第4話 肉球と賭博の誘惑
自己紹介を終え、諸々の説明や決定を終えた俺達は、早くも放課後の時間というものを味わっていた。窓の外を見てみると、おそらく他クラスの同級生であろう人達が家族やら友達やらとで賑わっていた。俺はそれを教室の中から羨ましそうに眺める。ウチの家族は流石に来ない。1人というのは、やっぱり孤独だな。
女狐のアチェに吸血種のエパ、魚人族のシャジトは既に教室から外に出ていて、ピューディックはチャイムと同時に黒い霧に戻り霧散した。折角同じクラスになったんだし、てっきり教室に残ってもっと交流を深めたりするもんだと思っていたのだが、皆家族にでも会いに行ったのだろうか。
第13王女ラナディとアネモ獣王国の元騎士団員であるガダンはそれぞれフライア先生と一緒に職員室の方へと行ってしまった。彼らがこのクラスの“学級委員長”なるものになったからだ。それは自主的な挙手制で決まった。二人以外の誰も手を上げはしなかった。俺もそうだが、おそらく他の人間も手を上げなかったのは面倒臭そうだからという理由からだろう。俺だって
まあいい。俺は俺で、今できる交流でもしよう。暇だし。
「なあ、ちょっと聞いてもいいか?」
「んにゃぁ?」
教室に唯一まだ残って寝ていた
でもどうせだから、自己紹介を聞いたときに気になったことでも聞いてみよう。
「なに~?」
ゆったりと間延びした声が返ってくる。
「その手についてるの。“肉球”だよな。珍しいと思って。他の獣人族も何人か見て来たが、凡人族に近いの見た目の種族で肉球が手に残っている奴は記憶になくてな。」
昨日、街で果物をあげた路上に住む獣人族の子ども達にも“
そこには、俺の知らない獣人族の常識がありそうだ。
「あ~。これね~。」
彼女は眠たそうにしながら自分の手をにぎにぎと握った。
「ん。触る?」
そして彼女は何を思ったのか、小首を傾げならその手をぱっと大きく広げて差し出して来た。どうしてそうしたのかは分からない。俺はただ何故
ただ、まあ触ってみたい気持ちはあった。だって肉球好きだし。
握ったらその小さな手の中に収まってしまうような肉球が目の前で露出させられている。触ると気持ちの良さそうなそれに思わず手が伸びてしまいそうになった。
ごくり。か、感触を確かめるのもまた、勉強だろう。
肉球を触っても、きっと俺の疑問の答えは返って来ない。けれど、だからといってこの機会を逃すのも何だか躊躇われた。次に触っていいと言ってくれる日が来るだろうか。いや、来ない。ここは、いくしかない。
「触っていいのか?」
「ん。いいよ。」
そう答えると、何故か椅子からぴょんと飛び降りた
「座って。」
「お、おう。」
肉球を触るだけに椅子に着く必要はあるか?と疑問に思いはしたものの、触らせて貰う身の上、取り敢えず素直に従ってみる。もしかしたら触り方の作法とかがあるのかもしれない。
指示された通りに座ると、パシィは座った俺の膝の上を、埃を払うように手で少し払ってから上に飛び乗ってきた。俺の頭上の疑問符が更に増える。彼女は、俺の上で背中を預けて来ながらぐりぐりと頭を首下辺りに押し付けて来た。
「???」
「ん。椅子よりは柔らかくていい布団。あれ?でも、新しい制服の匂いはしないんだね。」
困惑する俺を
「でも。良い人の匂い~。」
「良い人の匂いって。どんな匂いなんだ?それ。」
「う~ん。言葉にするのは難しいかも。え~とね。敢えて言うなら、ふわふわ~。ぽわぽわ~って感じ。」
―――????
「そ、そうなのか?まぁ、嫌な匂いじゃないなら良かった。」
頭を撫でてやると、彼女は気持ち良さそうにしながら目を瞑る。
「落ち着く匂い~。これは、いい夢が見れそう。そうだ。ん。肉球~。」
目が閉じる寸前で彼女は自分の手を俺の掌の上に重ねて来た。そう言えば、そういう流れだったか。彼女の行動が突飛過ぎて思わず忘れそうになっていた。
「おう。そうだったな。それじゃあ、遠慮なく。」
俺の指が、預けられた手に付いた肉球に触れる。
「―――っ。はっ!」
一瞬、あまりにも持ちの良い感触に意識が飛んだ。空から刺した日光の中に天使が見えたような気がする。あれ、なんかあの天使見覚えが在るな。ってそんな訳ないか。ははは。
なんと言えばいいのだろうか。全体としては柔らかい筈のに、表面はざらっとしていて少し固い。柔らかいといえばツルツルスベスベのイメージではあるが、なんだろうか、この裏切られた感は。いや、これは新鮮な感覚だと言っていいのかもしれない。この肉球は想像の外側から俺を殴って来た。期待を裏切って来たのに、期待以上だ。なんだ。この初めての感覚は。気持ち良い。凄くいい。この表面のざらざらとした肌触りがまた癖になる。
肉球は、俺が指で押してやるとそれに反発するように元の形に戻ろうと優しく刃向かってくる。この弾力もまたたまらなかった。強く押せば強く抵抗し、優しく押せば
「やっぱり、人肌はあったか~Zzz」
好きなだけ肉球を
「やれやれ。気の抜けた連中だ。」
そんな和みの空間に、黒い影の世界の一部が介入してくる。そいつは、最初からそこに居たとでも言わんばかりの表情でそこに居座っていた。誰かの席、その机に両脚をだらしなく置いて酒のようなものを口に運んでいる。酒は口端から溢れていたが、それは地面に落ちきる前にただの影となって消えた。その酒に実体はない筈ではあるが、そいつは美味しそうに喉を鳴らす。
今回の彼は、爽やか系イケメンの姿ではなく、どこかの老兵のような見た目をしている。端からみれば、戦争に敗れて破れかぶれになり、居酒屋で飲んでいる面倒くさそうな老人だ。
「なんだ。ピューディックか。もう帰ったんじゃなかったのか?」
「ふふふ。帰る?そんな馬鹿なことをするわけがあるまい。」
酒瓶を強く机に叩き付け、ケラケラと笑いながら、彼はいつの間にか卓上に置かれてあったボードゲームの駒を一つだけ進めた。
「そうか。君達は知らないか。ハハ。このクラスの連中は面白いが無知な奴らが多い。あの女は、よくこんな奴らをこの時期に集めたものだ。」
老害が何かを語り始めた。俺はそれを肉球片手に話半分に聞き入れる。真面目に全部聞くなんて無理だ。だってこの肉球気持ちいいんだもの。
「この学園は今面白いことになっておるぞ。早速、どこぞの馬鹿な田舎者が才覚ある天才貴族様に喧嘩を売ったらしい。今校内は二人の決闘を
ガハハと笑うピューディック。ふーん。そうなんだ。どうでもいいー。
「知らねぇよ。てか、そんなに他に興味があるなら、こんな所で俺らに駄弁ってないでそっちを見て来たらどうだ。ここには和みの空間しかないぞ。なー。パシィ。」
「Zzz」
肉球を揉んでいない方の手で頭を撫でてパシィに声を掛けてみるも、彼女は静かな寝息でのみ返事を返してくる。
「観てるさ。」
パシィの寝顔を見て和んだ俺に、ピューディックは少しトーンを落した声で俺の疑問に答えた。前屈みになった彼は組んだ指の後ろでニヤリと笑う。
その様子を見ながら、俺は体育館で見た彼の幻術を思い出す。
「はぁ。つまり、多くの幻術をこの学園の敷地内に紛れ込ませていると。」
あの体育館ですら子どもから老人まで様々な人物を作り出せていた彼のことだ。顔も体格も違うこの学校の学生っぽい幻術を大量に潜り込ませることも可能だろう。或いは、本体が直接全体を覗いているのか。まあ、どちらにしても“見るだけ”なら特に害もないか。それにどうせ―――。
「……。」
老兵の鋭い目が俺を睨んだ。
「なんだよ。」
「無知故に。か。ククク。安心しろ。お前も直ぐに巻き込まれる。」
そんな言葉を残して彼は黒い霧へと戻り、消えた。不穏なこと言うな。なんなんだよ、アイツ。
「リっリっリっリ、リっヴィス!くん!」
少ししてから、教室の扉にティアが手を掛けて入って来た。彼女は俺を見つけると、嬉しそうに名前を呼ぶ。
「んお?どうかしたか?ティア。」
彼女が後ろの扉から入って来てくれたものだから、俺は首を椅子に掛けるようにして背後をみた。
「も、もしかして。わ、わた、私を、待っていてくれていたんですか?」
もじもじと上目遣いで此方を見るティアと目が合う。
「ん?いや、別にそういう訳じゃないぞ。俺はここでパシィと話をしていたんだ。」
「パシィ……さん?」
待たれてはいなかったことに少し残念そうに肩を落した。それから彼女はパシィの名前を聞いて不思議そうにしながら近づいて来た。あの位置からでは丁度俺が壁になって見えなかったのだろう。
「わわ。本当です。というか、どういう状況ですか?それ。」
「ああ。パシィの肉球を触らせて貰う代わりに、俺を布団として使わせているんだ。」
「??」
彼女は何を言っているのかよく分かっていないようで、更に首を傾げた。当然だろう。何せ、俺も自分で言っていてよく分かっていないからな。完結に纏めてしまえば“成り行き”でしかない。
思うのだが、ピューディックと話しをしても、ティアと話しをしても気にせず俺の上で眠る
「ティアはチャイムの後、教室を出てたみたいだけど、何をしてたんだ。」
「いや、えっと。あの、他の皆さんとも仲良くなろうと頑張って追いかけたんですけど、その。勇気が出なくて。」
なるほど。物陰に隠れたまま見送っちゃったのか。それでも、クラスメイトと仲良くなる為にティアも頑張って来たんだな。それに対して、俺という奴は。同じ様な考えを持っていた筈なのに、やったこととしてはここで肉球を揉んでいただけだ。少しは反せ、いやまあいいか。
「そうか。それは残念だったな。まあ、ゆっくり馴れていけばいいさ。そのうち他の皆とも話しくらいはするようになるだろ。焦らず、ゆっくりとでも頑張っていこうぜ。」
俺は、背首側に落ちた帽子を被り直しながらティアに向かって笑ってみせた。
「居た!! 良かった!! まだ誰か残ってた!! ねえ。あんた達、お金持ってない?」
ドタバタと激しい音を鳴らしながら教室に戻ってきたのはエパだった。彼女の後ろから遅れて二人の男子生徒がやってくる。他クラスの奴だろうか。なんだか見ため的に厄介な問題を連れて来てそうだ。
「んむむ。」
膝上のパシィが嫌そうな呻きを上げる。驚いた。騒がしい奴が来たっていうのにその程度の反応だけでまだ眠れるのか、こいつ。これは、いざ起こさなくいけなくなった時には面倒になりそうだ。
「持ってるから、静かにしろ。」
「本当!!? どこにあるの!? それ。」
机に強く手を叩き付けて身を乗り出したコイツを思わずしばき倒しそうになった。目の前で寝ている奴がいるのが分からんのか。
「何処って、俺の鞄のポケットの中だ。」
「本当!? やった。って、あんたの席どこよ。」
「ティア。教えてやってくれ。」
「え、あ、うん。分かった。えっと、リヴィス君の席はね、」
ティアがエパに俺の席を教えている間に、上に乗ったパシィがくわわと大きな欠伸をしながら目を覚ました。流石に煩過ぎたようだ。
「悪い。起こしちまったか?」
「ん。でも、別にリヴィのせいじゃないから謝らなくても大丈夫だよ。」
彼女は俺の上に乗ったまま大きく伸びをした。
「う~ん。気持ち良かったのにあんまり寝れなかった。不満。だから、また今度。時間があるときにまた、しよ?」
「お、おう。」
パシィが俺から飛び退いた。しかし、不服はあったようで、俺の手を握りながら物欲しそうに見上げてきた。それに少し戸惑う。あ、でもまた触ってもいいのか。それは嬉しいな。
「あった!! はい。これ、
「まいどー。」
ごとんと机に叩き付けられた俺の財布が、
少し、頭を整理しよう。どうやら俺は、パシィの肉球を触っている間は深く考えずに返事をしていたらしい。たしか、何故かエパに財布の場所を聞かれて、聞かれたからそれを教えたら―――。
考えをしながら冷静に現状を見る。教室に残るのは、てきぱきと帰りの準備を始めたパシィと満足げに腕を組んだエパ。そして不安そうな顔で俺とエパを交互に見るティアの姿。あとは、無くなった俺のさい、ふ?
「えっと。今の。」
「ふふん。聞いて驚きなさい。明日の決闘の賭け事、倍率が765,346.7倍よ!
エパが嬉しそうに答える。決闘?ああ。なんかピューディックが言ってたな。どこぞの馬鹿な田舎者が天才貴族様に喧嘩を売ったって。ついでに、その試合を賭け事にした催し物で学園内がさっそく賑わっているとも。
「―――えっと。それで、俺の金は?」
「勿論、
「は、はい?う、嘘、だよな?」
「嘘?そんなの付いてどうするのよ。あなたも今目の前で私がお金を渡すのを見てたじゃない。」
「で、でも、あれは、俺の金で」
「だからなんだっていうのよ。」
「は、は!はあああああああああああああ!! 何やってんだよ、お前!俺の、俺の金だぞ!」
「何よ!何か文句あるの!?私はお金のない私を馬鹿にしたあいつらをギャフンと言わせられたし、あなたは運が良ければお金持ちなのよ!?皆幸せになりましたでいいじゃない!」
「な!は!? 何言ってるの?何を言ってるの!? てめ!あれは!あれはなあ!貧民街の人達に料理を持て成す為に、昨日徹夜で受けた冒険者ギルドからの仕事で手に入れた貴重な初収入なんだぞ!」
「知らないわよそんなの!それに、当たったお金で何とかすればいいじゃない!」
「はぁ!? 今日の分はどうするんだよ!あの金は今日必要なんだよ!? 俺の分の晩飯を買うお金すらなくなったんだぞ!ぐああ~!どうしてくれるんだ!」
「心配しないで。そんなお金、私だって持ってないわ!」
「心配しない要素がないわ!馬鹿たれが!どんな育ち方をしたら、今の言葉で胸を張れるんだよ!馬鹿なのか?馬鹿だよな!」
全財産を勝手に賭け事にブチ込まれた俺は、涙目になりながらエパに掴みかかった。
765,346.7倍って!この賭けに乗った殆ど全員が反対側に賭けてるってことじゃねぇのか!?よく分からんが、全額無くなる気しかしねぇ!!
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