第16話 弱さの責任
動けなかった。仇敵を前にして。その隙を突けたのに。俺の体は、動かなかった。
剣柄を握った筈だった手を見る。弱々しくしか動かせないそれでは、とても剣など抜けなかった。
「くそ。」
握れぬ手で顔を平打つ。全面から押し潰された鼻の痛みがジンとした。
自分に怒るその声は、暗闇に吸収されて消えてなくなる。
悔いは留まらない。今の俺の表情は最悪なんだろうな。
「こんなところで何をしている。リヴィス。」
そんな俺に、後ろから声が掛けられた。体の向きはそのままで、顔を少し動かして片目だけで声の主を見る。
暗い裏路地のその先、大通りに面した位置で、人影が此方を見ていた。
「……。フライア先生。」
そこに居たのは、担任であるフライアだった。
「別に。なんでもないですよ。ただの散歩です。」
「嘘だな。私はここに、魔人族の気配を感じて飛んで来た。お前は今まで、そいつに会っていたんだろう。」
「だったら、さっさとあいつを追い掛けて行ったらどうですか。逃げられちゃいますよ。」
「今のお前を置いてはいけない。」
「何故ですか。このまま逃がしたらこの国の国民が大勢死ぬかもしれないですよ。」
「あのな、リヴィス。私はこの国の騎士じゃない。お前の教師なんだ。国の今後よりも目の前の生徒を大事にする。」
「このまま置いていってくれた方が俺は喜びますよ。」
「駄目だ。今のお前を、私は一人にさせられない。」
「はは。なんですか。それ。」
体を彼女の方へと向ける。その顔は真剣で、だがだからこそ今の俺には眩しかった。
彼女が一歩踏み出すと、俺は反射的に後ずさる。それを見て、フライアは歩を止める。この距離感を保ったまま、俺は顔を上げることが出来ずにいた。何故だか、今彼女の顔をみることは出来なかった。
邪竜を殺し、目的を達した女の前にいるのは、あの頃のまま何も変わらぬ弱い自分。
俺は多分今、彼女に嫉妬してしまっている。劣等感で押しつぶされそうになってしまっている。置いていかれてしまった自分に、彼女と話せる面などない。
「さあ、どうでしょう。よく、分からないです。」
そのせいか、彼女の質問には素直に答えることは出来なかった。腰に付いた
「ノネキストダンジョンの件、解決してくれたっていうのは本当か。」
「分からないです。俺は」
「偽るな。ピューディックから事の全容は伝え聞いている。」
「……。そうですか。」
そういえば、ピューディックのことを忘れていた。実体がそこにある訳ではないので、心配する必要がなかったというのもある。俺は、エパとティアを抱えて帰ることに必死になっていた。そうか。あいつは元気にしているのか。それはよかった。
勝手にフライア先生に話したことについては、後で問い詰めてやりたいと思う。そんな日があればの話しだが。
「先生。俺、やっぱり学園に通うの、辞めようと思います―――」
少しの沈黙にも耐えられなかったのだろう。俺は、今の自分の気持ちを彼女に吐露し始めた。多分、もう心が持たなかったのだろう。脆弱な自分という現実を改めて自覚して、泣き出しそうになっている。もっと強くならないと。
クラファイスを前に動けず、戦うことも許されず。そんな自分が嫌いだ。今すぐにでも殺してやりたいくらいに。でも、それは出来なかった。死にたくないなどという甘えが、
俺は暫く、強くなる為の旅路に出ようと思う。学園に通っている場合ではない。こんな自分じゃ駄目だ。
俺は、もっと強くなったと思っていた。
浮かれていたんだ。ブェルザレンのオヤジに拾われて。六番隊なんて地位にも就かせて貰えて。どんな悲劇も分かち合えて、お互いに支え合えるような家族に巡り会えて。
でも、改めて一人になればこれだ。俺は何も変わってなどいない。まだまだ弱かった。一度は死んだ。竜人なんて奇怪な存在の気まぐれでもなければ、クラスメイトを死地へと誘ったまま死んでいた。そんな、オヤジに顔向けも出来ないような無様な終わり方をしていたのだ。
だから、例えこの肉体が朽ちて潰えようとも――――
「お前は頑張り過ぎだ。馬鹿。」
体がぐっと引き寄せられる。いつの間にか目の前にまで来ていたフライア先生に気づかず、俺はされるがままにその腕の中に収められた。振り払おうとしたが、それが出来る力は今の俺にはなかった。体に殆ど力が入らない。
暖かさに包まれる。体を強く抱きしめられ、傷が痛む。
「あの、痛いです。フライア先生。」
「学園を辞めるなんて言うな。そんなこと、私が許すと思うなよ。お前がどんなに遠くに逃げようと、その首根っこ掴んで学園まで引き摺って来てやる。」
「はは。声が震えている割には、言っていることが怖いですね。」
「うるさい。声が震えているとか言うな。……。助けにいけなくて、悪かった。」
「そんな、先生のせいじゃないですよ。その場にいてあの程度のことしか出来なかった俺が悪い。」
言っていて、多くの人が死んだ戦争のこと、あの島でのこと、血に濡れた赤い戦場、これまで幾重も訪れた死ぬかもしれない瞬間と俺が守れなかった複数人の命、今回犠牲に使ったアサルの死体の光景が脳裏を過ぎ去っていく。
俺は、俺が守れなかった命の上で生きている。
先生に抱きしめられながら、真っ暗な夜空を見上げた。そこにある無数の星が俺を見ているような気がした。
「先生。知っていますか?人生に降りかかってくる不幸なことの原因は、大体は自分なんです。他人にどうこうして貰えるようなものじゃないんですよ。だって俺達人間は、ずっと側に居続けてあげるなんてことは出来ないんですから。だからこそ、その時その場所に居る人間でなんとか出来なければいけない。そこで自分にそれを解決する能力がなかったからこそ、不幸は訪れるんです。だからやっぱり、不幸が起きる1番の原因は当人の能力のなさなんです。他人に期待して、不幸なことをその人のせいにするのはお門違いですしね。だからこそ、不幸を防ぐ為に俺は強くならないと駄目なんです。そうしなければ、また同じ悲劇を繰り返す。俺は、弱い自分を決して許しちゃいけない。」
「だったらせめて、その不幸を私と共有させてくれ。お前が強くなる手助けをさせてくれ。」
「……。」
「気持ちだけでもいい。私も、お前と一緒に戦わせてくれ。」
フライア先生がより強く抱きしめてくる。このまま彼女の優しさに甘えてしまっていいのだろうか。俺は、このまま彼女の優しさに甘えて自分がこのまま堕落していってしまいそうで怖かった。自分が自分でなくなってしまいそうな気がした。この温かさ絆されて緩やかな時間を過ごしてしまってまた悲劇が起きたら?
そんな葛藤が起きた。
結局、力が入らないこともあって、俺は抵抗することを諦めた。何も言えないまま、ただされるがままに身を委ねてしまった。
それから二日。俺は何度か国を出ることを試みたが、その度にフライア先生に捉えられて“絶対安静”と病床へブチ込まれた。
*** *** ***
ティラティ王国の王城は現在、真夜中にあるのにも関わらず騒がしいものになっていた。それは、ノネキストダンジョンから立ち上がった光の柱による影響であり、普段からこのような状態であるわけではない。
国を脅かす脅威に重鎮達が慌てふためいている。既に王の騎士達が派遣されはしたが、大した成果は持って帰れないだろう。国が動く前に、あるものは全てあの魔人族に回収されてしまっている。証拠は隠滅され、今更向かったところでただの崩壊したダンジョン跡しか残ってはいないだろう。
「失礼します。」
暗くした部屋の中。明々とした
入って来たのは、長いローブた女。
「こんな真夜中にどうしたのですか。
フードを被った彼女は私の部屋に入ると、しっかりと戸締まりをしてからそれを取り、顔を出す。
「お久しぶりです。ラナディラス様。早速で悪いのですが、ご報告があります。」
膝をつき、頭を下げる彼女の言葉を私は遮った。
「報告などいりませんわ。この騒がしい夜に、あなたが来た。それだけで、何が起きているのかくらい分かりますわ。私にだって察することはできますの。……。
感情のない表情で、ただ淡々と事実を話した。
なんだっていい。どうだっていい。そんな気持ちでしかない。
「違います。ジュンザは討伐されてしまいました。」
「そう。では
「それが違うんです。ラナディラス様。アサルとジュンザ。この2人はある1人の人物によって討伐されてしまったのです。私は、あのダンジョンでの生還者を見ております。」
「そう。」
「お嬢様のクラスメイトです。」
「……。」
「城内の他の連中はこれに気が付いていません。知り得ることもないでしょう。戦いの後、直ぐにツタンツカから派遣された生気の無い騎士達が証拠となるものたちを回収していきましたから。」
「そう。では、貴方は
「貴方、ではなく
花子は少し疲れた顔を見せながらも、次の計画へと思考を切り替える。
彼女には、文通にてお兄様からお達しの『エパリヴをノネキストダンジョンへと誘導しろ。』という命を共有していたが、まさか学園が始まって一日も経たずに一人で実行してみせるとは思いもしなかった。
それだけ才のある人間が自分の下についていることを、ラナディラスは不思議に思いながら彼女の話に耳を貸す。
「王立ティラ騎士養成学園、特設Gクラス。邪竜殺しの英雄フライアがこの国に呼び込んだイレギュラー達は我々の想定以上に上手く使えそうです。国の重鎮達との繋がりが薄く、情報も少ない。とはいえ、上は所詮ガキ共と侮る存在達。私達にとってこれほどまでに好都合な存在は他にはないでしょうね。彼らを利用しない手はないかと。」
「そう。では貴方は引き続き、貴方の計画を進めるのですわね。」
「……。はい。側に居て上げられず、誠に申し訳ございません。ですが、もし何かあれば直ぐに駆けつけますので。いつでも私めをお呼びください。」
「そうですわね。頼りにさせて貰いますわ。」
言葉ではそういうも、彼女にその気がないことは花子にも分かっていた。だからこそ、早くこの計画を進めて全てを終わらせなければいけない。彼女が幸せになるには――。
「では、私は他の者に気づかれる前にここを
そうしてフードの女は、最後にラナディラスに笑い掛けてその部屋を後にした。
「
ラナディラス・ティラティ。
ティラティ王国の第13王女にしてリヴィスのクラスメイト。
そして、唯一フライア先生の招待ではない形でGクラスへと入った監視者。
彼女の戦争はリヴィス達を巻き込んで大きな事件へと発展することになるのだが、それはまだ先の物語。
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