56:どけ! 俺は婚約者だぞ!
――寒い……。
椅子に座ったシャノンは裸足の足をなるべく地面につかないように浮かせて擦り合わせる。
ここには暖炉がない。衣服も最低限のものしかなく、石作りの部屋は外気の冷たさを容赦なく伝えてくる。
シャノンがこの部屋に移されて三日が経った。
その間、これまであった授業や修練はさせてもらえず、ほぼ監禁状態といっていい。
食事も冷めたスープに硬いパンだけと、これまで質素だと思っていたものが豪華に思えるようなものになった。
なぜこんな扱いを受けているかといえば、それは自分の考えが甘かったからだと言わざるを得ない。
それはいくつもあって、まず一つは神殿を――大神官エヴァリストにも矜持があると信用してしまったこと。
二つ目は人の命を尊いものだと考えるのが当然と、誰しも思っていると勘違いしてしまったこと。
この部屋に入れられている間、様子を見に来たジェラルドから聞いた。
神殿は星典の教えを広める組織であると同時に、魔法を研究することもその目的であると。
そして、この国の主要戦力である霊獣――その召喚において、いかに強力な種を呼び出すかが今後の王国の命運を決めるのだと。
そのためには神殿は手段を選ばない。
シャノンの力の本質は他者の魔力に干渉することのできる力らしい。
本来ならば不可侵である他者の霊核に働きかけ、その力の上限を底上げする。それにより本人では成し得ない力や、治癒をさせることができる。
これを利用すれば、王国の戦力は飛躍的に向上するのだと。
そのために神殿へ協力すれば地位は約束される。
そう語ったジェラルドは、最後にため息をついた。
『余計な詮索をせず、巫女様はご自分の力を開花させることにご尽力ください』
ジェラルド自身はシャノンに対し、こんな扱いをしたくない。
そんな風に彼は苦い顔をして言った。
そんなことを言われても、シャノンは神殿の非人道的なやり方には賛同できない。
事を知らぬ誰かを犠牲にして、利益を得ようとするその邪悪さをシャノンは受け入れることができない。
それを言ったところジェラルドは目を伏せて――。
『その気高さも巫女様故、なのかもしれませんな』
と、去っていった。
気高い? 大人に利用され、こんな狭い部屋で凍える自分が?
本当に気高い人は、こんな風になっていないだろう。自分は自分の我儘を通すためにここに来て、そして失敗した。
自分は特別だという意識が少なからずあって、それに甘んじてしまったのだ。
シャノンは情けない今の自分の姿を恥じていた。
こんな姿はウィナやフィロメニア、ましてやクレイヴにも見せられないだろう。
助けてと叫びたい。
けれど、今の自分を見てほしくはない。
そんな風にシャノンの心が委縮する。
だから、今のシャノンは両手を握りしめて、足が凍傷にならないように擦り合わせるしかできない。
そんなとき――。
「ニ? ここかニィ?」
突然聞こえた声に、シャノンは遠く離れていた意識を呼び戻される。
首を巡らせて声の方を見ると、それは高い位置にある小窓から聞こえていた。
そして寒さに固くなった体をなんとか動かして、窓に近づくと。
「ニ! 元ご主人様発見ニ!」
窓から顔を出したのはサニィだった。
「サニィちゃん……!?」
「ニィ! よいしょっ……」
名前を呼ばれて元気よく返事をしたサニィは、そのまま頭を窓に突っ込んできた。
小さな窓だ。通れるわけない。
そうシャノンは思ったものの、サニィは器用に体をくねらせる。
そして液体を思わせる体の柔らかさで、見事に部屋の中に入ってきた。
「どうしてここに?」
「ご主人様に言われて仕方なく来たニィ」
ふふん、と言葉とは裏腹に、サニィは薄い胸を張る。
その仕草と、久しぶりに会えた知った顔に思わず笑みが零れて、シャノンはサニィの頭を撫でた。
「ありがとう……。サニィちゃん。でも、私はここから出れないの」
「ニィ……? ニャんで?」
小首を傾げるサニィに、シャノンは顔を伏せる。
「だって……見て、私の恰好。みすぼらしいでしょ? 神殿を変えるなんて言って飛び込んだのに……巫女様なんておだてられて、それでこんな格好、みんなに見せられない」
「ニィ……よくわかんないニ」
サニィはさらに首の角度を傾けた。
「……どうして?」
シャノンはわかってほしかった。
どうして素直に助けてと言えないのか。
どうしてあのとき、ウィナの手を取らなかったのか。
すべては友達として、みんなと肩を並べたかったからだ。
立派な一人の学友として、助けられるだけの側でいたくなかったからだ。
だが、サニィにはそんなシャノンの心の内など理解できないだろう。
ほら、また誰かに甘えている。
シャノンが自分の胸を抑えながら、黙っていると――。
「だって元ご主人様はもとからそんな感じニィ」
「――え?」
思わず声が出た。
シャノンが目を白黒させていると、頬に指を添えながらサニィは続ける。
「会った時から
「ね、寝ぐせは仕方ないもん……」
はたと思って髪を触ってみると、確かにちょっと乱れ気味だった。
急いで手櫛で整えるが、サニィの口は止まらない。
「あとなんか動きがどんくさいニ。字も汚いニ」
「サニィちゃんだって字は汚いでしょ!」
「ニィはベンキョーしなくていいもんニ」
気にしていたことをズバズバと言われて、シャノンは憤慨して言い返す。
そうして、気づく。
今も学園にいたときも、自分は変わっていないとサニィは言った。
でも、そんな自分と仲良くしてくれていたのが、友人たちだった。
「別に誰も気にしないニ」
サニィは言う。
そうだ。それが私だった。
勝手に比べて、勝手に羨んで、勝手に自分に失望していたのだ。
私は私のままでいい。
サニィだって、ありのままの姿で自由気ままに過ごしている。
取り繕っていたのは最初だけで、雇い主がウィナになってからはよく学園のベンチで昼寝をしている。
自分は自分を巫女という存在に縛っていたのかもしれない。
そう考えると、シャノンは委縮していた心が賦活するのを感じた。
そして、飽きたのかしゃがみ込んで欠伸をしているサニィに話しかける。
「サニィちゃん」
「にゃぁ~ニィ?」
「ここから出たいの」
「仕方ないニィ」
サニィはメイド服のポケットをまさぐると、針金と何かの工具を取り出すのだった。
◇ ◇ ◇
「どけ! 俺は婚約者だぞ!」
「ですから、巫女様はご多忙のためお会いできません。お引き取りください」
やっぱり「婚約者だから」という一点のみで会うのは難しいようだ、と騎士に詰め寄るクレイヴの背中を見てアタシは思う。
そもそも二人はまだ婚約どころか交際もしていないのだが、かれこれ三十分くらいはこの問答をしている。
それでも一向に神殿側が態度を崩さないのは、よほどシャノンに会わせたくない理由があるんだろう。
これはサニィとセファー頼みかな、とため息をついていると、視界の端に四角いウィンドウが現れた。
『やぁ我が君。面白いものを見つけたよ』
セファーだ。
姿を現さないところを見ると、まだ神殿を探索しているらしい。
アタシはなんだろうと思い、後ろを向いてウィンドウに目をやると、セファーの顔から何かの風景に切り替わる。
それはパッと見て金属で出来た球状の物体で、正面には何かの紋章がついていた。
アタシはそれに既視感を抱く。
『あれ? この模様って……』
『気づいたかい?』
小さいウィンドウに現れて、その中でセファーがにやりと笑った。
アタシは相変わらず問答をしているクレイヴたちからは見えないように左袖をまくる。
そして、その腕輪の表面を見た。
『アタシの腕輪と同じ模様じゃん……』
『偶然の一致、ではないだろうねぇ。これは【
『あー……ディアナのときになんか言ってたわね?』
『そう。先の件の大量の霊獣……明らかに異常な召喚状態。あれを作り出したのはこれに違いないだろうねぇ。あのときの召喚状態はある意味で我々と酷似している』
『どこらへんが?』
聞くと、ウィンドウの中でセファーが肩をすくめる。
『【
『なーるほど?』
『まぁ上辺だけを真似した結果か、それとも霊獣の性質上か、我々と同じ結果にはならなかったようだ。だが、そうした実験をやっているんだろうねぇ。ここでは』
やっぱり、神殿は黒なのかもしれない。それもちょっと闇が深いとかじゃない。真っ黒だ。
これは早々にシャノンを学園に戻さないといけないかもしれない。
ジルベールたちには真正面から突っ込むなと言っておいてアレだけど、アタシは今からでも突撃しても良い気がしてきた。
『それから朗報だ。君の子猫がヒロインと接触した。どうやら監禁されているらしい。今は扉の鍵の開錠を試みているよ』
『手癖が悪くて良いこともあるもんね』
サニィはメイドとしては三流だが手先の器用さは一流だ。
育ちが悪いにしては字が書ける辺り、ただ適当にマリエッタに拾われたというわけではないらしい。
さて、そしたらどうやってシャノンを回収しようかな。
アタシは振り返って、声も表現の大袈裟になってきたクレイヴを見た、そのとき。
「わっ」
「うお!?」
――何かの爆発音が大神殿のある渓谷にこだました。
地面が揺れるほどの大規模なものだ。
騎士たちも何事かと慌て始め、クレイヴは表情をいつもの冷静そうなものにして周囲を見渡す。
「どうどう」
アタシは驚いた馬が逃げないよう手綱を握り、フィロメニアの傍に控えた。
「なんだ?」
「わかんない。セファー?」
腰の細剣に手をかけるフィロメニアに聞かれ、アタシが相棒を呼ぶと、ウィンドウに目を細めたセファーが映る。
『神殿が襲撃されている。何者かはわからない』
『シャノンは無事?』
『爆発の場所からはだいぶ離れているよ。しかし、これは――』
言いかけた瞬間、遠くで甲高い鈴のような音が聞こえた。
アタシはその音に覚えがある。
同じく気づいたクレイヴと顔を見合わせた。
「行け! ウィナ!」
名を呼ばれた瞬間、アタシの体が【
そして、アタシとクレイヴは音の方向へすぐさま駆け出すのだった。
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