切り替え、足先を美術室に向けた。


「失礼しまーす…」


「いない、か…」


今日も莉佳はいなかった。

だが、今いないというだけで、きっとすぐにやってくる…


「お疲れ様ー!」

「ひぇっ!?」


俺が開けっぱなしにしていた扉から、勢いよく入ってきたのは莉佳だった。

ちょうど背後から威勢のいい声を掛けられる形となった俺は、すっかり委縮してしまった。


だが、莉佳の姿を見て安心し、胸をなでおろした。


「先輩ですか…もう、びっくりさせないでくださいよ…」

「いやーごめんごめん、昨日いなかったし、心配かけたかなぁって。この通り、私は元気だから安心してね!」

「そう、ですか…よかったです」


俺の口からこぼれた言葉を聞いて、俺自身がすごく安心していることがよくわかった。


「ん?じゃあ昨日はなんで来なかったんですか?」

「あーそれはね、えっと、道で困ってたおばあちゃんを助けてたら、いつの間にか1日終わっちゃってた~みたいな?ほらあれだよ、もう始業式終わっちゃったかなぁって思ってさ、そのままサボっちゃって…」

「なんですかその苦しすぎる言い訳。遅刻の言い訳にありがちなやつですけど、9割嘘ですからね、それ言ってる人」

「ひどーい!!私は残りの1割だもん!ほんとだもん!」

「いやいや、絶対寝坊したとかですよね。もう素直に言っちゃえばいいんですよ」

「むう…じゃあ、そういうことにしておいてあげようかな」

「なんですかそれ、あはは」

「ふふっ」


放課後の雰囲気に包まれた美術室で、俺たちは笑う。


きっとこの時間は、何に代えても守るべきものだ。

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