第18話 懐かしや逃げ水②
水溜まりの底は、暑かった。
「…俺、生きてる…。」
有坂は倒れながら混濁する記憶を辿る。財団から逃げて、標識に虐められ、そして水溜まりを踏み抜いた筈である。だとすればここは水溜まりの中なのだろうか。しかし呼吸ができているのだから水中では無いことは確かである。さっきまで酷い雨が降っていたというのに眼前には雲1つない抜けるような青空が広がっていた。
「どうなっちゃってんの?」
暑さの正体は、照り付ける太陽だった。真夏日ばりの日差しが降り注ぎ、地面のアスファルトは灼けている。だが、人の声はおろかセミの鳴き声すら聞こえない。あらゆる生物が息絶えているかのような、恐ろしいほどの静寂が満ちている。有坂は体を起こし、辺りを見回した。
「…あはは、趣味悪ぃーな…。」
有坂はその土地に見覚えがあった。母の実家がある、九州の田舎だ。
街中への交通は少々不便だが、住人はとても多かった様に思われた。山を切り崩し巨大なアパートが数棟立ち並び、その隙間を埋めるように一軒家が密集して建てられたニュータウンである。山の麓には海が広がっており、よく海水浴をしたものだった。有坂が最後に訪れたのは、小学校4年生の夏休みで、母に連れられて弟と一緒に田舎の夏を満喫したのを覚えている。
しかし、何故思い出の場所に飛ばされてしまったのか意味が分からない。これが現実なのか、幻なのかそれさえも分からないのだ。それに、一緒に水溜まりに落ちた筈の堀江の姿が見当たらない。先に起きてどこかへ行ってしまったのだろうか。何にせよ、ずっと座り込んでいる訳にはいかない。有坂は起き上がり、散策することにした。ひとまず、辺りを見渡せる筈のみどり公園を目的地に決めた。
「うわぁ、懐かしいな…えーと……そうそう、マサちゃん家だ」
道を歩いていると赤色の屋根が印象的な家が見えた。その家は母の同級生の家で、そこの子供であるマサルと、夏の帰省している間虫取りやゲームをしてよく遊んだものだった。彼はまだこの家に住んでいるのだろうか。あの頃の様にインターホンを押して、「マサちゃんいますか?」と言えば彼は会いに出てきてくれるだろうか。
……冷静に考えると、暫く顔を合わせていないから自分の事を覚えていないかもしれないし、田舎から都会に出てしまってもう住んでいない可能性だってある。何より、罪を犯した自分が彼を訪ねるのは何だか気が引けた。有坂が家の前から立ち去ろうと踵を返したその時だった。
―いらっしゃい……。
遠くの方から有坂を招く声が聞こえた。マサちゃん家のドア越しに、ほっそりとした声で確かに呼ばれたのだ。有坂はドアにぴったりと耳を押し当てる。
―いぃ、い、いいらっしゃ…―
やはり、聞こえる。どもったようなその声は有坂には何故か懐かしい声の様に感じられた。たまらずインターホンを押し、あの頃の様に彼を呼んだ。
「……マサちゃん?…翔馬だよ」
―しゃ…。おいで、おいでよ…。―
「いいの?じゃあお邪魔します。」
有坂はドアを開けると、そこは深淵だった。ぬったりとした闇が、有坂を求めて声を上げているのだ。だが不思議と彼は恐怖心を抱かなかった。そこはまるでぬるま湯のように自分を包んでくれるようでとても優しい。最初から自分の居場所だったように実に快適そうな所なのだ。親しい人がいて、楽しくて、温かい、友達の家。
何の違和感も抱かずに有坂は闇に足を踏み入れようとした。
【あとがき】
この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。
Author: ZeroWinchester
Title: SCP-194-JP - 水溜まりの中の世界 -
Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-194-jp
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます