最終話 桜吹雪く学園の前で
「はぁ。はぁ。」
息も絶え絶えになりながら、俺は血肉の剥き出しになった赤い龍の群れを剣で殺して回っていた。激しく頭を回転させ、自由の利かない中空で四方八方から飛んで食らいつく大蛇達を前に、体を粉々に壊してしまいそうなくらい酷使して戦闘する。
怒号を上げ、血を撒き散らしながら空を滑空する。龍の
全身が締め付けられる痛みがする。赤龍達の体表ですり潰されてしまいそうだ。助けを求めるように何とか天に伸ばした手も直ぐに呑まれ、埋もれていく。
そんな俺に、急な明かりが灯される。パッと。今まで締め付けられていたのが嘘になったかの開放感に目を開けると、俺の下で赤い巨人がガッパリとその巨大な口を開けていた。その口中には強力な魔力の塊がある。
「っ!!」
慌てて剣を振った。しかしそのかいはなく、俺はその剣技ごと光に呑み込まれて――。
「どーん!!」
「はぐぅ!?」
上から
俺を温める掛け布団の上で、元気な笑顔がはしゃいでいる。俺は
「痛いよ、ミミレ。」
「あー!また寝ようとしてる!だめだよ!今日はガクエンなんでしょ?フライアのお姉ちゃんに怒られるよ!」
頭に生えた耳をぴょこぴょこと動かしながら、兎型獣人の少女ミミレがメイド服姿で俺のお腹の上でぷんぷんと腹を立てている。正直、可愛くて怒られている感じはしない。
「……。サボったら?」
「フライアお姉ちゃんが飛んで来る。こら!リヴィス。ちゃんとガクエンに来なさい!ってね。」
ここ二日間、俺が抜け出す度に言っていたようなセリフをミミレが真似をしてニコニコと笑う。俺はそれを見て、あの人の恐ろしさを思い出して震えた。
だってあの人、鬼の形相で追い掛けて来るんだもん。それも結構本気で。邪竜殺しの英雄相手に、魔法も使えない俺が逃亡戦で勝てる訳もなく――。
「うっ。寒気が。さっさと支度して学園に行くか。」
そう思って起き上がろうとするも、俺の体は上には上がらない。そうだった。今ミミレが乗っているんだ。こんな子供もどけられないほど衰弱している体に嫌気がさす。いや、自分が限界以上に酷使したのが悪いのだが。
「ミミレ。どいてくれないと、お兄ちゃんはガクエンに行く支度が出来ないぞ。」
「あ。そうだよね。ごめんなさい。」
少女はさっと飛び降りると、ぱっぱとスカートの裾を払う。俺は重たい身体を起こして頭を掻いて欠伸をした。いつの間にか開けられたカーテンから入る日射しが眩しい。もしや、夢の中で眩しいと感じたのはこれか。
ゆったりと立ち上がって壁に掛かった制服を手に取って着替える。その後ろで、ミミレはテキパキと布団を片づけてくれていた。
思えばミミレとの生活が始まったのはつい昨日のことだ。何度目かの出国に失敗して俺が貧民街で彼女に出店で買った食い物を与えて愚痴っていた時、ニヤニヤとした顔のフライア先生が現われた。
「ふーん。その子がリヴィスが言ってた子か。確か、その子に果物をあげていて入学式を遅刻したんだったかな。」
「げっ!フライア先生。」
「げっ。て何だ。失礼な奴め。今は別にお前を捕まえに来た訳でもないんだから、そんなに怯える必要もないだろうに。」
「先生。トラウマって凄いんですね。」
「しょうがない奴だな、お前は。だったら、そのトラウマを消す手伝いをしてやろう。」
そうしてポキリと指を鳴らしたフライア先生に体が危険信号を発した。
「か、勘弁してください。」
こんな弱った体じゃ例え手加減されたものでも笑えなく終わる可能性が高い。不要なダメージの蓄積は避けるべきだった。
「あの、お兄ちゃんを虐めるのはやめてあげてくれませんか。」
俺と先生の会話から何かを察したのか、ミミレは先生のところまで歩いていくと、その服の裾を引っ張りながら俺の為に訴えてくれる。なんていい子なんだ。そうだ、もっと言ってやってくれ。
フライア先生は苦笑する。
「あはは。困ったな。別に私はそこのお兄ちゃんを虐めている訳じゃないんだけど。」
「そうなんですか?」
「そうだよ。私はただ、そこのお兄ちゃんがこの国を出ていくって言うからそれを止めているだけなんだ。この馬鹿、その傷で一人になったら直ぐ死ぬって分かっていながらそんなことを企てるんだ。」
先生が頭を撫でながら説得をしていると、涙で目を潤したミミレの顔が此方を向いた。……。よくない流れだな。
「お兄ちゃん、死んじゃうの?」
「話しを飛躍させすぎだ。いいかミミレ、当然俺に死ぬ気なん――」
「そうだよ。このままだとお兄ちゃん死んじゃうの。」
「それは、嫌だな。」
俺を思って落ち込んだミミレの姿が、過去に地下街で一緒に過ごした少女のものと被って口ごもってしまう。俺の話なんて聞いてくれていなかったので特に問題はないが……。
駄目だな。忘れていた記憶を思い出してしまったことで、俺はそういったことに弱くなってしまっている。早急になんとかしなければならない。それはこの人生においては不必要なものだ。
頭痛がして頭を抑える。これ、また記憶を弄くられそうになっている訳じゃないよな。
「そこで、私に名案があるの。」
そんな俺を余所に、フライア先生は自分で泣かせた少女を上手いことあやめていた。あっちはあっちで話しがまとまってしまいそうだ。もう何でもいいか。だんだん、誤解を解こうとすることさえ億劫になってきた。
「ミミレちゃん。私の下で働かない?お仕事の内容は、あのお兄ちゃんを監視すること。ちゃんと学園を通ってさえくれれば私はそれでいいし、お兄ちゃんの命も助かるの。」
全てを諦めかけていた俺でも思わず驚いてしまうような提案をフライア先生は打ち立て、そこからは俺の意見など聞かれることもなく、ミミレと彼女の間とでトントン拍子に話しが膨らんでいった。
「お兄ちゃんお兄ちゃん。」
ミミレがこの家で
「なんだ?」
新品のメイド服に身を包んだミミレ。あれはフライア先生の自作らしい。
「おはよ!」
メイド服の袖や首下から見える包帯を見て、俺は静かに視線を落した。ミミレだって、まだ山賊に襲われた傷が完全に癒えている訳ではないのだ。それなのに。
「ああ。おはよ。今日は起こしてくれてありがとな。助かったよ。」
「えへへ。どういたしまして。」
お礼をいいながら頭を撫でてやると彼女はとても満足そうな笑顔で笑った。
これ、どう考えても関節的にフライア先生にお世話されているよな。ミミレへの報酬は先生が出すんだし。まあいいか。俺に損はないしな。
そう思ったが、フライア先生からの
このことは考えないようにした方がよさそうだな。
*** *** ***
大きな欠伸をかましながら歩いて学園に向かう。
朝の街にまだ活気はない。開店準備の為に人が動き出すざわめく音は、なんでか俺の心を落ち着かせた。
やっぱり行きたくないな。なんで好き好んでこんな縛られた生活を送らなければいけないのか。俺は自由になったはずだろ。とか言っても意味がないんだろうな。なんなら少しダサい。そろそろ覚悟を決めて学園生活に望まないと。
少しだけ気合いを入れるが、やはりまだ気怠い。ただこのまま学園に行かないまま帰るわけにもいかない。フライア先生に怒られたくないのもそうだが、やっぱり俺の為に頑張ってくれたミミレの努力を無駄にしてやりたくはなかった。
不安を落ち着かせるように、頭に被った愛用のテンガロンに手を置いて気持ちを安らげる。
未だ咲き誇る桜街道、門までの一本道を登る。帽子の
まあつまり、
結局ミミレに見送られた後に貧民街にいる他の連中の容体を見に行けば、なんやかんやで話し込んでしまってこのザマだ。一部の奴らはミミレのことを心配していた。今朝から姿が見えなくて心配だ。探して来て欲しいと言われた。俺が事の経緯を説明して無事なことを伝えると、皆安心していた。一部の奴らはミミレのことを冗談交じりに羨んでいた。
あの場所は、なんやかんやで仲間意識があり温かかい。今の俺にとってはこの国で1番心を落ち着けることが出来る場所になっていた。
校門まで残り数メートルのところに来て、花を咲き誇らせる木々の間に隠れてしまっていた学園が目の前の視界一杯に広がった。いつ見ても圧巻の光景だ。桜舞い散り、賑わいのあるこの景色は、今も俺を歓迎してくれているようだ。それが何故か笑顔で待ち受けるフライア先生のようでゾッとした。やっぱり怒っているだろうな、先生。
目の前に佇む校門は相変わらず閉ざされている。あれは相変わらず
今日も今日とて、この景色には俺以外にはあり得ない筈の
赤銅色のくせっ毛。俺と同じく学園の制服に身を包んだ女。その女は、別に学園に目を向けるわけでもなく、桜並木の中で足下に視線を落して退屈そうにしていた。桜木に寄りかかりながらその髪をくりくりと弄っている。口を尖らせて何かを呟いているようだが、この距離では何を言っているのかまでは分からない。
学園の登校時間はもう過ぎているはずだ。それなのにそいつは特に焦ることもなく、学園に入ろうとする素振りすらなかった。
「はぁ。」
俺は溜息をつきながら、再び学園に向かって足を運び出す。冷静になって考えてみれば、俺は相当気恥ずかしいことをやらかしてしまっていたのかもしれない。
会ってまだ間もない少女を、成り行きとはいえ命がけで助け出した。そしてその寝顔を見て満足してから死んだ。そこまでならまだいい。でも俺は、こうしてまだ生きている。死んでいないのだ。あんなに最後感を出しておいて、女の寝顔を嬉しそうに眺めておいて悠々と生きて帰って来た。いったい俺はどんな顔で彼女と話せばいいのやら。
まずい。フライア先生やクラファイスに意識が行き過ぎていて肝心なことを忘れていた。
気まずい。これが嫌で学園を辞めたいくらいだ。だがしかし、俺には学園を辞めるなんて手段は取れない。こわ~いお姉さんがそれを許さない。
女と目が会う。そうだろうなとは思っていたが、やはり待ち人は俺だったようで、彼女は俺の姿を見て笑顔を咲かせていた。俺が目を逸らせば、少しムスッとしたものの嬉しさが口角から離れないまま此方に近づいて来た。そこで俺はあることを思い出す。
「おはよ。リヴィス。」
「ああ。おはよう、エパ。ほれ。」
制服の懐に入れていた袋を取り出してエパに放り投げる。彼女は少し驚きながらわたわたとそれを受け取った。
「それ、前に冒険者ギルドで受けた依頼の報酬だ。そういえば、お前にはまだ渡していなかったな。」
「あ、うん。ありがとう。」
エパは素っ頓狂な顔のまま取り敢えず袋を開けて中身を確認しようとして……。
「って!そうじゃない!!」
と開けたばかりの袋を握り締めながら訴えてくるのだった。
「もしかして私、お金を徴収するためにここで待ってたって思われてる?」
いぶかしげな顔で口を尖らせながらエパが此方の顔を下から覗き込んでくる。
「いや、別にそういうことじゃないけど。大事なことではあるだろ。金の切れ目が縁の切れ目って言うくらいだしな。その辺はちゃんとしとかないと。」
「ふーん。つまり、リヴィスは私との縁を切りたくない訳ね。」
「そういう訳じゃ……。いや、そういうことになるのか。」
まあクラスメイトだしな。教室の中が気まずい空気のままで三年間を過ごすのもどうかと思う。そう考えれば、クラスメイトとの交流は他よりも慎重にするべきかもな。教室での時間が一日の中で1番長いのだから、そこが嫌な場所になれば心労が絶えなくなる。
いや、そんなに器用なことは出来ないか。人の顔色ばっかり見て動くのにも気苦労してしまうのだからやるだけ無駄だ。理想的ではあるが現実的ではない。まあ、険悪な空気になったらその時どうするか考えればいいか。
「よかった。フライア先生からアンタが学園を辞めたいなんて言っているって聞いてたから、てっきり私は皆と縁を切るつもりだと思っていたわ。」
ん。まあ、クラスメイトになった連中と縁を切る意志はなかったが実質そうはなるのか。俺が国を出て行ったとして、次にこいつらと会う機会があるとは限らないからな。
「学園を辞めたかったのは本当だ。フライア先生がしつこくなければとっくに辞めてた。」
「え?それは本当なの?」
「ああ。まあな。」
俺は弱い。学園にいようが外に出て行こうが今の現状は変わらない。だったら外に出てとっとと鍛えてしまった方が早いと思ったことは事実だ。それこそ、ドガバ国に乗り込んだってよかった。どの道、奴らとの嫌な縁も切れてはいないのだ。どこかのタイミングで俺達は必ず再び争い合う。だったら早めにそれを終わらせてしまった方が得だろうとも思っていた。
それに、山賊家業とは関係のない個人的な問題もある。
再現された故郷の島を滅ぼせし巨人。
俺はアレについて知らなければいけない。あの日の再現だけはもう二度と起こらしたくはない。それだけは、あの悲劇を生き残ってしまった人間として果たさなければならないことだった。
下を向き、そんなことを考え出した俺の手が誰かに捕まえられ視線を上げる。
“誰か”なんて思うほどには俺は考えに集中して周りのことを忘れてしまっていた。
本当、あのことになれば簡単に考え込んでしまう。これは致命的な問題かもな。
「逃がさないから。」
ニヒヒっと満面の笑みではにかむ少女が一人。俺の手が引っ張り出しされて一歩を踏み出さされてしまう。驚いた俺の顔を見ながら、彼女は両手を後ろに回して笑う。
「私、あなたに興味持っちゃった。しょうがないわよね。あんなことされちゃったんだし。だからせめて、私があなたに飽きるまでは協力してよね。」
曇り無い笑顔で不穏なことをいう。しこたまに面倒臭そうだ。
「協力って何をだよ。」
「そんなの決まってるじゃない。“楽しい学園生活”よ。」
楽しい学園生活て。ふわっとしすぎているな。それでは、具体的に俺が何をすればいいのかは分からないじゃないか。なんて考えながらエパのことについても考える。
こいつはこいつで、何百年も封印されていて思うところがあるのかもしれない。出て来た瞬間にあれだったしな。もしかすれば、封印前には窮屈な人生を送っていたのかもしれない。
俺の反応が気に食わなかったのか、エパは少し不満そうに腕を組んだ。
「何よ。文句あるの?」
文句がないと言えば嘘になる。でも、だからといって断るほどのことでもない。楽しい学園生活か。まあ、悪くはない。なんたって、俺が最初に立てた目標が“宴会をしたい”。だったからな。ただ楽しいだけの学園生活を送るつもりはないが、だからといって全く楽しくない学園生活を送るつもりもなかった。どうせなら楽しい方がいいに決まっている。
だったら、一緒に楽しんでくれそうな奴の誘いに乗ることもやぶさかではないだろう。
だから当然、俺の返事は――――。
「そう。それなら良かった。これからよろしくね!リヴィス。」
差し出された手を握る。その時の俺の顔には笑顔が宿っていたと思う。自分でも気づかないうちに笑っている。それは、思い詰めていた二日間では得られなかった自然なもので。
俺はきっと――――。
桜が満開に咲き誇るこの場所で、俺達はこれからの人生を少しでも明るくする為に手を組んだ。その横に立ちずさむティラ騎士王立学園は、俺達を歓迎するかのように花吹雪を豪勢に巻き散らす。
その光景を物陰から見ていた教師は一人。しょうがなさそうに溜息も含んだ安堵の息をついていて、この遅刻者達に声を掛ける。
「こら。お前達。遅刻だなんていい度胸じゃないか。」
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