第5話 まきば学園

「時代の趨勢すうせいってやつなんすかね」


 倉田刑事のぼやきが、私を回想から引き戻しました。


 倉田刑事や、倉田刑事の奥さんになった菜月さん。そして、今は故人となった琴音さん。

 彼らが育った児童養護施設まきば学園が、なくなってしまうという悲しいお話に戻ります。


「まきば学園みたいに何十人かの子供が同じ建物で育って、大きな風呂に一緒に入って、大部屋で一緒に食事して…っていうのは『家庭的じゃない』から、規模の縮小化を推進するってお達しが厚生労働省から出されて。

 で、それに合わせてもともと老朽化していた建物を建て直すって話が出たらしいんだけど、費用が足りなくて」


 私立の児童養護施設には法にのっとって公費が支給されますが、それだけでは不十分となる場合もあるため、不足分に関しては寄付に頼ることになるのだと、倉田刑事は私に説明してくれました。

 そしてまきば学園への寄付金はもっぱら前の学園長だった倉田清さんが集めていたので、倉田さんが亡くなってからは運営費にも事欠くようになったのだそうです。


「で、結局、費用捻出のためには土地を売るしかないってことになって。

 だから『まきば学園』っていう社会福祉法人は残るけど、俺や菜月が育った建物も、遊んだり先生たちと一緒に手入れしたりした庭や花壇も、何もかもなくなるんだ…って」


 呟くように静かな口調で、倉田刑事は続けました。


「俺はみんなで一緒に風呂入ったりワイワイ言いながら飯食ったりって結構、楽しかったけどな…。

 厚労省が推奨するグループホームとかの生活は知らないから、そのほうが『家庭的』だって言われても反論できないんだけど……」


 悲しそうに目を伏せて、倉田刑事は言いました。

 普段が明るく元気なだけに、倉田刑事のそんな姿を見ると、私まで悲しくてやりきれない気持ちになります。

 せっかく、大好きな先輩が昇任研修から戻ってきたばかりだというのに……。


 あ。


 それで思い出しました。

 土屋刑事がなにやらアヤシイ企みをしているらしいのです。

 悲しんでばかりもいられません。


「…ま、決まったことでグタグタ言ってても仕方ないんで、気持ち切り替えて頑張りますか」


 いつもの爽やかな笑顔に戻って、倉田刑事は言いました。


 やっぱり倉田刑事はそうでなきゃ。


 かつて新里巡査が刑事課のオジサマたちの偶像アイドルだったように、明るく元気な倉田刑事はむさ苦しくなりがちな刑事課の、一服の清涼剤なのですから。


 ……あ。


 なんて私が考えているうちに、倉田刑事はパソコンをシャットダウンして部屋を出ていってしまいました。

 午前3時ですからね。

 仕事が終われば帰るのは当然です。

 でもまきば学園の悲しいお話に浸っていたせいで、土屋刑事の陰謀疑惑を伝えるタイミングを逸してしまいました。


 さて、どうしましょう……。

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