第3話 部長とお話

莉佳から熱烈な勧誘を受けた日の帰り道、俺はずっと美術部のことを考えていた。


ひたすらに続く下り坂で、俺の歩くスピードは速くなる一方だったが、どうにも頭の中では同じようなことを考えて、なかなか結論までたどり着けずにいた。


(「絵の上手い下手じゃなくて、いかに見る人の心を掴んで、自分の世界に引き込んで、考えさせるかっていうことが大切」かぁ…ピンとこないな…)

悲しいかな、それが本音だった。

俺をはじめ、ほかの絵の素人が考えるような”絵の価値”とは、違った観点で莉佳が絵と向き合っている、ということしかわからない。

彼女がどんな姿勢で絵と向き合い、どんな思いで日々絵を描いているのかなんて、もっとわからない。


「わっかんねぇなぁ…」

いろいろ思索するうちに、いつの間にか最寄り駅に到着していて、俺は駅のホームに設置された、ところどころが朽ちている木製のベンチに腰かけた。


ミシっという音を立てたそのベンチが、自分の体重で少したわむのを感じる。

今にも壊れそうで、無意識のうちに体重をかけすぎないようにしてしまう。


俺が人知れず椅子破壊の恐怖と格闘し、椅子を壊さず、かつ自分も座れる方法を模索していると、人が近づいてきた。


(おいおい1人で座ってても壊れそうなんだぞ、2人目はさすがに危なくないか…?)

俺は自分の身とベンチの危険を感じ、ベンチから腰を浮かせた。

その時、


「あれ、もしかして君、美術部の先輩に連れ回されなかった?」

と、声をかけられた。

俺はその時初めて、その人の顔を見た。

見れば、今日の部活動紹介で壇上に上がっていたもう一人の生徒に似ている。と言っても、会場で彼女の顔がよく見えたわけではなかったし、ショートヘアであることや装い、あとは雰囲気でなんとなく判断しただけなのだが。


「あぁ、まぁはい。えっともしかして、壇上で話されていた先輩ですか?」

「うん、そうだよ。よかった~、人違いじゃなくて」

その人は俺の反応を受けて安心した様子を見せた。


「こんなところで立ち話するのもあれだし、ちょっと座って話そうよ」

そう言って彼女は自然な流れでベンチに腰かけた。


「少年も座りなよ」

「え、でもこのベンチ、今にも壊れそうですけど…」

「なんだよ、君は華の女子高生に重いって言いたいの?」

「いやいやそういうわけじゃないですよ!もちろん!」

「あはは!わかってるよ。まぁこのベンチは私が1年生のころから座ってるけど、壊れそうで壊れないから、大丈夫!」

「本当に大丈夫なんですか…」

「まぁまぁ。とりあえず座ったら?」

「はい…」


促されて、俺はようやっと腰を再び落ち着けた。

やはりミシっと鳴り、2人で座っているという状況も相まって、安心して座れない。そんな俺の胸の内などつゆ知らず、彼女は話し始めてしまった。


聞けば、彼女は美術部の現部長で、3年生。大学受験のことを考えて、そろそろ卒部しようと思っているのだという。


「うちの部はね、秋の文化祭に展示する作品を作り上げてから引退する人が多いの。やっぱりそこを目標に頑張る生徒が多いんだよね」

「そう、なんですか。でも先輩は、もう引退を…?」

「うん。部活はもうおしまい。今週末に、市立美術館で高校生の作品が展示される展覧会があってね、そこに応募する作品が春休み中に完成したから、キリがいいなとも思ったんだ。君を熱心に勧誘してたあの子──莉佳ちゃんに話したら、せめて1年生が入るまでは部にいてください~って泣きつかれちゃってさ。困ったもんだよね」

困ったような笑みを浮かべながら言う彼女の顔からは、莉佳への親愛がうかがい知れた。それは、先輩後輩という上下関係からくるものなのだろう。


「君は美術部に入ってくれるのかな?」

「いや、まだわからないです。中学の頃も、絵なんて美術の授業でしか描いたことなかったですし。そんな俺が、部活として絵を描くなんて…想像つかなくて」

「そっか。でもまぁ、私がいなくなった後に莉佳ちゃんが一人であそこで絵を描いていると想像すると、先輩として心が痛いんだよね。だから、ちょっと考えてみてほしいな、入部を」

「っ…そんな勧誘、ずるくないですかぁ…?」

「あっははは!そうかもしれないね、ははは!」


部長はきっと、こんな話をすれば俺は断れないと見越して勧誘をしてきたのだろう。小賢しいな、とは思ったが、少しだけ背中を押されたような気もした。


ほどなくして電車がやってきて、俺たちは共だって乗り込んだ。

先輩が座るそぶりを見せなかったので、俺もすぐ隣に立つことにした。


「少年はどこで降りるの?」

「次で降ります。先輩は?」

「私は4つ先だよ。今日はもうお別れになっちゃうけどさ、美術室にはたまに顔出すかもしれないから、よろしくね」

「わかりました、入部についてはもう少し考えてみます」


俺の答えを聞いて、先輩は満足そうに笑った。


その後は、ただ無言で電車に揺られ、俺は自分の家の最寄りで降りた。

別れ際、先輩は俺に手を振って別れを告げた。


その手で、どんな絵を描いてきたのだろう。


降り立ったホームで、風を受けた。


振り返ったところには、山がそびえる。


(先輩の名前、聞きそびれたな)


そんなこと考えてもしょうがない、と俺は首を振って歩き出した。

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