第54話 あなたの声で⑦

 阿比留さんは車の窓を開けて、外で警護にあたっていた機動部隊員に声をかける。


 

「君達!通信を聞いたか?奴らが来るかもしれない。車の中に入るんだ!」


「有難うございます。ですが……俺達は貴方達を守る仕事を与えられていますから。戦わずして安全なところへ身を隠すことなど出来ません。」


「そんな事言ってる場合ですか!」


「俺達がその車に乗るのは怪我を負った時だけです。有難う。お気持ちだけで十分です。」



 そう言うと彼らはくるりと背を向け再び警戒態勢に直った。彼らには彼らの矜持があるのだろう。私ももし患者が医療を待っている状態で、安全なところに逃げろと言われて逃げてしまったとしたらそれは職務放棄と取られても仕方がない。それと同じなのだろう。それに、彼らは財団にとっての剣であり盾である。相手に背中を見せる事は、私たちが思うよりずっと重い意味があるのかもしれない。いや、それでも死なれては困るのだが……。そう思う気持ちを押し込め、彼らの気持ちを尊重することにした。そうしたやりとりがあって少し経った頃だった。



「……何なの、この感じ。」


 

 途端、沈黙していた森が騒ぎ出す。――不快だ。直感でそう思った。具体的に何が不快なのか分からない。気持ちが落ち着かないというか、地に足が付かないというか、とにかく嫌な感じだ。先程まで鳥の鳴き声1つしなかったというのに、森のどこかでザワザワ、きゃあきゃあと得体の知れない音が鳴っている気がする。報告書にはこのScipが人を不快にさせるなんて記述は無かった。実を言うと直接アノマリーと相対したことが無いから分からないが、Scipとは総じてこういうものなのだろうか。



「…………。」



 嫌な汗が毛穴から滲む。不安で阿比留さんの表情を伺うと、彼も緊張しているのか、見たことの無い固い表情で辺りを見渡している。



 ――助けて!!助けてくれ!!



 スピーカーから男の悲鳴が流れてきた。突然、大声がしたものだから2人して驚きビクリと跳ね上がってしまった。



 ――痛い、痛い!死にたくない……!



 機動部隊員だろうか。誰かが悲痛な声で何度も助けを求めている。



「…………ッ」



 情けないことに、怖くて声が出ない。この声の主は、一体、スピーカーの向こうでどのような状況なのだろう。バクバクと心臓が鳴っている。自分の鼓動が聞こえるほどだ。やっとの思いで口にしたのは、先輩への同意を求める言葉だった。



「あ、阿比留さん……。彼、助けに行った方が……良いんですよね……?」


「……いや、何かおかしい。それに僕らへの指示が来ていないから勝手な事はできない。」


「で、でも……。」


「井上クン、よく聞いて」



 ――ぐぇあ、あッ……助け、タス……た、たタス……タスケテェ



 こんなの、聞いていられない。今まで、何度も医療現場で大の大人の悲鳴を聞いてきたので自分には耐性があると思い込んでいたが、どうやら自惚れだったようだ。この悲痛な声は胸に直接刺さるほどに鋭利だ。



 ――こちらバイタルチェック班!機動部隊員、前田氏の死亡確認。通信機能を停止させます。



 その声を皮切りに、助けを求める声はぷつりと途絶えた。



「え……?」


「……通信機が生きたまま彼は亡くなったんだろうね。Scipに悪用されたな。」


「そんな……。!い、今からでも処置をしたら蘇生できたり……!!」


「できたとしても。彼がここまで運搬されてくることが条件だ。僕たちは勝手な意思で動くことは出来ない。ここは病院のようなものだよ。病院は動かないだろう?最上隊長とバイタルチェック班は彼を死亡したと判断した。そうなったら、彼に注力するよりも他の人を優先しろって事だよ。」


「…………。そう、ですか。」



 それから何度か、助けを求める声が聞こえてきたが、その度にバイタルチェック班の死亡通知連絡によって彼らは死んだことになっていく。耳を塞いでしまいたい。死者への冒涜を何度も目にしているようで遣る瀬無い気分だった。未だ坑道内では激しい戦闘が行われている。何故私達への指示が来ない。指示を出す余裕もなく彼らは戦っているという事なのだろうか?

 この間にも、何人が傷付き、死に瀕しているというのに。焦燥感ともどかしい気持ちで平常心が乱されていく。


 ふと、視界の端、藪の中で何かが動いた。警備の機動部隊員がそちらに銃を向ける。



「……いる!」



 何かが藪から飛び出し、機動部隊員目掛けて飛び掛かった。赤い、ぬめり付いた体躯に凶悪な顎、大きな爪。おぞましい外見に見合った攻撃的な性格。我々が殲滅すべきアノマリーそのものだ。坑道から逃げ出してきた個体に違いない。



「出たな野郎!」



 発砲音が辺りに響き渡る。彼らはScipに銃を撃ちまくった。Scipの柔らかい皮膚に次々と穴が開けられていく。その穴から体液が噴き出し、ぼたぼたと零れ落ちた。奴らには生き物が本来持つべき臓器が無いので致命傷を与えることは極めて難しい。それでもあまりの銃弾の多さに堪らず、金切声をあげながらScipは地面に倒れ伏した。その手足の末端部が痙攣している。――まだ生きているかもしれない。機動部隊員は生死を確認する為、近寄り、数発弾丸を打ち込むとそいつはぶるぶると震えた後、完全に動きを停止した。緊張から解き放たれ、ほぅ、と安堵の溜息を吐いたその瞬間。彼らの背後から別の個体が1人に襲い掛かった。丸呑みするかのように頭部を咥え込むように噛みつかれ、頭蓋骨をその鋭利な歯で噛み砕かれたのか、はたまた奴の呼気に多量に含まれるAMN-C227によってか彼の身体は弛緩し、だらんと両腕を垂れさせた。握力を失った手から銃が滑り落ち、ガシャンと大きな音を立てた。



「吉野ーーッ!!ぶっ殺してやる!!」



 仲間を討たれ激高した男が銃口を向けるが、咥えられた彼の身体が邪魔でScipを撃つことが出来ない。下手に撃つと彼に当たってしまうからだ。「……クソッ!!!」悪態をつきながら、チャンスを伺っているうちに、Scipは彼を咥えたまま踵を返し、森の中へ逃走を始めた。その背中に数発弾丸を打ち込むも、逃走を阻むことは叶わず逃げられてしまった。



「待ちやがれ、クソ、クソ……!くそったれ!!そいつを置いていきやがれッ!!」



 しかし彼を追う事はできない。警備指示が下っているこの状況でこの場を離れることは出来ないからだ。それを分かっている男は肩をがっくり落とし、とぼとぼと車まで戻ってきた。



「相棒が……。死んじまった。すみません、俺一人だけど貴方達は命に代えても守って見せますから……。」


「まだ亡くなっていないと思います。」



 阿比留さんがそうはっきりと断言すると機動部隊員の男は信じられない物を見るかのように目を見開いた。誰がどう見たって、あれはもう助からないと口を揃えて言うだろうが阿比留さんは違った。



「彼、ヘルメットをしていたし致命傷を免れているかもしれない。何より流血が見られなかった。多分、意識を失っているだけだ。……今追えば、間に合うかもしれない。」


「いや、でも……。貴方達を置いていくわけにはいかない。」


「僕が君と行く。井上君は安全な車に残るんだ。」









後書き

この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。


Author: sinema

Title: SCP-939 -数多の声で-

Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-939

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る