第55話 あなたの声で⑧
この任務での最後の砦である阿比留さんが自ら捜索に行くということはあってはならない――私は直感的にそう思った。
「私が行きます!阿比留さんはここに残るべきです。」
それならば、私が行く方が何倍もマシだろう。初めての外現場で、なおかつ未熟な技術の下っ端なら、阿比留さんに比べてまだ命が軽い。これは私が自分自身を卑下して言っているのではなくて、客観的に見て合理的な考えだ。阿比留さんは紳士的な人だから女である私が任務に行くことを渋るだろうが、そんなことは関係ない。
「井上クン、それは……」
「いいえ、行かせません。恐らく、機動部隊の戦闘がそろそろ落ち着く頃合いだと思いませんか?私、外現場は初めてです。未熟な私が車に残るより、経験豊富な阿比留さんが残って対応する方が遥かにこの任務の成功率を上げる選択だと思います。私はこの……ええと」
ちらりと彼の顔を伺うと、会話の流れから察してくれたのか「隅田です」と機動部隊員の男は名乗った。
「……隅田さんと、連れて行かれた方を探しに行きます。その場で容体を確認して、まだ救える可能性があれば連れて帰って処置します。無理そうなら、いったん諦めてすぐにここに戻ってきます。それならどうでしょうか?」
「……本当に大丈夫かい?君は戦えないだろ?」
医療チームは基本的に非武装だ。エージェントや機動部隊みたいに戦闘の訓練を受けた訳でも、サバイバルの知識がある訳でもない。従って、Scipと対峙したとて対処ができない事を彼は指摘しているのだが、それを覆す一手がある。
「そうですが」
地面に落ちていた銃を手に取る。
「これがあります。」
それはScipに襲われた機動部隊員の男が持っていた銃だ。手に取ると想像より冷たくずっしりとしている。銃は近代において最も多くの人を殺した兵器だ。か弱い女子供でも、自分より強大な相手に打ち勝つことが出来るチャンスを与えてくれる。(アメリカなどではその手軽さ故、銃を使った犯罪が多いのも事実であるのだが。)阿比留さんは私の覚悟と決意を汲み取ってくれたのか、それ以上の説得を止めた。
「……危険を感じたらすぐに帰ってくるんだよ。隅田さん、彼女を頼む。」
阿比留さんが隅田にそう言うと、彼は深々と頭を下げた。
「承知しました。……相棒の捜索にお付き合い頂いて感謝します。彼女……ええと」
「井上です」私は隅田にそう名乗る。
「……井上さんは必ずお守りします。」
隅田は胸に手を当て、嘘偽りの無い誓いの言葉を述べた。レベルC化学防護装備でほぼ顔は見えないが、ゴーグルから覗く誠実そうなその瞳で、真っすぐ阿比留さんの目を見た。「あの~……」そんな空気に割り込むような情けない声が出た。
「ところで、悪いんですけど……銃の使い方、教えてもらえませんか?」
銃なんて、初めて触ったものだから。そりゃあ使い方なんて分からないわけで。空気を読めない子で申し訳ない、と思いつつ隅田に銃を掲げて見せた。
あれだけの巨体で湿った森を動き回れば、痕跡が必ず残るというのが隅田の自論だった。彼が見ているところを私も目で追うのだが、何の変哲もないように見えてしまう。彼は持ち前の観察眼と探知能力で目ざとく痕跡を見つけてみせた。(地面と木の幹がポイントらしい。)それは天性の才能なのか、はたまた財団職員になった後に鍛え上げられたものか定かではないが、いずれにせよ特殊能力と言って差し支えない程見事な追跡能力であった。従って、私は隅田の後を大人しく付いて行くのみだ。
「あの、Scipに連れて行かれた方を相棒と仰っていましたけど……。長い付き合いなんですか?」
逃げ去ったScipの痕跡を辿りながら、隅田と会話を交わす。
「……吉野は同期で、偶然同じ隊に配属されたから仲が良くて。プライベートでも飲んだりしてました。」
「そうなんですか。……少し羨ましいです。そんな同期がいるなんて。」
自分で言ったくせに「同期」というワードに少し胸のあたりがモヤついた。なに、気にすることは無い。隅田と私とでは入団時期も環境も、きっと入団理由だって違うのだから。そう言い聞かせて自分を宥めた。
「まぁ……有難い存在ですね。精神的に支えてくれますし、競い高め合う事ができる仲間がいるってことは恵まれた事なんだなって。今、特に実感していますよ。」
「ご本人に言ってあげたら喜ぶんじゃないですか?」
「いやいや、気恥ずかしくて言えませんよ……。」
男の友情なんてそんなもんです、と隅田は付け加えたが、いまいち私には「男の友情」というものが理解できない。そもそも男女では脳の造りが違うから、ものの考え方が違うという研究結果が出ているほど思考に差があるのだ。別に理解してほしいとは思わないが理解しようとも思わない。友人に素直に感謝を伝えることが出来ないなんて、良く分からない。つくづく男とは不思議な生き物である。そんな、業務とは関係の無い事を考えていたその時だ。隅田の足が止まる。
「?どうかしましたか、隅田さん。」
「シーーッ!何かいる。……子供?」
隅田が指を指したその先には、裸同然、ぼろきれのような衣類を身に纏った子供たちが団子状に何かに覆いかぶさるように群がっていた。その異様な様子はスズメバチを自らの体温で蒸し殺さんとするミツバチを想起させた。
「こんな森の奥に?人里から相当遠いけど……。」
「おい、君たち!一体どこからやって来た?ここは今危険で関係者以外立ち入り禁止になっているから、悪いが家に帰ってくれるか?」
隅田の呼びかけに反応したのか、その子供たちは一斉に私達へ視線を向けた。一番小さな子供で幼稚園児くらいだろうか。大きい子でもせいぜい小学校低学年といったところか。何故子供だけでこんなところにいるのだろう?
まるでこの世の穢れを知らないようなつぶらな瞳をしているのに、子供たちのその顔は浅黒く汚れ、髪は伸びっぱなしのゴワゴワ。一体いつから風呂に入っていないのだろうか。いや、それよりも彼らの口元から胸元に掛けての赤い汚れにぞっとした。顔中を赤く汚して、くちゃくちゃと何かを咀嚼している。
「聞いているのか?……君たちのご両親は?」
「…………。」
いくら問いかけても返事が無い。言葉を理解していないのだろうか。私は対策会議での赤城のとある言葉を思い出していた。そして、この不気味な子供たちの正体に合点がいったのである。
「隅田さん……その子たち……多分幼体ですよ。アノマリーの子供!」
重要事項をなぜすぐに思い出せなかったのだろう。私たちの標的であるScipの幼体は人間の姿をしているとお達しがあったじゃないか。
ヒトと両生類のキメラのようなあのおぞましい姿になるとは想像しにくいが、報告書の繁殖についての項目にしっかりと記録が残っているから、紛れもない事実だ。
「ねぇそれ、何を食べてるの?!」
子供たちが貪り喰っていたそれが露になると、隅田は悲鳴を上げた。横たわる男は服装で機動部隊員だと分かるが、体中を食い千切られており、小さな歯型が無数に付けられていた。そこにあったのは、ヘルメットごと頭部の潰れた目も当てられない遺体だった。
「うッ……なんてこと……!!」
「あぁ……吉野、こんなになっちまって……!」
「……隅田さん、彼はもう助けることが出来ません。……一旦車の所まで戻りましょう」
「いや、待ってください。吉野をこのままこいつらの餌になんかさせねぇ。ここでこいつらは処理します。」
「……でも、人間の子供の姿を……。」
「人間の姿をしているからと言って躊躇しちゃ駄目ですよ。こいつらの正体は、貴方も分かっているでしょ。人間を喰うガキなんて、バケモンに決まっています。……下がって。」
隅田が子供たちに向かって銃を構える。子供たちは私達から敵意を感じ取ったようで、ぱっかりと口を開けて一斉に喋り出した。
こわい。やめて。おとうさん。おかあさん。たすけて。
あぁ、なんておぞましい。何故そんな悲哀に満ちた声色を出せるのだ、この化け物は。どこでその言葉を学んだのだろうか。今まで食ってきた人間が最後に言った言葉なのか、親のScipが教えたのか。どちらにせよ胸糞悪い。
バババババ、と連続した銃声が木霊す。隅田が撃った銃弾は彼らに命中し、彼らは絶命する最後まで同情を誘う言葉を吐き続けた。正体はScipだと分かっていても見ていて気分の良いものではなかった。
「……戻りましょう。親のScipが潜んでいるかもしれないから気を付けて。」
「……そうですね。阿比留さんのもとに早く戻らないと。」
漂う死臭を後に、私たちは阿比留さんの待つ車へと戻るのであった。
後書き
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author: sinema
Title: SCP-939 -数多の声で-
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-939
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