第11話 もう一人の観客③

「なぁ、音が大きくなっていってないか?」


―…音響スタッフ……てみる。


「なんて言った?聞き取れない…」



 音声は明らかに大きくなっている。無線の声さえ聞き取れないほどの爆音が劇場の空気を乱暴に揺らした。



―音……弄ってい…いそ…だ


―エージェント……グマ。廊下に映画の音声が漏…いるのが確認でき…!ものすごい音量です!!


「うるせぇ頭が割れるッ!!何とかしてくれ!!!」



 爆音が容赦なく有坂に襲い掛かる。脳みそが揺れ、耐えきれずに耳を押さえながら蹲る。耳の穴から垂れてきた血が、手のひらを生暖かく濡らした。


 

―エー……ント:シグマ、やっぱりド…破壊します!


―待て、早まるな―――――


 ドア2枚を隔てた廊下で爆発音がした。それは劇場内の映画の音声にかき消され非常に小さな物音の様に感じられたが、映画鑑賞中の観客にとっては集中を妨げる音であったのには間違いない。


 

―ダメ、開かないわ

 


 それまで流れていた爆音がピタリと止んだ。そして、観客は有坂の方を見ていた。そいつには目がないのに、確かに有坂は目が合ったように感じた。


 

「……見てる…っ」



 ”観客”は有坂を認識すると、小刻みにぶるぶると体を震わせながら緩慢な動きでゆらりと立ち上がった。顔の半分を閉めそうなほどの大きな口がにんまりと開かれ、そこから見える黄ばんだ歯同士が震えるたびにカチャカチャと音を立てた。


 

「あいつに見られてる!!くそったれ、さっさとドアを開けてくれ!!」


 ―D-0419、落ち着け!

 


 ドアを乱暴に引っ張り開けようとする有坂をエージェント:シグマが声をかけて宥める。そうしている間にも、そいつは右足を引き摺りながら有坂めがけて近寄ってきている。



「仕方ねぇ」


 有坂は財団脱出の為に作っておいた小さな金属板を舌の裏から取り出した。



―D-0419、それは何だ。何をする気だ?


「脱出すんだよ!」



 ドアの鍵はサムターン式で、つまみを捻ると鍵が開く仕様になっている。だが、つまみを捻っても開かない事は何度も試して分かっていた。有坂は、鍵の周りを覆っている金属のカバーの隙間に隠していた金属板を捻じ込む。それから、左右にぐにぐにと動かし、タブを引っ張りながら捻る。



―無理だ!逃げろ、まだ間に合う!


「うるせぇ、黙ってろ!」



 そして、思い切り右に捻る。――ガシャン。鍵が開いた。



「やった…もう一枚」


―開いただと?バンガロール爆薬筒でも壊れなかった扉が?



 喜ぶのも束の間、ずりずりと足を引き摺る音が有坂の背後に迫っている。廊下側のドアの鍵も同じサムターン式なので、同じ方法で開錠しようと有坂はドアに縋りついた。手汗で金属板が滑って指先から逃げる。



「クソ、焦んな…!」



 何とかカバーの下に金属板を捻じ込むことが出来た。__だがほんの少し間に合わなかった。観客は彼の真後ろに立ってじっとりと見下ろしていたのだ。そしてきひ、と笑い有坂の左足を掴むと、林檎を握り潰さんが如く指をめり込ませた。有坂は痛みに絶叫する。


「離せっ!離せったら!!」


 ”観客”は奇声を上げ、80kg近い有坂を引き摺りながらスクリーンに向かって走り出した。このままスクリーンに叩きつけられるのだろうか?有坂の脳裏に死がよぎる。咄嗟の出来事すぎて走馬灯すら浮かばないが、何も築き上げて来なかった自分に相応しい。



―D-0419!!


 あぁ、俺はもう駄目かも知れない。きっと、俺もあの物言わぬ死体になってプールに浮かべられるのだ。いいや、利用価値が無い俺は焼却炉行きに違いない―。


有坂が覚悟を決めたその時だった。




【あとがき】

この作品はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンスに基づき作成されています。

Author: grejum

Title: SCP-199-JP - もう一人の観客 -

Source:http://scp-jp.wikidot.com/scp-199-jp

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