第4話 とっておきの作戦

入学式をやって、部活動紹介を見て、莉佳に熱烈な勧誘を受けて、部長さんと話して。

振り返ってみれば、俺は昨日ものすごく濃密な日を過ごした。


その日、家に帰ってから風呂に入ると、疲れが体の中から浴槽にためられたお湯へ、じわぁ~っとしみだしていくような感覚に襲われた。


風呂に入っている時も、美術部のことについて少しだけ考えてみた。


やはり自らの絵の実力についての不安はぬぐえなかったが、入浴中ということで、少し開放的になってしまったのだろうか、「描いてみなけりゃ始まらねぇよな!!」みたいなことを思ってしまう自分がいた。


そしてその大胆さ、もとい適当さは、風呂を出て服を着てからも続いてしまって。

俺は気が付けば、普段はシャープペンシルしか使わないのに、机の中に眠っていた鉛筆を2本引っ張り出し、筆箱に突っ込んでいた。「よし!」という謎の気合も一緒に詰め込んで。


翌朝、俺はもちろん高校へ向かう。

今日はまだ通常授業は始まらず、オリエンテーションと身体測定だったような。

明日は健康診断が行われるらしい。


朝、教室に入り、同じクラスになった中学の同級生数人と雑談していると、担任がやってきてオリエンテーションが始まった。


校内の見学や、図書館などの施設を利用する際の注意点などが伝えられる。

どの施設も老朽化が進んでいて、毎回のように先生が「雨漏りするから、雨の日は気をつけろよ~」と伝え、生徒の間で笑いが散発した。


校内見学の途中で、美術室にも通りかかった。

昨日の放課後とは違って、誰もおらず、机といすが整然と並んでいるだけの空間だった。


今頃莉佳や部長は、何をしているんだろうと考えた。

上級生もまだ通常授業はスタートしていないらしいので、健康診断でもやっているのだろうか。


今日の放課後も行くであろうその場所に別れを告げ、俺はクラスの列に戻って再び歩き始めた。


その後は、身体測定をして、中3からほとんど身長が伸びていないという事実に落胆したり、高校から知り合った同じクラスの人たちと話して親睦を深める、ということに時間を費やした。

(ちょっとくらい身長伸びててもいいだろ…)


結局その日は14時過ぎに予定されていたことが終了し、流れで解散となった。

ただ、上級生はまだやることが残っているらしいので、静かに帰宅、もしくは部活動の開始時間まで待機、と言い渡される。


「有司、部活の見学行く?」

そう声をかけてきたのは、中学からの友人。

「そうだな、1つ気になってる部活があって」

「お、運動系?」

「いや、運動部はもう中学で懲りたよ。高校は文化部でのんびりやろうと思ってる」

「そっか~、まぁいろいろあったもんな。俺はバスケ部見てくる。じゃあな」

「おう、行ってら」


彼の言う通り、俺は中学でいろいろあった。

思い出すのにも、すごく心労が伴うようなことがあった。


でも、俺のスタンスは”今を楽しむ”だから、過去のことは今は気にしていられない。

まだ美術室にはいないだろうが、俺はそこへ向かい、莉佳を待つことに決めた。


ガラララッ。

少し油をさした方がよさそうなドアを引き、俺は無人の美術室へ足を踏み入れた。

何やら悪いことをしているようで、腹の奥が躍るような高揚感にさいなまれる。


「さてと」

俺は中へ入って一番近くの机にカバンを置き、近くの椅子へ腰を下ろした。


今日ここへ来たのには、理由がある。だがそれは、入部する意思を固めたというわけではない。

端的に言えば、試すためだ。

誰を?

その答えは、”俺”であり、”莉佳”でもある。


莉佳を試すとは、言葉があまり穏やかではないが、事実なのだから仕方がない。

試すと言っても、彼女の絵の実力を試そうというわけではない。莉佳の絵は去年文化祭で見たし、圧倒された。

だから試すのは、

               俺の絵の実力だ

俺にいかに絵の才がないかを莉佳に目の当たりにしてもらう。莉佳が俺の絵に下す評価が、俺の絵の上手い下手ではなく、見る人の心を掴む力があるかないかによるものであれば、俺は莉佳のもとで絵を描く。だが、そうでなければ、俺は二度と筆を握ることはないだろう。


すごく卑怯なやり方だと思う。

でも、こうでもしないと俺は決断を出せないのだ。莉佳には申し訳ないが、彼女自身の言葉の真偽を今日ここで明らかにさせてもらう。


放課後の美術室の中に、時計の秒針の機械的な音だけが響く。

(来ない…)


まさか、今日は活動がない日なのだろうか。

毎日活動する部活の方が稀有けうだし、それは十分あり得る。


4月上旬は意外と日は長いので、まだ室内は明るいが、時計はもう16時の手前をさしている。通常であれば、もうとっくに終業時刻なのだが、今日は時間が読めないのが痛手だ。


今日のところはあきらめて帰ろうかと思い、机上のカバンを持ち上げようとしたその時


ガラララッ


美術室のドアが開いた。

すぐさまそちらに目をやれば、やはり莉佳がいた。


「少年!来てくれたんだね!ごめんね、待たせたよね」

莉佳は俺の姿を認めるなり、申し訳なさそうに声をかけてきた。


「いや、まぁ待ちましたけど、気にしないでください」

美術室前方の教卓に荷物を置き、髪を後ろで結んでいる莉佳に俺は語りかけた。

どうやら彼女は、絵を描くときだけは髪を結ぶらしい。

後ろ手に髪を結ぶ彼女は、一言で言えば、すごく美しかった。


「それで、入部を決めてくれた感じかな?それとも…」

「あぁいや、まだ結論は出ていなくて。でも、今からここで出そうと思います」

「そっか、まぁ私が描いてる様子とかも見ながら考えてみて…って、え!?」


彼女が驚きの声を上げたのは、おそらくカバンから鉛筆を取り出し、やる気に満ちた様子でそれを持つ俺の姿を見たからだろう。

そして、俺の発言が莉佳をさらに驚かせることになる。


「今日は、俺に絵を描かせてもらいに来ました」

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