審判:SCP-1608に関する重要参考人

第42話 少年Sと空飛ぶクジラ①



「ん~?あんた見ない顔だねぇ。新人さんかい?」



 有坂は車椅子に乗った年配の女性と、その車椅子を押すショートヘアの女性の会話に耳を澄ます。


 

「えぇ、本日よりお世話になります。"日村"と申します。よろしくお願いいたします。」


「おほほほ、お世話になるのはあたしの方だよ。」


「嫌ですわ、お上手。」


「「おほほほほ!」」



 日村と名乗る彼女こそ、有坂の先輩である橘世那である。SCP財団にCクラス職員として雇用されて以降、彼女が教育係として有坂の指導をしてきたのだ。だが彼女の指導は厳しく、第一に体を鍛えることを強要された。毎日財団に併設されているジムに通わされ、業務の合間にはみっちりと礼儀や一般常識を叩きこまれた。とはいえ、彼女の言動からして彼女の持つ"一般常識"が本当に一般的かは怪しい。



「なーにがおほほほ、だよ……。」



 新人の有坂から見ても、彼女はあまり潜入捜査に向いていないように思われる。ぎこちないというか、ステレオタイプを勘違いしてるというか、とにかく演技がヘタクソなのだ。これで世間一般に溶け込む必要のあるフィールドエージェントを目指しているというから心配である。


 

「婆さんや、今日の昼飯は何かのぉ?」


「浦川さん、僕は"田川"ですよ。お昼は今食べてますよ。」


「んぁ?なんて??」



 かくいう有坂も、介護士として今日から老人ホームに潜入している。スプーンにペースト状の食事が盛られているが、スプーンを握るその老人の手は痙攣しており、自力ではまともに口に入れる事すらできない。振動でペーストがぼたぼたとこぼれ落ち、前掛けを汚した。震えるその手に有坂は自分の手を添えて老人の口に食事を運ぶ。


 

「僕は田川ですよ~」



 こんなことが任務だなんて、Cクラス職員というのはなんと過酷なのだろうか。


 ここは東京都のとある沿岸部の高級老人ホームである。一般的な老人ホームと比べて桁違いに高額な入居費が必要な分、入居者はありとあらゆるサービスが受けられる。利用者にはホテル並みに立派な個室が与えられ、館内のカラオケルームや理容室、エステサロンは自由に使い放題という悠々自適っぷりだった。入居者のご老人達も皆小綺麗な身なりをしており、この老人ホームがいかに格の高いものかが分かる。


 そんな老人ホームに有坂と橘はある任務の為派遣されていた。


 昼休憩に入る頃には、有坂達は疲労困憊でぐったりとしていた。周りに人がいないか目を光らせながら支給された弁当を摘まむ。




「介護士ってやつぁもっと楽なもんだと思っていたぜ。」



 有坂がごちると、橘が呆れたように口を挟んだ。



「どんな職業だってしんどいものでしょ。あらゆる職業に敬意を払うことだな。」


「いや、舐めてるわけじゃないけど。けっこう肉体労働なんだなーって。頭が下がるね。」


「日本はこれから少子高齢化が進む。医療技術の発展で高齢者が増える一方で出生率は右肩下がり。……介護士はこれからもっと重要な職業になるだろうな。」



 俺には向かないな、なんて思いながら有坂は唐揚げ弁当を頬張った。



「それはさておき。なぁ、センパイよ。本当にこんなとこに例の人物がいるの?」


「しっ……声量を落とせ。どこで聞かれているか分からないんだから!」



 周りを見渡すが、食堂はがやがやと騒がしく、各々の会話や食事に夢中で誰も2人の事を気にしていないようだった。注目されていない事を悟ると橘は小声で有坂に耳打ちする。



「……それは間違いない。渋谷邦夫氏は財団が昔からマークしているからな。重要人物の居場所や行動は常にトラッキングされているんだ。彼は……1928年から監視されているな。」


「90年以上?そんな昔から?」


「そうだよ。……おっと、こんな時間。もうすぐ休憩時間は終わりだな。急いで食べなきゃ。」



 残りの弁当を掻き込む。ゆっくり食べたいところだが仕方がない。介護士をしながら財団職員をするとなると、休憩時間でさえ仕事の一端なのだから。



 昼食後2人はターゲットである渋谷氏の入居する個室を訪れた。一般の部屋でも高額だと言われるこの老人ホームの中でも最も入居費用が高い部屋に彼は暮らしているらしい。重厚かつ飴色の立派なドアが2人を出迎える。ドアの1つをとっても上等であるが部屋のつくりがそもそも他の部屋とは明らかに違う。橘はこほん、と咳ばらいをしドアをノックした。


 

「渋谷さーん。検査のお時間ですよ。」


 

 ……。



 返事がない。ドアに耳を当て、中の環境音に耳を澄ませたが物音ひとつ聞こえない。2人の脳裏に最悪の事態がよぎる。



「失礼します!!」



 鍵は掛かっていない。ドアを勢いよく開けるが、そこはもぬけの殻だった。ベッドにも、トイレにも、風呂場にも。彼の姿は見えない。


 

「いない!?データによるとこの時間は部屋にいる筈なのに!」


 

 通りかかったスタッフの女性に慌てて尋ねると、あぁ、また?と困った表情を浮かべた。



「渋谷さん、徘徊癖があってね、外にいつの間にか出て行っちゃうんです。」



 どうやら渋谷氏の無許可外出は日常茶飯事らしい。それでも、車椅子に乗っている彼にとっては道路やスロープは危険なものになりかねない。もし歩道の縁で車椅子の車輪が躓いたら?――ちょっとした怪我でも老人には致命傷になることもある。任務を全うするまで彼を死なせるわけにはならない。

 


「大変じゃないですか!僕、どこに行ったか探しに行ってきます。」



 有坂が探しに行こうとすると、女性はそれなら、と付け足す。



「多分いつものところですね。」


「いつものところ?」



 ほら、と彼女は廊下の窓の外を指差した。


 


「岬の灯台跡地です。」




 












 老人ホームの南西に、太平洋を一望できる岬がある。老人ホームから岬まで10分足らずで到着できた為、目立つ姿の彼を発見するのは容易かった。岬に向かって緩やかに坂になっており、坂の根元で車いすに乗った老人がちょこんと小さくうずくまっていた。坂を登れず途方に暮れているのだろうか。有坂はその老人の寂しい背中に話しかけた。


「渋谷さん、こんにちは。僕は介護士の田川です。風邪をひくので部屋に戻りましょうか。」


「……。」


 

 老人の浅黒い肌には深い皴が刻み込まれ、垂れた瞼の隙間から覗く眼球も、白く煤けているようだった。返事が無いので良く聞こえないのかと思いもう一度声を掛けようとすると、もごもごと何かを言っている。耳を澄ませてやっと聞こえるほどの小さな声で。



「……仕事が……。」


「…………お仕事ですか?」


「……そう、そう……。遅刻だ……。早く行かねぇと……。」




「センパイ、仕事に行かなきゃって。……この爺さん、ボケてるよ。」


「コラ言葉に気をつけろ田川!」



 橘に睨まれ、肩をすくめた。事前に貰ったファイルには認知症が進んでいると記載されてあったが、ここまで重症だとは思いもしていなかった。当の昔に彼は仕事を引退した筈だ。仕事だなどと妄言が過ぎる。


 


「兎に角老人ホームに連れて帰ろう。本当に風邪をひきそうな寒さだ」


「いや、ちょっとまってセンパイ。」



 有坂は渋谷氏の耳元に向き直り、大きな声ではっきりと問い掛けた。


 

「渋谷さん、お仕事はどこでやってるの?」



 すると老人は震える手で岬の先を指刺した。



「……あそこの灯台……。」



 目を凝らすが建物はおろか灯台など見えない。先程の女性スタッフの話だと灯台は老朽化の為十数年に取り壊され、今では基礎の石組みが記念に残されているだけらしい。それでもこの老人は必死に何かを訴えているようで、橘にはその姿が哀れに見えた。


 

「……田川、岬に連れて行ってみないか?」


「……うん、俺もそうしようと思ってた。坂の先に何かあるのかも。」



 有坂は車椅子を押し、岬の先端を目指した。車椅子を押しながら、その軽さに驚く。人は年老いるとこんなにも小さくなるものなのだろうか。いつか自分や親だってこんな風に……。


 はて、俺の親って?誰だったっけ?


 ――考える間もなくいつの間にか坂を上り切っていた。

 坂の上は広場になっていた。開けた土地に枯れた草が生い茂っている。吹き付ける冷たい潮風に薙ぎ倒されつつも懸命に大地に根を張っていた。枯れ草を掻き分けると、ぐるりと円状に並んだ石が露わになった。おそらくこれが灯台の基礎である。かつて漁師達を見守っていた灯台は手入れをされていないのか寂れきっていた。

 渋谷氏は、そこに灯台が無いことに戸惑っていた。



「……ここにあった筈なんだけれど……。」


「渋谷さん、お仕事って何してたの?」


「……空をな、飛ぶんだよ、鯨が……。それをな、見張ってんだ……。」



 有坂が横目で橘を見ると、こくりと頷いた。決定だ。やはり、渋谷氏には記憶処理を施す必要がある。


 関係者によるSCP財団に関する情報の漏洩はご法度だ。彼の認知能力が下がったことにより、彼は財団やScipの情報を一般人に漏らす危険性がある。有坂たちはその判断をするために派遣されたのだった。



「……それから?」


「それから……。それから…………。」



 老人はその濁った瞳で空を見ながら、かつての仕事が何だったかを必死に思い出そうとしていた。

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