第63話 ****が見ている②


「お前ら席付けー。朝礼するぞ~」



 今日も何1つ変わらない1日が始まる。朝のルーティーンを済ませ淡々と授業をこなし、書類に忙殺されそうになりながら蒸し暑い体育館でバレーボールの練習に励む生徒たちを眺めて帰るだけだ。あっという間に時間は過ぎていき、放課後になった。1日の授業が終わったというだけでどっと疲れが押し寄せる。


 部活顧問といっても、部員たちにつきっきりでないといけない訳では無い。そもそもこの学校の女子バレー部は強豪でも特別指導に熱心な訳でもないため、それなりの練習さえしていればがっつり見てやる必要はない。それに、授業で使うプリントや小テストを作ったり、テストの採点や会議に時間を割く必要は必須だ。そのような理由で、小野が溜まっていた事務作業を片付けるべく机に向かっていた時だった。視界の端でこちらに歩を進める生徒の姿が見えた。


 

「小野先生、学級日誌です」


「あぁ。日直、ご苦労様。」



 小野を訪ねてきた女子生徒の名は日村真由。白い肌に、さっぱりとしたショートヘアが良く似合う生徒だ。クラスの中で目立つタイプの性格ではないが、勉強もスポーツもそこそこにできるため友人には困っていないらしいというのが小野の印象だった。そして、顧問である女子バレー部の部員であり、必然的に同じ時間を過ごすことの多い生徒であった。



「これから部活か?」


「はい。」


「そうか、なら部長に伝えておいてくれ。俺は今日忙しいから顔を出せそうにないって。体育館の鍵は俺が閉めるから、片付けが終わったら特に報告なしで帰っていい。」


「わかりました。伝えておきます。先生も事務作業頑張ってくださいね。」


「おう有難う。じゃあな。」



 ぱたぱたと去っていくその後姿を見送り、再びパソコンに向かい直す。中間考査まで1か月を切っている。そろそろテストを作らなければならない時期だ。過去の問題用紙を探し出して問題を考えておかねばいけない。集中しすぎていたのか、気が付けば19時をまわっていた。生徒は帰る時間である。息抜きもかねて、施錠のために第二体育館へと向かった。



 ――夜の学校というものはどうしてこうも不気味なのだろう。窓から見える月はぽっかりと夕闇に姿を現していて、まるで黒い画用紙を鋏で丸く切り取ったかのようだ。早くしないと真っ暗になってしまう。第二体育館までは、校舎を出てから少し歩かなくてはならなかった。


 第二体育館はまだ明るかった。中に入ると、明るさとは裏腹にしんと静まりかえっていた。道具もきれいに片付けられていたので、きっと皆帰ったのだろう。そう思い、体育館中の窓が施錠できているかを確かめていく。警備員も見回りに来るのであるが、以前近所で変質者の目撃情報があった為に一度チェックするよう呼びかけられていたのである。騒ぎは鎮火したが、それ以降気にするようになっていた。

 小野は女子更衣室の前で立ち止まる。誰もいないのは判っているが、念の為に扉をノックして「入るぞー」と声をかけた。当然返事はなく、更衣室にある窓の施錠を確認するために引き戸を開けた。


 むわっと、更衣室に立ち込めていた汗と制汗剤の混ざった「女子」の匂いが流れ出て、思わず小野は顔をしかめた。



「くせぇ」



 思わずそう呟いてしまったが、実のところ臭くはないのだ。ただ、彼にとって、嗅ぎ慣れないあまりにも異質すぎる匂い。噎せ返りそうなその甘い空間の先に、目的の窓がある。ピンク色のカーテンを捲り、鍵がかかっていることを確認すると、換気のために引き戸を解放したまま体育館を閉め職員室へと戻った。












 小野は帰路に就く車の中で1日を振り返る。これは、彼が教育実習生だった時から続いていいる習慣だった。もっとも、当時は車を持っていなかったので地下鉄に揺られながらだったが。今日の授業はあまり良くなかっただとか、教頭に叱られただとか、そんな事を思い出しながら明日の自分に繋げようと一人脳内反省会をするのだ。


 ――結局、21時まで粘ったがテストの問題作りは進まなかった。理由は1つだ。分かりきっている。女子更衣室に足を踏み入れてからずっと、脳内を悶々とした欲求が渦巻いていたからだ。更衣室の匂いなんて今まで何度も嗅いできた。(誤解を招かないように言うと、毎日施錠チェックしているのだから必然的に嗅ぐことになる)それがどうだ、今日に限って頭をやられてしまった。早くこの熱をどうにかしたくて堪らなかった。自然とアクセルを踏む足に力が入る。逸る気持ちの中スーパーに寄り、割引シールのついた総菜とビールを適当に購入して帰宅した。






 


「あの動画どこ行った?」



 小野は、買った総菜たちを冷蔵庫に入れることすらせずにまっすぐパソコンの前に座った。先日見つけた、あの盗撮動画。あれだ、あれが観たい。動画サイトを漁るも、自分としたことが動画を保存するのを忘れてしまったようだ。



「あぁクソ……」



 もはや何でもいい。検索欄に「盗撮 JK」と打ち込み、あの動画のテイストに似たサムネイルをクリックした。

 内容は酷いものだった。明らかに本物じゃなくて、企画ものだ。リアルのJKはこんなに肉付きがよくないし、フリルのついた際どい下着を履くことは無い。おまけにどこからかやってきた男優と本番まで始まってしまった。――馬鹿が、野郎お前邪魔なんだよ。企画者は何が粋かが分かっていない。


 動画に対するダメ出しが止まらない。それでも中途半端に昂った自身を慰めるのを止められなかった。












 


 ――果てた後のクリアな脳で思考する.


結局あの動画はどこに行ってしまったのだろう?消されてしまったのかもしれない、ならば惜しいことをした。サムネイルが似ていると思って観た動画もハズレだった。いやしかしこの広い世の中にはきっとあの手の動画があるに違いない。現代は誰しもが映画監督や人気配信者になれる時代だ。それに、あの動画の投稿者が新たに動画を投稿してくれるかもしれないじゃないか。それを気長に待つか?……いや、違う。いつになるかも分からないし二度と投稿してくれないかもしれない。でも、あぁ――




 そして小野はある1つの答えに辿り着いた。


 






 


――そうだ、自分で撮ればいい。被写体なら腐るほどあるのだから。

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