アフターエピソード1 遅刻をした罰

 それは、ティラ騎士養成学園にある男子トイレでの一幕だった。体中に包帯を巻いた怪我人の男2人。モップを持って無言でトイレを擦っている。重傷に近い状態の2人が掃除をしているのは何とも不思議な状況だった。


 ピューディックによってノネキストダンジョンでの出来事を赤裸々にフライア先生にチクられてしまった俺は、「私に心配をかけた罰」という何とも理不尽な罰則を受けていた。勿論抗議はしたさ。それだけじゃ納得がいかないと抗議をしてやった。だが、「これは遅刻した分も含まれている」とぐうの音も言えないことを言われてしまっては、素直にトイレ掃除に向き合うしかなかった。

 これ以上抗議をしても無駄だと察したからのもある。まったく、丸くなってしまったものだ。こんな状態だからか、誰かに強く出られる精神はない。

 そう思いながら軽く手を握ってみる。ペンは持てるようになったものの、まだ力が完全には戻っていない。少しずつ回復はしている。でもまだ、以前のように剣を抜いて振り回すようなことは出来ないのだ。剣を鞘から抜けても、直ぐに落してしまう。

 その手でモップを握る。俺には今、こんな棒きれを支える程度の力しか残されてはいないのだ。これだって、振り回せば落してしまうかもしれない。

 少し感情的になって強く握り絞めてしまうも、モップはピキリとも悲鳴を上げない。

 怒りが収まる頃にその現状を思い知らされた俺は、溜息をついてまたモップを動かした。


シャコ。シャコ。

「……。」

「……。」


シャコ。シャコ。

 ……。トイレという狭い空間で2人、何も話さずに手を動かす。


 無言のまま、隣の男を見た。そこに居るのは白銀の獣人族。クラスメイトのガダンだった。

 そういえば、ピューディックがダンジョンで言っていたな。


「確かに、僕なら先生を呼べる。でもそれも今は出来ない。先生には今、を頼んでしまっている。全くは。入学初日からよくもここまで。」


 もしかして、彼がその別件だったのだろうか。他のクラスメイト連中が罰を受けていないことを考えるとそうなんだろうな。それにあの包帯の数。人のことを言えた義理ではないのだが、一体彼に何があったんだ。

 ノネキストダンジョンの最下層で争ったジュンザのことが頭に浮かぶ。

 ドガバの魔人族は、以外とまだこの大陸に潜んでいるのかもしれない。


 そう考えれば、情報収集の為にも話掛けない手はなかった。


「なあ、兄弟。その包帯、何かあったのか。」

「包帯の数ならお前の方が上だろ。」

 ガダンは俺を一瞥だけして気にせず掃除を続けた。

 どうやら、相手はあまり話しをする気分ではないらしい。


 俺は、無理をした代償に弱り切ってしまった自分の体を見る。

「俺の方は、ドガバの魔人族と一波乱だ。」

「……。なに?」

 やはり食いついてくれるか。奴はそれまでの暗い顔を止め、興味のある目で俺を見た。その眼には殺気も籠もっている。まったく。彼には復讐者という言葉が似つかわしい。


「俺らは同じ気持ちを持つ同士だろ。だったら、情報共有といこうじゃないか。」

「そうか。ならそうしよう。俺も、お前に何が起きたか興味を持ったよ。兄弟。」

 俺は、モップを動かしながらノネキストダンジョンで会ったジュンザという魔人族についての話しをした。先ずは俺からだ。そうでなければ、向こうも俺を信じてはくれないような気がした。


「凄いな、お前は。魔人族を倒してその怪我か。栄光の傷だな。」

 皮肉めいた言葉に、俺は肩を落した。その言葉に苛ついてしまったのだ。冷静さを取り戻さないといけない。きっと彼にも何かあった。それだけの何かがある。この人間に配慮しないと。そう思ったが出来なかった。やっぱり俺という人間は優しくない。酷い欠陥品だ。


「栄光の傷、ね。これはそんなんじゃない。俺の弱さの証明だ。おかげで今は、剣も抜けない。」

 拳を握る。だが、いくら悔しさで握っても血も流れてこない。そんな弱々な体。


「……。俺の方は、お前に言われたことを確かめに行ったんだ。裏切り者の話をしただろ。ツタンツカ獣国に昔の連れがいてな。本当なら謝らないといけないと思って。訪ねたんだ。」

「……。」

 彼の方を見る。その顔には酷く後悔の念が浮き出ていた。

「でも彼は……。手遅れだった。ドガバの魔人族が居たんだよ。ああ。あの国は歪だった。初めて裏側を見たよ。国の主要官僚には皆、生気が無かった。表情は変わらず、ご飯も食べないで。ただテキパキと資料に印鑑を押していたんだ。……。そこには、操り人形しかいなかったよ。向こうの騎士団もそうだ。体のあちこちがねじ曲がろうが、自分が死ぬか、相手を殺すまで動き続ける。狂気だったよ。俺はあの国に敗戦した身ではあるが、同情した。あんな形で残るくらいなら、滅んだ方がマシだ。」

 そうして、彼は自分の身に起こっていたことを話してくれた。

 後の顛末としては、騎士団に追われ、逃げ切れずに死にそうになったところでフライア先生に助けられた。ドガバの魔人族自体は見ていないそうだ。


「そうか。そんなことが。話してくれてありがとな。」

「そっちの方こそ。兄弟。」

 追い返していたとは思っていたが、内部での腐食は思っていたよりも深刻だったようだ。そもそも、俺達ブェルザレンの山賊はツタンツカの内情にまでは手を出せていない。出せていたら両国とも潰れていただろう。考えて見れば、あそこに数人残っていたとしてもそれ程不思議ではなかったのだ。

 俺達の目的は、あくまでもボアルさんの援護でありアネモ獣王国に住み着いた魔人族の排斥だ。そういう意味で、俺達の戦いは彼が死んでアネモ獣王国が滅ぼされた時に終わっていたのだ。

 その後に追い出し戦をやりはしたが、全員が帰ったかどうかなんて調べるほどの余裕を持ち合わせてはいなかった。此方が知る主要幹部達を撥ね除けた程度に過ぎない。


 ならば、ツタンツカ獣国のことに探りを入れるべきか。そう思うが、フライア先生に邪魔されて終わる未来しか見えなかった。既にクラスメイトがやらかしているのだ。そっち方面への警戒は強いだろうし、行く事を許してくれはしないだろう。


 お互いにそれが分かって居るからこそ、それ以上の話しに展開されることはなかった。


「そういえば、そっちは面白いことを企んでいるようだな。」

 再び降りた沈黙の空間を打ち破ったのはガダンの方だった。

「面白い事?」

 そんなことを企んでいたっけな。今の俺は身体的にも何かを企めるような状態じゃない。

「隠すなよ。エパリヴが校内を駆け巡っているみたいじゃないか。あいつも一緒にダンジョンに潜ったんだろ?何を掴んだ。この学園に、何かあるのか。」

「あー。」

 それを聞いて、途端に肩の力が抜けた。


「あれはこの件とは関係ないよ。実は最近、あいつとこの学園生活を精一杯楽しむ為に手を組んだんだ。そしたら、“2人じゃ寂しいわね。もっと仲間を増やしましょ”。て言われてな。何か宛てが在るのかを聞けば、“任せて!”って元気に返事をしておいてアレだ。つまり、あいつは何かを探っているんじゃなくて、ただ一緒に馬鹿をしてくれるような連中を探しているだけなんだよ。」

「学園生活を楽しむ?お気楽な考え方だな。」

「でも悪くはないだろ?どうせ通うなら楽しい方がいいに決まってる。なんなら、お前も入るか?」

「いや、俺は遠慮しておく。初めて会った時にも言ったが、俺はここに遊びに来た訳じゃない。お前とも馴れ合うつもりはねぇよ。俺とお前は、今のような仲が丁度いい。」

「さいでっか。」

 お互いがお互いの利の為に知っている情報を交換し会う。そんな事務的な関係を彼はお望みのようだ。別にそれも悪くはない。相手に求める距離感も人それぞれってな。


「そういえば、この前あの女が桜木に向かって何かを話し掛けていたぞ。あれも勧誘か。」

 モップでの掃除を再開させながらガダンがそんなことを言った。

「いや、流石に桜木に勧誘なんてしないと思うが……。エパならやりかねないか。」

 何故か、桜木に向かって自信満々に勧誘をする彼女の姿は容易に出来てしまった。それだけに、否定をすることが出来ない。誰も勧誘出来なかったから仕方なく桜木に。うん。あり得るな。


「やりかねないって。そう思うなら早く止めてやれよ。結構周りから変な目で見られていたぞ。あいつ。」

「周りに人がいる状況で木に勧誘してたのか?あいつ。変な奴だとは思っていたが……。」


「んっっっっっな訳ないでしょ!!」

 可哀想になるくらいに勧誘に失敗したんだな、エパ。なんて思っていると、トイレの入り口から当人が聞き捨てならないと滑り込みながら入って来た。


「おいエパ。ここ、男子トイレ。」

「んなこと分かってるわよ!でもそうこう言ってられないような馬鹿なことをアンタらが話しているから飛び込まずにはいられなかったんじゃない!大体、貴方達の話しは暗いのよ!どうしてそんなに落ち込めるような話しばかりするわけ!」

「するのよって。エパ。もしかしてお前、ずっとトイレの前で聞いていたのか。」

「そうだけ、あ!やめろ!私を可哀想な目で見ないで!」

「悪かったな。エパ。お前がことあるごとに勧誘を断られて悲しくなっているのに気づいてやれなくて。考えてみれば、何をする組織だよって話しだし。胡散臭いよな。でも大丈夫だ。もうそんな勧誘なんてしなくていいんだ。俺とお前の2人だけでも楽しくやろう。もうそれでいいじゃないか。」

「アンタ、いい加減にしないと本気でブツわよ?心配しなくても勧誘は上手くいくわ。私だって誰でも彼でもを入れたい訳じゃないの。今まではただ見定めていただけなのよ。」

「本当か。悲しい嘘は付かない方がいい。無理に見栄を張らなくてもいいんだ。俺達は友達だろ?」

「どうしよう。私、こいつのこと殺したくなってきたわ。」

 おっと。これ以上は命が危ないか。俺は目に溜めた涙を拭って直ぐに揶揄からかうのを止める。こいつ、何気に俺と同じ量の依頼クエストを熟していやがるからな。

 ノネキストダンジョンの件を考えても、3000年以上前には世界を統べる魔王だった話しは本当みたいだし。実力の底を俺はまだ見ていない。下手に怒らせるのは止めておこう。


「それで?なんで桜木なんかに話しかけていたんだよ。」

「それは内緒よ。私にも色々あるの。そんなことより、面白いゲームを思いついたんだけど。」

 そういうと、彼女は掃除道具箱から勝手に自分の分のモップと洗剤を持ち出して来た。


「名付けて、泡泡あわあわ戦線よ!」

 笑顔で彼女考案のゲーム名が発表される。少し豪勢な感じを演じたかったのか、洗剤をぴゅっぴゅと発射させた。


「泡泡戦線?」

「くだらんな。勝手にやってろ。」

 純粋な疑問符を打ち立てる俺を余所に、ガダンは関係無いとばかりに黙々と掃除を続けていた。


「皆さん!今日はなんとスペシャルゲストに来て頂いてます。」

「皆さんも何も、ここには俺達3人しかいないぞ。」

「煩いわね、リヴィス。ちょっと黙って聞いていなさい。こういうのは雰囲気が大事なんだから。」

 また始まったよ。あの日、桜の木の下でこいつとの約束を結んでからのこと。ことあるごとにエパは自分の作ったゲームを開始しては俺を強制的にその参加者にさせてきた。まあ楽しいから別にいいが、どんな時でも始まれば止められないのは厄介だった。


「えー。コホン。そんな訳で、今回のゲストは我がクラスの委員長!ガダン君です!パチパチパチ~」

「おお~。」

「おい。勝手に混ぜるな。俺はそういった馴れ合いは」

「では今回のゲームを説明します。といっても単純で、誰が1番泡をたてることが出来るのかを競い合いゲームよ!」

「おい。話しを聞け。」

 勝手に話しを進めていく彼女に抗議するその肩に、俺は悟った顔で手を置いた。


「無駄だ。こうなればもう降りられない。例えお前が先のことで負けて暗い気分になっていようとも」

「あ゛?おい。誰が負けたって?誰がそれを引き摺っているだあ?」

 あの、顔が怖いですよ?ガダンさん。何もそんなに殺気を向けなくても。


「勘違いするな。俺は落ち込んでいたんじゃなくて、次に生かす為の反省をしていたんだよ!」

 いや、どうみても落ち込んでいただろ。反省をしていたかどうかまでは分からないが、少なくとも前向きな感じではなかった。俺も同じ感じだから分かる。なんて言えば火に油なんだろうな。

「お前、ちょっと自分がドガバの魔人族を殺せたからって調子にのっていやがるな。いいぜ、ゲームでも何でも乗ってやる。お前に、獣人族の格の違いってやつを思い知らせてやるよ。二度と自分と対等だなんて思えなくしてやる。凡人が。」

 生意気な言葉にピクリと手が動いた。こいつ、力が入らない癖に荒事に反応はするんだな。

 というか、微妙に心境を当てるのは止めて欲しい。確かに俺とお前は同じだと思ったけど、受け取り方がなんか違う。


「落ち着け。そこまで殺意を剥き出しにしなくても……」

「なんだか知らないけど、2人で盛り上がっているみたいね!でも私だって負けないんだから!」

 エパが俺達の間に割り込んで来てゴシゴシとモップで泡を立てる。まずい。こいつは適量って言葉を知らないのか?洗剤を使いすぎだ。これ後で絶対フライア先生に怒られるぞ。


「来いや!道化師共!獣人族の身体能力を嘗めるなよ。」

「貴方の方こそ。そんなことを言いながら負けても知らないんだから!」

「まったく。やるからには、俺だって負けないからな!」


 暫くして、トイレが大変なことになっているという通報を受けたフライア先生によってこの泡泡戦線ゲームは強制終了を迎えた。


 トイレを埋め尽くして外に溢れ出ていた泡と共に、俺達はフライア先生の水系魔法にて綺麗に洗い流された。


 結局視界を覆う程の泡に誰がどの泡を作ったのかが分からなくなり、勝者不在で決着が付き、俺達は3人揃ってこっぴどく叱られた。

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