41輪 許されし甘え

 新春の宴での騒動から始まった亡き皇后の首飾りに纏わる一連の事件は、盗品仲買の首謀者ソーンの死によって一応の終息を見た。


 ロザリー拉致の共犯者は、馬車に追いついた近衛騎士らによってその場でとり押さえられた。また彼の証言によって、街道沿いの町で乗り換えの馬車を用意していた仲間にもただちに警察の捜査が及び、共に捕らえられた。


 ロザリーは馬車から投げ出された際に背中を痛めたのに加え、雨による低体温症状で数日間は寝たきりでの療養を余儀なくされた。


 彼女の救出にあたった近衛騎士ケイレブは肩に銃弾を受け、一時は意識不明に陥った。幸いにして彼は翌日には目を覚まし、命に関わるものにはならなかった。


 見舞いを手短に済ませてロザリーの寝室をあとにした皇太子ジェイデンは、赤毛の侍女ミンディの方へ目をやった。皇太子に続いて廊下へ出た彼女は、静かに扉を閉めて深く息をついていた。


「思っていたよりも元気そうだ。君も、安心したのではないか」


 室内に聞こえぬよう低めた声でジェイデンが言うと、ミンディは機敏に振り向いて頷いた。


「はい。殿下のお力添えのお陰です。殿下のご協力がなければ、本当に今頃どうなっていたか……」


 ロザリーの帰りを待つ不安を思い出してか、言いよどんだミンディの頬が青ざめる。ジェイデンは励ますつもりで、彼女の肩にそっと手を置いた。


「君の正確な状況把握と、迅速な判断があったから、わたしもすぐに動くことができた。ロザリーが助かったのは、君の功績も大きい」


 ジェイデンを見るミンディの目が大きく見開かれた。かと思えば、金の虹彩の輝く青い瞳が、急に濃い憂いを帯びて潤む。ジェイデンが驚いて見詰め返すと、ミンディはやや焦った動作で俯いた。


「違う……違うのです。そのように褒めていただけるようなことは、決してないのです。わたくしは、そんなにできた人間ではありません。わたくしは、ただ……」


 ミンディは声を震わせてなにかを言いかけるも、声を詰まらせ顔を覆ってしまう。

 彼女の涙の理由が分からず、ジェイデンはひどく困惑した。彼女は、皇太子ジェイデンになにを伝えようとしているのか。


 言葉の先をうながすべきかジェイデンが悩んでいると、ほどなくミンディの方から口を開いた。


「……わたくしは、ただ……殿下のお傍に、行きたかったのです」


 消え入りそうな声で言って、ミンディはわずかに顔を浮かせた。目元が、恥じらいの朱に染まっていた。

 窺うような目線を投げただけで、ミンディはまた顔を伏せてしまう。怯えるように肩をわななかせ、それでも必死の口調で彼女は言葉を続けた。


「ロザリー様を助けるには殿下のお力を借りるのが一番いいと、そう思ったのは確かです。でも、今思うと……本当は、わたくしが安心したかっただけなのです。わたくしはただ、怖くて怖くて、屋敷で待つのが耐えられなくて、本来なすべきことから逃げ出して……お優しい殿下に甘えて、励まして貰いたくて、それで……ロザリー様がたいへんな目にあっていらしたときに、こんなにも自己中心的だったわたくしは、褒められるべきではありません」


 それを聞きながらジェイデンは口元を押さえ――途中で笑い出してしまいそうになるのを懸命に堪えた。


 内心など言わなければ分からないというのに、ミンディは黙って賞賛をうけるのがよほど耐えられなかったとみえた。


 彼女のそんな素直さと真っ直ぐさが、ジェイデンから見ればあまりにも可愛らしく、緊張が続いていた心を緩めさせる。同時に、甘美なる喜びと衝動が、ジェイデンの胸の内をくすぐった。


 結局は完全には笑いを堪えきれず、ジェイデンは苦笑をこぼした。


「本音がどうであれ、結果として君は最善の行動をとった。わたしから君への評価は少しも変わりはしない」

「ですが――」

「それに――」


 ジェイデンはわざと言葉を被せ、ミンディに反論をさせなかった。顔を覆っている彼女の指先に片手を添え、もう一方の手で赤い前髪を撫ぜるように掻き分ける。


「わたしは君に、わたしに甘えるな、と言った覚えはないが? 顔を上げたまえ」


 命じられるまま、ミンディの顔が恐々と持ち上げる。その表情はひどく強張り、青ざめていた。


「皇太子殿下に甘えるなど、そんな恐れ多いこと――」

「わたしに甘えたいと言ったのは君だろう?」


 ジェイデンが意地悪く指摘すると、青かったミンディの顔が一瞬で赤くなった。頬や目元だけでなく耳まで、鮮やかな髪色に負けぬほど真っ赤に染まる。


「それは違……わないですが、その……わたくしが申し上げたのはそういうことではなく、ええと……」


 しどろもどろになるミンディに、ジェイデンはついに噴き出した。


 嘲笑でもなければ挑発や牽制でもない、なんら思惑を含まない笑いが自然と込み上げる。その感覚はたいへんに快く、ミンディへの愛しさが一段と温度を増すようだった。


 ジェイデンは、触れていたミンディの指先をつかんで引いた。驚きよろめいた彼女の頭を抱き寄せ、耳元に沿わせる。頬に触れた赤毛には白薔薇の髪飾りが変わらぬ可憐さで咲いていて、ジェイデンをことさら有頂天にさせた。


「君は好きなだけ、わたしに甘えたらいい。君が望むことなら、わたしの力が及ぶ限りなんでも叶えよう」

「でっ……殿下、あのっ、それは――」


 動転したミンディから発せられた声が裏返っていて、ますます笑いを誘う。


 ジェイデンはどうしようもなく舞い上がっている自覚があったが、もはやそれを隠す気もなかった。熱の集まるミンディの頬に手を添えて仰向かせ、美貌の皇太子は鼻先の寄り添う距離で囁いた。


「ミンディ、今から少し時間を貰えるだろうか。君に大切な話がある――できれば、二人きりで」

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