49:ドッペルゲンガー
帝国――神星シュタリア帝国の土地は王国からやや北に位置している。
そのためか、すでに暖炉には火が焚かれ、廊下のガラスには結露した雫が滑り降りていた。
ここはラウントリー辺境伯の屋敷だ。
フィロメニアにあてがわれた部屋の前で彼女を待っている間、冷たい風の吹く外の風景を見ながらアタシはシャノンを思う。
大神殿は以前、フィロメニアと共にここへ逃げ延びたように、ラウントリー辺境伯の屋敷から遠くはない。
着の身着のまま連れ出されたシャノンは凍えていないだろうか。
何か怖い目に合っていないだろうか。
難しい選択を迫られていないだろうか。
考えれば考えるほど、アタシは「ウィナちゃーん!」と助けを求めてくるシャノンが目に浮かんで、ため息をつく。
そうじゃない。シャノンは自分の意志で神殿に行ったんだから。
シャノンはか弱いだけのヒロインじゃない。あれでも中身は強情だ。一度決めたことをやり通すくらいの意志は持っている。
心配ばかりしているのも彼女に失礼だ。
アタシはそう考え直すように顔をぶんぶんと振ると、後ろの扉が開いて声がかけられた。
「行くぞ」
フィロメニアだ。
帝国産の暗めの青のドレスに、いつもよりチークを薄めにしたメイク。
派手さよりもその場所に馴染むことを目的とした外見に、アタシは頷く。
「うん。良い感じ」
「そうか」
最後にアタシが髪型をチェックしていると、隣の部屋の扉が開かれた。
「準備はいいか? フィロメニア」
「はい。父上」
フィロメニアのお父さん――ベルトランド・ノア・ラウィーリアも青い衣服に身を包んでいる。
その後ろに控えるメイド長、エレノアと視線を交わし、問題ないことを確認した。
「リタ。片付けが終わり次第、会場にいらっしゃい」
「は、はい!」
どうやらご当主様の方は少し準備に手間取ったらしい。
エレノアの指示でリタがせわしくなく動くのを見つつ、アタシたちはパーティ会場へと向かった。
すると、セファーが目の前に現れる。
『我が君。少々おかしな気配を感じる』
『なに? 敵?』
『それがなんとも』
微妙な答えにアタシは眉をひそめた。
それはフィロメニアにも聞こえているらしく、軽く振り返って視線を寄越す。
『以前ここで会ったシスターとやらに似ているが……まぁ、事が起こればわかるだろう』
『なんで後手に回るのが前提なのよ』
『我とて万能ではないからねぇ』
わからないものは仕方がない。
そんな風にセファーが肩を竦めるのを見て、アタシはフィロメニアに耳打ちした。
「大丈夫。集中してて」
「わかっている」
そうして会場に着き、辺境伯家の使用人の手で開かれた扉をくぐると、広いホールが視界に広がる。
奥ではゆったりとした音楽を弾く演奏家たちが見えて、その空間は暖かい空気に包まれていた。
すると、すぐに近づいてきたのは男装の麗人――ラウントリー辺境伯だ。
「ラウィーリア卿。お初にお目にかかる」
「こちらこそ、御招き頂き感謝します。ラウントリー辺境伯殿」
「フィロメニア嬢も久しいね」
それに片足を一歩引いてフィロメニアはお辞儀をする。
ここが事実上の敵国と考えるとやっぱり少し緊張するが、まず挨拶は和やかな雰囲気で始まった。
そして、ちょうど音楽が切り替わったのを機に、ラウントリー辺境伯がフィロメニアに手を差し伸べる。
「さて……一曲いかがかな? フィロメニア嬢」
「謹んでお受け致します」
前はもっと対等に話していた気がするけど、どうやら周囲の帝国貴族たちの影響も考えてフィロメニアは淑女な感じで行くらしい。
そうしてラウントリー辺境伯はフィロメニアを手を取るが、彼女はアタシを見て口端を吊り上げる。
なにかと思い首を捻ると、近づかれて耳元で囁かれる。
それを聞いてアタシはさらに首を捻るが、仕方がない。
「メイド長、少し離れます。踊りが終わる頃には戻ってきますから」
「……? ええ、構いませんが」
「何かあればすぐ駆けつけます」
そう言って袖に隠された腕輪を叩くと、エレノアは目で了承の意を返してきた。
アタシはラウントリー辺境伯の言葉に疑問――というより若干の嫌な予感を感じつつも、ホールを後にするのだった。
◇ ◇ ◇
帝国は寒い。
ウィナお姉さまの言う通りメイド服は長袖を着てきて正解だった、とリタは思った。
直前までご当主様が着るお洋服を悩んでいて慌ただしい始まりとなってしまったけれど、今のところ怖いことはなにも起こっていない。
リタは社交界に同伴するのはこれが初めてだ。
それが帝国の領主の屋敷ともなれば、身構えてしまう。
一人残されてあとから合流することも不安だったが、ちゃんとホールへの道順も覚えていた。
あとでウィナに褒めてほしい気分だ。
そんなことを考えながら廊下を歩いていたそのとき、リタははっと立ち止まる。
廊下から出られるバルコニーに見覚えのある黒髪の少女がいたからだ。
「ウィナお姉様……?」
はて、フィロメニアお嬢様についていたはずのウィナがこんなところで何をしているんだろう。
こちらに背を向けて遠くを見ている彼女に、リタは首を傾げる。
疑問に思い、尋ねてみようとバルコニーに出る扉へ手をかけたが――やめた。
もしかしたら何か大事な用があってそうしているのかもしれない。
エレノアからもすぐ合流するように言われている。
リタは好奇心に後ろ髪を引かれる思いをしつつ、ホールへ向かった。
◇ ◇ ◇
『君に会いたいという人がいるって、なに』
『なんだかロマンティックな言い方だったねぇ。本当にロマンスが待ち受けているかもしれないよ』
『いや、ちょっとそんな余裕ないわ、今』
ただでさえ仕事と学業で忙しいのに、帝国の人間とロマンスっている時間はない。
今のアタシにとっては恋文を考える時間があるなら、フィロメニア宛の様々な業務的な書簡の処理に回したいのだ。
『まぁ、何にしろあれだねぇ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、というやつだねぇ』
『嫌なこと言う~。こんなとこで何が手に入るっていうのよ』
ふわふわと浮かびながらそんなことを言うセファーを睨みつつ、言われたバルコニーの扉を開く。
そして、アタシは目を疑った。
「やっと来た。遅かったね」
「は……?」
そこにいたのは黒髪の少女。
青いリボンに、若干デザインの違うメイド服を着た――アタシ自身だったのだから。
毎朝、鏡で見ているアタシと同じ顔。
それがアタシの意志とは別にニコリと笑う。
アタシはその嫌悪感に一瞬で構えると、考える前に技を繰り出していた。
「三式律拳・
目の前の
けれど、冷たい風と共に感じるプレッシャーは確実にアタシへ向けられている。
それを押し返すように掌底を突き出した。
「わっ」
「なっ!?」
しかし、本来ならもう一人のアタシの腹に当たるはずだった手が虚空を切る。
予備動作もなしに一瞬で頭上へと飛んだそれは、空中で身を捻って屋敷の屋根へと上がった。
「ご挨拶! 良い反応だね。アドリアーナの教育がよかったのかな」
「その名前……! アンタ何者!?」
アドリアーナ――それはアタシのお母さんの名前だった。
なぜ同じ顔が目の前にいるのか。
なぜもう一人のアタシがお母さんの名前を知っているのか。
ただ、アタシは思う。
アタシの体が、頭が、心がそう訴えている。
『我が君、おかしな気配とはアレのことだ。恐らくナメてかかると痛い目を見る』
『わかってる!』
頭の中でセファーとやり取りをすると、不意にもう一人のアタシの目が浮遊するセファーの方に向いた。
「あら、お友達もいるんだね。こんにちは」
こいつ、セファーのことが見えてる!?
アタシが驚愕に目を見開いていると、もう一人のアタシは背後から棒状のものを取り出す。
「せっかくだし、少し遊ぼうかな。アドリアーナがちゃんとお母さんしてたのか、見極めなくちゃね。――鉄刀【綴日】」
鞘から抜き放たれたそれは剣だった。
曲剣……いや、刀!?
反りのあり、質素な鍔がついたそれはどう見ても前世にあった刀に見える。
「お母さんの名前を偉そうに呼ぶなッ!」
だが、今はそんなことはどうでもいい。
相手は剣を抜いたのだ。
アタシは腕輪から長剣を【
「うっ!?」
「うんうん」
だが防がれた。しかも、顔色も変えず、片手一本で掲げた刀に。
そして、もう一人のアタシが吟味するように頷くと、アタシの剣を横に振り払う。
「ちっ……!」
アタシの体が屋上に転がるが、片手をついてなんとか体勢を戻した。
「それで全力、じゃないよね?」
「んなワケ!」
「じゃあ思いっきりやってみよう?」
そう言って相手が構えると、刀から空気を震わせる笛のような音がする。
あの刀。そんじょそこらにあるような普通の武器じゃない!
こっちは元はクレイヴの使っていた剣だ。王国でも最高品質といってもいい。
その剣の一撃を食らって刃こぼれ一つしないのだから、同等か、それ以上のものだと確信できる。
――ウィナ!
そのとき、アタシの体が風のような光に包まれた。
これは【
『君の主には事態を伝えた。これでアレの言う全力が出せる』
どうやらセファーによって窮地を伝えられたフィロメニアが先んじてアタシを呼んだらしい。
「綺麗だね」
「そりゃどうも!」
アタシは返事と共に踏み込んだ。
一瞬で間合いをつめて横に振った剣は刀によって受け流されるが、想定の範囲内だ。
先ほどのように真っ向から受け止められなかっただけ、向こうもこちらの力の増幅を理解しているらしい。
そのまま返す剣で打ち込んだ三連撃も受け流される。相手の得物の方が短く、小回りが利くが、威力はこちらの方が上だ。
そして上段からの振り下ろしを受け止められた瞬間、アタシは左腕を引く。
剣が防がれるのは予期していた。というより、受け止めさせた。
鍔迫り合いで間合いが十分に詰まっている。
ならッ!
「五式鎖拳・
その上でさらに踏み込む。狙いは相手の足だ。
踏み折れるなら上等、つま先だけでも相手の動きを封じることができる。
すると、相手は素早く反応し、ステップを踏むように足をのけてアタシの踏み込みを避けた。
だとしても、次がまだ残ってる!
「一式尖拳・
今度は手加減なしの尖拳だ。胴体だろうが手足だろうが、当たりさえすればダメージが入る。
だが――。
「――ふっ!」
相手は刀を素早く回し、柄頭でアタシの掌底を受けた。
なんて反応だ。初見で避けられるはずのない連撃をことごとく防がれる。
けれどアタシの掌底は止めない。
受けたのが柄頭だろうが、衝撃さえ伝えてしまえばいい。
アタシの闘拳術はどこで受けても完全には防げない。そういうシロモノなのだから。
「おりゃぁ――ッ!」
裂帛の気合と共に掌底を押し出すと、もう一人のアタシはその姿勢のまま吹き飛んだ。
だが足で屋根を削り、普通ならば転倒するほどの衝撃を耐えていた。
「……大した体幹ね!」
「ふふっ、今のはお父さんの技だね」
くそ、なんなのよコイツは……!
肩を外す勢いで打ち込んだはずが、もう一人のアタシは悠然と刀を構え直して微笑を浮かべている。
もう一度だ。今度外さない。
そう思い、アタシが再び踏み込もうとしたそのとき――。
「おやめください!」
突然の声にアタシはたたらを踏んだ。
見れば、バルコニーから軍服を着た男が立っている。
その横には冷静な目でこちらを見るフィロメニアがいるのだった。
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遅くなりましてすみません。
ゆっくりですが更新を続けたいと思います。
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