第26話 波・少女ありて②
ここはプノンペンだろうか?
キャンプ地とは打って変わって近代的な建造物が、橋で繋がった離れ小島に所狭しと建ち並んでいる。平たい家屋が主なカンボジアで、この高層ビル群はまるで異世界の様だった。
湿度の高い闇夜の霞に、高層ビルの窓から漏れる灯りや店舗の煌びやかなネオンサインが眩く乱反射している。
「……ダイヤモンドアイランド?そんな、まだ建造中のはずじゃ……。」
橘はこの場所の立地に見覚えがあった。プノンペンの東側を流れるメコン川から分岐したバサック川沿いで開発が進められている、ダイヤモンドアイランドだ。中国資本による開発だと噂で聞いた通り、中国語で書かれた看板が目立つ。
だが橘が知っているそれはまだ工事用の重機が犇めく、赤褐色の土が剝き出しの工事現場に過ぎない。果たしてこれほどまでに発展した都市だっただろうか?
夜だというのに辺りには現地のカンボジア人や東アジア系の人々が行き交い、賑わいを見せている。ひと際高いビルの外壁には、デジタルクロックで21:10と表示されていた。
夢の中というのは、自意識と切り離された領域にあるものだ。だが、この夢はどうだろう?かなり鮮明な意識を持っているような気がする。自分が特になんの目的もなくこの地にいることを橘はぼんやり分かっていた。
そんな訳で、行くあてのない橘は繁華街に向かって歩いてみることにした。道路脇に立ち並ぶ看板はクメール語で書かれたものの他に中国語や英語の看板も見られ、外国からの観光客を意識しているのだった。
暫く歩くと、カラフルなイルミネーションが施された観覧車が遠くに見えた。近付いてみると、これまた電飾の見事なメリーゴウラウンドにジェットコースターといったアトラクション器具が備わった大きな広場があり、多くの人が時に絶叫しながら楽しんでいた。
橘も楽し気な空気間に感化され、胸を躍らせながら広場を散策していたその時だ。
どこかで怒声が聞こえたかと思うと、今まで見てきた楽しそうな光景は一変し、辺り一帯は突然パニックに陥った。
群衆はダイアモンドアイランドから脱出しようと、本土と島を結ぶ橋目掛けて我先にと押し寄せた。すし詰め状態のそこかしこから罵詈雑言や悲鳴があがる。
「うぅ、暑い……!ちょっと!やめて、押さないでよ!押すなってば!」
見渡すばかりの人、人、人。橘は大勢の人間の波に飲まれ、身動きすら取れなくなっていた。集団の先頭がつっかえているのか、全く進む気配がしない。隣の人の息遣いや体温が分かるほど密集し、不快極まりない。東京の満員電車以上の過密空間だ。
あちこちで人が転倒しそれを踏み越えるしかなく、人が潰されていく一方で、胸部を圧迫されて呼吸困難に陥った人がその場に倒れ、その場に将棋倒しができるなど、大混乱だった。
「あ、やば……!」
橘も例外ではなく、後ろから途轍もない力で押し倒され、前にいた婦人を巻き込みながら地面に倒れた。
「うぅ…っ!!」
橘の体には数十人、もしくはそれ以上の数の人間の体重がかかり、声を上げる間もなく肺が潰れた。さらに、後ろから流れ込んできた群衆が彼女の体を踏み付けながら通過していく。踏み潰される度、体のどこかの骨が折れる音がした。頭を踏まれ、首が捩れる。
「……痛……ッ」
意識が遠のいていく。目はもう視えないが、人々の悲鳴だけがずっと聞こえていた。
そして__彼女は事切れた。
【あとがき】
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author: KanKan
Title: SCP-1586-JP - 津波警報 -
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-1586-jp
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