第12話 もう一人の観客④

「D-0419、無事ですか!?」


 橘の声とともに勢いよくドアが開いた。

 すると、まるで最初から何も無かったかのように、奴は忽然と姿を消した。スクリーンでずっと静止していた老婆もようやく動き出し、音量もごく一般的な大きさに戻った。今までの出来事が夢か幻かのように思われたが、耳と足から滴る血が現実だったと如実に語っていた。

 有坂が放心していると、橘は廊下に置かれたカメラの三脚のような機械を指差した。



「…スクラントン現実錨です。…SCP-199-JPの精神干渉性にもっと早く気付くべきでした。貴方を危険な目に遭わせてしまいました。申し訳ありません」


橘はそう言うと深々と頭を下げた。


「…あいつは……?」


「劇場内に私が踏み込んだことでSCP-199-JPは消失しました。…またこのあたりの劇場で現れると思いますが。兎に角、今晩の脅威は去りました。貴方のお陰です。」


「…ふざけるなよ」




有坂が静かに怒りをあらわにする。



「…ッ」


「死にかけたんだぞ。SCP財団ってのは俺みたいな犯罪者使ってこういう事やってんだな?え??ろくでなし連中が。人の命を何とも思っていないことがよく分かったよ」



 有坂の気迫に圧され、橘が一瞬怯む。だが負けじと言い返す。



「……。そう、ではありません。確かに、Dクラス職員にはSCP財団の仕事は過酷かもしれません。でも、全ては人類をSCPから守るために必要な事なんです。今夜の貴方の業務だって、人の命を救う事に繋がっています。」


「俺が誰かを救った?こんな訳分からない行為で?」


「ええ。貴方や他のDクラス職員がこの役を引き受けなければ、一般人が襲われていました。…私達SCP財団には、命を賭してでも人類を守る責務があるのです。貴方は立派にやり遂げました。」


―橘、喋りすぎだ。戻ってこい。



 エージェント:シグマから釘を刺され、橘はハッと我に返る。熱くなってしまったことを恥じ、目を泳がせた。



「…すみません、エージェント:シグマ。すぐに戻ります。さぁ、D-0419も行きましょう。立てますか?」

 足を負傷したうえに耳をやられたせいで平衡感覚がおかしくなっているのか、うまく立てない。有坂が歩けないと判断した橘は、有坂を背中におぶって作戦室まで戻ることにした。一方有坂は、小柄な女性におぶられると思わず焦るのであった。



「おい、歩けるってば。下ろしてよ。」


「駄目です。怪我人は大人しくしてなさい。」


 有坂は頑固そうな橘の様子に下ろしてもらう事を諦めた。きっとこういうタイプの人間は、いくら言ってもなかなか聞き入れてくれない。。



「……もういいや……それにしてもすごいな、背負えるなんて。俺重いでしょ?」


「コツがあるんです。このくらい平気ですよ。」



 橘の背中で揺られながら、彼女の事を考えた。自分よりもはるかに小さいこの背中に、大きな使命と正義感を背負っているのだろう。一体何が、この女性をそこまでさせるのだろうか。


 有坂が他人に興味を持ったのはこれは初めてだった。



「……さっきは酷い物言いして悪かったな。」


「気にしないでください。慣れていますから。」


「なぁ、お姉さ…橘ちゃん、また一緒に仕事する機会があったらよろしくな。」


「なに、もう終わった気でいるんですか?今から貴方は最寄りの病院で応急処置を受けるのです。その後は日本支部に戻って貴方の治療手続きと報告書を書かなきゃいけないんですからね。帰るまでが仕事ですよ。」


「はー、仕事熱心だねぇ。」



 帰りの車の中、深夜ラジオが流れる車内で疲れ果てた有坂は泥の様に眠るのであった。





「1日目で出現するなんてラッキーでしたね」


「そうだな……俺としては出張をもう少し楽しみたかったがな。」



 真夜中のハイウェイ。帰りの車内で、橘たちは他愛無い会話をしていた。


「先輩。そういえば、D-0419はどうして1枚目の扉を開けることが出来たんでしょうか?彼のデータには確かに逃走罪の常習犯だということが記載されていたので、鍵開けが得意だということは分かるんですけれど…。あのドアはSCP-199-JPの精神汚染の影響で恐らく他の干渉を受け付けない物に現実歪曲されていました。エージェント:裕子による破壊も受け付けていませんでしたから…。何故彼の鍵開けは通用したんでしょう。」


「分からんな。奴さんの気まぐれかもしれんし、考えにくいが鍵の一部はSCPの影響を受けていなかったか…。あるいは、D-0419が特別なのか。」


「…特別なDクラス職員が?」


「過去にも例はある。Dクラス職員が鍵開けの技術を持っていて、SCPに囚われた一般人の解放に貢献した事例とかな。まぁそいつは多分とてつもなくラッキーだったに過ぎないだろうがね。とりあえず、今回の事例は細かく報告書に上げておけ。」


「わかりました。……あーあ、今夜は徹夜ですね」


 橘はそうつぶやくと、白んでくる西の空を眺めた。



【あとがき】

この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。

Author: grejum

Title: SCP-199-JP - もう一人の観客 -

Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-199-jp

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