46:立ちはだかる影

 その日の放課後、ディアナはシャノンと共に買い物に出かけていた。使用人としてサニィも同行している。

 とはいっても街で買い食いをしたり、洋服を眺めたりと、子供らしい遊びだ。


 けれど、その日常が今はディアナの心に平穏をもたらす。


 夏休みの間、自分は姉の仇であるフィロメニアとウィナを襲撃した。それでもこの学園生活を送ることができるのは全て、目の前にいるシャノンのおかげだ。


 彼女が自分をかばい、他の者を説得してくれたからこそ、今も変わらぬ日常を送ることができている。


 一度は廃人のような容姿になってしまった体も、療養とシャノンの魔法によってゆっくりと回復させることによって、徐々に元の体力を取り戻してきた。


 始めは仇討ちの踏み台として近づいたはずのシャノンは、いまやディアナにとってかけがえのない存在だ。

 この恩は一生をかけても返せないものだと思う。


 だからこそ、彼女とのこの平穏を一日ごとに噛みしめるのだ。


 そんな穏やかな時間の中、やはり自分のしたことの代償は不意に返ってくる。


 街から学園へと戻ったとき、待ち構えていたのは神殿の馬車だった。

 鎧を着た神殿騎士が何人も門の前に立っていて、学園の警備兵と何か揉めている。

 

 そして、その神殿騎士の一人がこちらを見て、一斉に駆け寄ってきた。


 ディアナは咄嗟に懐へ隠したナイフを取り出そうと身構える。


 何があってもシャノンだけは守る。

 それが平穏な日常の中で、自分のしたことへの責任の取り方だとディアナは決意していた。


 だが、刃を鞘から抜き出す直前、事態はディアナを困惑させる方向へと傾く。


 神殿騎士たちはシャノンの前に跪いたのだ。


「シャノン・コンフォルト様とお見受けします」

「な、なんですか……?」


 騎士たちの中でも一番豪奢な鎧を着た男がそう言うと、シャノンは戸惑いつつも尋ねる。

 すると、男は何かの書類を出し、頭を垂れながらそれをシャノンに渡した。


「こちらを」

「はぇ……?」


 ディアナはそこで嫌な予感を感じて、シャノンの肩を抱きながら書類に目を通す。


 そこに書いてあったのは――。


「『シャノン・コンフォルトを神殿の【巫女】と認め、大神殿への召喚を命ずる』……ですって!?」

「巫女様。我らはその命を受けて、お迎えに上がった所存でございます」


 男はそう言って、シャノンへ手を差し伸べた。

 ディアナはすぐさまその手から守るように立ちはだかる。


「何を勝手な! 彼女はまだこの学園で学ぶことがあります! 巫女などと書物にしかない役職をつけて、彼女をどうする気ですの!?」

「でぃ、ディアナ……」

「シャノン、絶対に行ってはいけませんわ」


 すると、男は長いため息をついて立ち上がった。

 かなり背丈が大きく、ディアナは彼の顔を見上げる形になる。


「すでに我々は巫女様が伝説の霊獣【フェネクス】を召喚していることを確認している」

「だからといって、それが彼女を強引に連れていく理由になって?」

「これは神儀会の決定だ」


 その言葉に、くっ、とディアナは歯噛みした。

 神儀会は神殿の最上位組織だ。となれば、神殿の長である大神官の意向でもある。


 となれば、それに反対するのは神に反抗するのと同義だ。

 だが、ディアナはそれでもシャノンを連れていかせる気はさらさらなかった。


「サニィ、貴女のご主人様をお呼びなさい」

「ニ!」


 果たして、彼女を――ウィナフレッドをここに呼んで、抗えることなのだろうか。

 そう思いつつも、自分を殺さずに許したあのメイドならばあるいは、という希望を抱かざるを得ない。


「退きたまえ。ディアナ・ヴァン・ペリシエール。君に我々を邪魔する権限はない」

「退かないと言ったらどうしますの?」

「こうするまでだ」


 瞬間、胸に衝撃を感じる。

 気がつけばディアナは地面を転がっていた。


「ディアナ! な、なにをするんですか!?」

「失礼を致しました。しかし、巫女様。我々は神殿の全意向を持って、ここに来ていることを御承知頂けると幸いでございます」


 シャノンが男に食って掛かる声が聞こえる。


 だが呼吸が上手くできない。

 男に軽く小突かれただけでこれだ。

 必死に立ち上がろうともがくが、今の弱った体では足が震えて立つことすらできない。


 するとそこに聞き覚えのある声がかかった。


「おいおいおいおい。今のはやりすぎなんじゃねぇか」

「女の子に手をあげるとは、神殿の騎士として恥ずかしくはないのですか?」

「シャノン、どうした?」


 声の方を見ると、三人の人影が見える。


 それは学園の男子生徒でも有数の名家の出身のジルベールとセルジュ、そして――。


「俺のことはわかっているか。神殿の騎士よ」


 王太子のクレイヴだった。


「ちっ……。もちろん存じております。クレイヴィアス殿下」

「ならこの状況を説明してもらおう」


 クレイヴがシャノンの前に堂々と立つと、後ろの騎士たちが固唾を飲む。

 その間にジルベールとセルジュに助け起こされたディアナは、呼吸を整え終わらないままに叫んだ。


「はぁはぁっ……! クレイヴィアス様! その者たちは……シャノンを大神殿に連れていこうとしていますわ!」

「これは神儀会の決定でございます。殿下。シャノン様は神殿より【巫女】であると認められました故、お迎えに上がりました。」

「巫女だと……? ――だとしても、応じるかは彼女の意志を尊重すべきではないのか?」

「もちろんでございます。しかし……我々としては巫女様をお連れすることが責務。それを邪魔建てする者には相応の対応をさせて頂きます」


 男はそう言って鼻で笑う。

 それに反応したのがジルベールだ。


「おい、てめぇ、今クレイヴを笑ったか?」


 ジルベールは男の鎧の肩を掴む。

 だが――男の体は揺れない。

 

 逆にその腕を掴まれて、ジルベールは呻いた。


「ぐっ……!? てめぇ……!」

「できれば我々の手荒な真似はしたくありません」

「手荒な真似とはどういう意味ですか?」


 それを見て、セルジュが前に出る。

 その瞳は魔法を使う兆候で輝いていた。


 同時に、クレイヴからも闘気が立ち昇り、騎士たちも身構える。


 まさに一触即発。誰かが動けばすぐに戦いが始まるその状況に――。


「やめてくださいっ!」


 シャノンが叫んだ。


「……シャノン」


 クレイヴは戸惑ったように眉を歪めて振り返る。


「やめてください。クレイヴ様」

「いいのか。君はこの学園にいたくはないのか?」

「いたいです。けど……けどっ……!」


 シャノンは肩を震わせながら、言葉を口にした。


「私、自分の意志で神殿に行きます……! こうなるんじゃないかって、わかってたから……!」

 

 

 ◇   ◇   ◇



「ご、ご主人さま待ってニー!?」

 

 アタシは使用人の宿舎から全力で走っていた。

 後ろからはサニィの叫びが聞こえるが、待つ余裕はない。


 もし本当に誘拐されているのなら一大事なのだから。


 そうして馬を超えるスピードで学園の正門に来ると、鎧を着た騎士に誘われて馬車に乗るシャノンが見えた。

 周囲にはディアナやクレイヴたちがいる。


 どんな状況か、まったく理解できない。

 けれど、少しだけ見えたシャノンの顔が、不安そうなものだったのだ。


 ――アタシはとりあえず、それを理由に突撃することにする。


「なんだお前は!?」


 物凄い速度で突っ込んできたアタシに騎士が仰天して止めようとしてくるが、地面を蹴ってその大柄な体を飛び越えた。


「ま、待て! そいつを止めろ!」


 そして馬車に近づくアタシを他の騎士たちが肩や腕を掴んで止めようとする。

 けれど、アタシは気にせず足を止めない。


「うおおぉ……!?」

「なんだこいつ!?」


 腕や肩を掴まれたまま騎士たちを引き摺りながら、ずんずんと馬車に進むとその扉を勢いよく開けた。


「シャノン!」

「ウィナちゃん!?」

「なにやってんの? 誘拐されてるってサニィに聞いたけど!」


 聞くと、シャノンは俯く。

 その間にも騎士たちがアタシを馬車から引き剥がそうするが、意地でもアタシは離れない。


「……そうじゃないの。大丈夫、だから」

「本当に?」


 もう一度聞くと、シャノンは悲しそうに顔を歪めた。

 

 なに? その顔。大丈夫じゃないって言ってるものじゃない。


 アタシは仕方なくシャノンを手を引く。


 けれど、シャノンは馬車から出ようとしなかった。

 アタシが引く手に抵抗し、自分の意志でここに残っていた。

 

「シャノン?」

「……ありがとう。ウィナちゃん」

「なんのお礼?」


 聞くと、シャノンは顔を上げ、顔に笑みを作る。


「自分でしたいこと、できたの。それを決めさせてくれたのは、ウィナちゃんだから」

「……それって何?」

「私、巫女っていう、何百年かに一人の特別な存在なんだって。だから私、神殿に行くの。神殿に行って、マリエッタ先生がやってたこととか、ディアナを酷い姿にしたこととか……そういうのをやめるようにしたいの」

「そんな簡単な話じゃないでしょ!」


 シャノンの顔は苦しげな表情だ。

 だからこそ、今の言葉はシャノンの本当の言葉だと思う。


 シャノンは人の痛みのわかる人間だ。わかりすぎるくらいに、彼女は人に優しくすることができる。

 きっとアタシが毒を盛られたときや、ディアナがその身を滅ぼしたときのことを思って、そんな顔をしているんだろう。


 それはシャノンが背負うものでもない。少なくともアタシはそう思う。しかし――。

 

「でも、それでもやってみたいと思うの」


 彼女自身の意志ならば、止められない。


「このっ……! そろそろ離れろ!」

「うっさい! どこ触ってんの!」


 アタシは羽交い絞めにしようとしてきた騎士の腹に肘鉄を入れる。

 

「ぐほぉっ!? おええぇぇぇ……」

 

 後ろでゲロを吐きだした騎士を放っておいて、アタシは最後にシャノンの顔に触れた。


「手紙! 手紙をよこしなさい! もしアンタから連絡が途絶えたら、殴り込んでやるから!」

「……うん!」

 

 言うと、アタシの手を握ってシャノンはその熱を確かめるように頷いた。


 そうしてアタシは馬車から引き剥がされ、素早く扉が閉められる。

 その最後まで、アタシとシャノンは視線を交わしていた。


 そして、馬車がゆっくりと動き出す。


 騎士たちも乗ってきた馬に続々と乗る中で、一人、豪奢な鎧をつけた男がアタシに視線を投げてきた。


「お前があの『腹パンメイド』か。噂に違わずやってくれる」

「鍛え方が足りないんじゃない?」

 

 冷やかすような視線と言動を挑発で返すと、男は鼻で笑って馬に乗る。

 アタシはその男の態度が気に食わず、その背中が見えなくなるまでガンをつけるのだった。

 

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