第6話 刑事課のヌシ

「俺が倉田を引き留めておくから、その間に警部補に……」

「分かった。任せておけ」

「仕損じるなよ? これには俺たち全員の……が、かかってるんだからな」


 倉田刑事からまきば学園のお話を聞かせてもらった翌日の朝です。

 今日はお天気も良く爽やかな朝のはずなのに、なにやらきな臭い会話が聞こえてきましたね。


 3日前にアヤシイ企みをしていたふたり――土屋刑事と坂田刑事――が、いよいよ何かを決行するようです。

 私は陰謀が存在することを知らせようと、一生懸命、倉田刑事に目配せしました。

  

「倉田、ちょっと手伝ってくれ」

「はいっす」


 あ……。


 私の努力も空しく、倉田刑事は坂田刑事に呼ばれて出ていってしまいました。

 すかさず、土屋刑事が新里警部補に歩み寄り、何やら話しかけます。


「さすがに、それは無理だ」

「そこを何とか…。警部補だけが……なんです」

「そもそも、ついこの間……だろう?」


 声を潜めて話しているので、会話の内容がところどころ聞き取れませんね。

 それでも、新里警部補が当惑しているらしいのは、その表情からうかがえます。

 刑事課のエースをあんな風に困らせるなんて、土屋刑事はいったいどんな無理難題を持ちかけたのでしょうか?


「無理を承知でお願いしてるんです。我々を助けると思って」


 両手を顔の前で合わせる「拝みポーズ」で土屋刑事が言うと、新里警部補はやや呆れたような表情を見せました。


「大袈裟だな……。ところで、倉田はどこに行った?」

「さあ…。便所じゃないですか」


 土屋刑事が白々しいセリフを口にした時、倉田刑事が戻ってきました。


 そして、そのまままっすぐ土屋刑事と新里警部補のいる方に歩み寄ります。

 新里警部補がなにやらトラブル(?)に巻き込まれているのを、その表情から読み取ったのでしょう。


 いつものように爽やかな笑顔を浮かべていますが、被疑者を見るような鋭い目を土屋刑事に向けています。


 まるで、飼い主の危機に駆け付けるワンコのようです。


「土屋刑事、なにやってんすか? 先輩は忙しいんで、話なら代わりに俺が聞いときますけど」


 土屋刑事は話に割りこんできた倉田刑事ではなく、倉田刑事の引き留めに失敗した坂田刑事の方を睨みました。

 睨まれた坂田刑事は、そしらぬ顔をしてその場から離れていってしまいました。

 どうやら土屋刑事と坂田刑事の結束は、そこまで強くないようです。


「俺の警部補昇任祝いを口実に、また飲み会をやりたいそうだ」


 呆れた表情のまま、新里警部補は言いました。

 いつもは優しい新里警部補ですが、こういうときには甘い顔を見せません。


「口実だなんて、そんな……。オレたちは純粋に警部補の昇任を祝いたくて――」

「先輩をダシに使えば、課長も副署長も首を縦にふるだろうって、目論んだんっすね」


 土屋刑事の言葉を遮って、倉田刑事は言いました。

 相変わらず爽やかな笑顔ですが、目つきがますます鋭くなっています。


 え? 飲み会をやるのに課長や副署長がどう関係するのかですって?


 実は数週間ほど前、隣県のとある警察官が酒に酔って暴力沙汰を起こす、という非違事案が起きてしまいまして。

 暴力沙汰と言ってもケガ人が出たわけではなく器物破損だけなのですが、それでも不祥事に変わりはありませんので、全国の警察職員に飲み会自粛令が出されてしまいました。


 その結果この仲竹警察署では、飲み会をやるには所属課長および副署長の許可が必要になってしまったのです。

 断片的に聞こえて来た「迷惑」とか「吞まなきゃやってらんねぇ」の意味が腑に落ちました。

 

 そういう状況ですから、土屋刑事と坂田刑事は飲み会の許可ほしさに新里警部補の昇任を口実にしようと企んでいたのですね。

 

 なんていじましい陰謀なんでしょう……。


 それに警部補の昇任祝いの飲み会は、昇任研修の前にやったばかりですしね。

 新里警部補が呆れるのも無理はありません。



「倉田、例の件はどうなってる?」

「警部補、あの…昇任祝い――」

「書類は全部、そろってます。チェック、お願いしまっす」


 しつこく食い下がろうとした土屋刑事をシッシッと手で追い払いながら、倉田刑事は言いました。

 先輩に対して失礼な行動ですが、仕方ありませんね。

 倉田刑事の「先輩」は、新里警部補だけなのですから。


 新里警部補と倉田刑事は検察に提出する書類のチェックを始め、ふたりに軽くあしらわれた土屋刑事は渋々といった表情で引き下がりました。


「問題ないな。必要事項が過不足なく盛り込まれているし、形式上の不備もない」

「やったー。3時まで頑張った甲斐があったっす」


 書類の出来を警部補に褒められて、倉田刑事は満面の笑みを浮かべました。

 両耳をピンと立て、フサフサの尻尾をブンブン振っている姿が誰の目にもはっきり見えるかのようです。


 喜色満面のまま、倉田刑事は水の入ったコップを持って私の方に歩み寄ってきました。

 それを、新里警部補が呼び止めます。


「あまり水をやりすぎるなよ」

「…え? うちの学園では、毎日欠かさず水をやれって……」

「それは花壇だからだろう。鉢植えは水をやりすぎると根腐れを起こしかねない」


 さすが新里警部補。


 検挙数ナンバーワンの刑事課のエースであるだけでなく、事務処理能力も高くてなんでもできるミスター・パーフェクトだけあって、鉢植えの花の手入れにも詳しいです。


 そうなんです。

 倉田刑事は毎日欠かさず私に水をくれる優しさがあるのですが、多すぎて困っていたところなんです。

 それをどうやって倉田刑事に伝えたらいいのか悩んでいたのですが、新里警部補が解決してくれました。


「さっすが先輩。なんにでも詳しいんすね」

「俺だって何でも知っているわけじゃないが、そのスミレは『刑事課のヌシ』と呼ばれるほど長くこの部屋にある鉢植えだからな」

「へえ…。スミレってそんなに長生きなんすね」


いや、と首を横に振って、新里警部補は続けました。


「寿命の短い宿根草だから2,3年で根まで枯れてしまう。だから毎年、花が咲いた後に種を取っておいて、寿命がきたら種から育てなおしているんだ」


「ここに赴任してきた時、『新入りの最初の仕事はスミレさんの世話だ』って課長に言われたんすけど、そうやって代々、受け継がれてきたんすね」


「ああ…。皆がそうやって守り、受け継いできた鉢植えだ。大切にしてやらないとな」

 微笑を浮かべ、新里警部補は付け加えました。


「はいっ!」

 元気よく、倉田刑事が答えます。


 あのふたりの仲の良さは、傍で見ていて気持ちが良いくらいです。


 ……それでも。

 


 新里警部補には、倉田刑事にも話していない秘密があるのです。



 以前は「先輩の為なら死ねます」が口癖のようだった倉田刑事が、ある時を境にその言葉を口にしなくなったのはその秘密が関係しているのですが。


 そのお話は、また別の機会に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スミレさんの事件簿 BISMARC @bismarc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ