第60話 メジャーリーガー大山の秘密③
「えぇ。とっても気になります。……正直に答えて頂けますか?」
エイダは大山の目を真っすぐ見つめた。それは正々堂々正面から現実に向かい合おうとする彼女の覚悟の表れでもあった。グリーンの瞳に映る彼の目もエイダをしっかりと捉えている。だが、その黒曜石の瞳には確かに困惑と猜疑心が見えた。
「……正直にって……。僕、お腹がストレスに弱いからお手洗いに行っているだけですよ。お恥ずかしい事に。」
「本当かしら」
「……どういうことですか?」
大山は、これが只のインタビューではない事に気付いたようだった。先程までの和やかな雰囲気は消え去り、一触即発の緊張がスタジオに満ちている。ここまで執拗に追及してくる者なんて一部のメディアくらいなものだ。あるいはわざと怒らせるような質の悪い質問をすることで、自分のイメージを損なわせる悪質なテレビ番組に出演させられたと彼は後悔しているのかもしれない。
「率直に言いましょう。貴方はとある儀式を行いにベンチ裏へ姿を消すのではなくて?」
「意味が分からないです。」
大山は露骨に顔をしかめた。大好きな彼にこんな不愉快な思いをさせているという事実に、エイダは胸が締め付けられる。今すぐにでもこの場から、仕事の責任から、逃げてしまいたい――だがそれを財団が許すはずも無いだろう。あぁ、なんてストレス。緊張で腹が痛むのをエイダはやり過ごす。
「貴方がホームランを量産できるのは、その儀式を行っているからではありませんか。貴方がホームランを打つ試合では、ネクストバッターズサークルに立つ前に必ず姿を消すことが確認されています。……現に、貴方が通学していたハイスクールのコーチがこの儀式を知っていた。彼が貴方ほどの才能ある選手に伝授しないなんて有り得ないわ。貴方の成績は彼の名誉になるのですから。」
エイダが全てを吐き出し切ると、大山の強張った表情が次第に緩み、吹っ切れるかのように微笑んだ。黒だ。とエイダは確信した。
「……どうやら、全て知っているようですね。……どうするつもりです?この事をテレビで流すつもりですか?」
その言葉は肯定の意を示していた。彼は自身が儀式を知っていることを認めたのだった。正直なところ、エイダは彼が儀式の動作を知っていようが知っていまいが最後まで否定されるものだと思っていただけに呆気に取られてしまった。無論、彼が一切儀式の事をしらないことを心のどこかで祈っていたのであるが、ここまで潔く認められるとかえって悲しくもないものだ。
「いいえ。安心して。このくだりはカットよ。そもそも、今はカメラも回っていないわ。マイクだって、音声を拾っていない。」
大山がカメラマンであるチャーリーを見ると、チャーリーは両手をカメラから離して、大山にアピールして見せた。
「――じゃあ、何のために?」
何のために。――エイダは頭を逡巡させるが、適切な答えが思い浮かばない。まさか、財団に指示されたからなんて責任の無い事をいう訳にはいかないからだ。そもそも、財団の存在は秘匿されなければならない。この数の財団職員の中、「財団が」なんて言おうものなら、それはまさに愚の骨頂である。匿名の財団職員から上層部に報告され、やっと手に入れたこの地位を失う事になるだろう。ひとしきり悩んでひねり出した返答はこの上なくチープだった。
「…………。正義の為よ。」
正義の為。エイダは自分の口から発せられたその言葉の意味をもう一度考えた。今までSCP財団の仕事を正義の秤に乗せたことなど一度も無かったからだ。何故なら、財団の行動は全て人類の恒久的平和に捧げられていると信じて疑わなかったからである。そうじゃないと、今まで仕事としてやってきた行動の正当性が揺らいでしまうじゃないか!――エイダはその時、過去に起きたことを思い起こした。
一昨年、ニューヨークのサウスブロンクスに蔓延るマフィアを買収して大規模な抗争を起こさせたことがあった。(カバーストーリーを流布させるために必要なことだった)たしかあの時は激しい銃撃戦により一般市民を含む16名が死傷した。罪あるものも罪なき者も同様に銃の前では平等な一つの命に過ぎないという事が良く分かる仕事だった。また4年前、財団本部に居た頃、Dクラス職員を何人も実験に利用し命を浪費したかもしれない。(でも、これは必要な事よね?)
そう、あれもこれもすべて正義の名のもとに行ってきたのだ。
「正義ですか。じゃあ儀式を知っている僕は悪者ってことだ。……確かに、知らない方が良い事を知ってしまった僕は悪者なのかもしれませんね。僕はどうなるんです?なにか罰を受けるのかい?」
「その儀式の記憶を消させてもらうわ。……あなたは……罰って程でもないけど……決まりなの。」
「……良かった。どうやって記憶を消すのか分からないけど。」
「え?」
エイダは耳を疑った。聞き間違いで無ければ「良かった」と目の前の男は言った。記憶処理を受ける対象がそんなことを言うなんて起こり得るだろうか。
「気が軽くなります。これで……野球を心から楽しめるようになります。」
「……それでいいの?」
「……ええ。世の中には知らない方が良い事があるって、まさしくその通りです。僕はずっと気掛かりでした。……今僕が打ち立てている記録が、不正によるもののような気がしてならなかった。自分の実力である筈なのに、実はそうじゃないんじゃないかって、ずっと心に引っかかっていたんです。記憶が消せるのなら、喜んで受け入れましょう。」
そう語る彼の表情はどこか清々しかった。傍にいた音響助手が彼に歩み寄るとクラスC記憶処理薬が入ったボトルを彼に差し出した。茶色の小瓶の中で液体が揺らめいている。
「これは?」
「魔法の薬よ。それを飲めば儀式の事を忘れられるわ。……大丈夫、変なモノじゃない。」
「十分変な代物だけどね。いただきます。」
彼はそう言うとおどけたように笑った。そしてそのキャップを捻ると豪快に一気に飲み干した。その直後、彼は瞼を静かに閉じてソファにくったりと沈んだ。記憶処理剤を服用したことによる副作用だ。10分もすれば目を覚まし、特定の記憶はきれいさっぱりと消えているだろう。気を失った彼の姿を直視できず、エイダは口元を覆いながら目を背けた。
「あぁ……ごめんなさい……!許して頂戴、タツヤ……!!」
「おい、エイダ!どこ行くんだよ」
チャーリーの呼び声を振り払うように彼女はスタジオを飛び出した。
後書き
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author: watter12
Title: SCP-439‐JP -ホームラン量産法-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-439-jp
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