31輪 約束の色Ⅱ

 信じられないものでも見るように、赤毛の少女は目を丸くした。紫の大輪が咲く自身のドレスを見下ろし、丈の長過ぎるスカートを摘まみ上げる。


「……そんなに似合っていない?」

「ええ、ちっとも。わたくしだったら恥ずかしくて死んでしまうくらい似合っていないわ」


 歯に衣着せぬロザリーの物言いに、少女は言葉を失って顔を上げる。

 ロザリーは立ち尽くす少女の周りを歩き、つま先から頭の天辺まで品評するように眺め回した。


「この紫がよろしくないわね。鮮やか過ぎて、せっかく綺麗な髪色が台なし。赤い髪に合わせるなら、うーん、そうね……もっと濃い紫はどうかしら。菫ではなくて、熟した葡萄のみたいな紫。全部が葡萄色だと暗くなってしまうから、髪や胸元に白いリボンを飾ったらとっても素敵になるわ」


 今のロザリーの口調は母親そっくりだったが、本人にその自覚はなかった。


 ロザリーの母は自身が着る服を選ぶとき、仕立屋や侍女とあれこれ意見を交わして絶えず喋る人だった。それを見ていたロザリーも自然と、母と意見交換をしながら服選びをするようになっていた。着るものを選んでいるときが、母娘の会話をもっともたくさんしているかもしれない。


 赤い髪が鮮麗に映える濃紫のドレスと白いリボンを思い浮かべて、ロザリーは次第に気分が乗ってきた。少女の背中側に立ち、体と合っていない服の肩の部分を摘まみ上げた。そうしてみると、この少女が思った以上に細身だと分かった。


「服が大き過ぎるのもよくないわね。ほら、ここがドレスの肩なのに、あなたの腕の位置にあるわ。これではどんなに綺麗なドレスでも、形が崩れてだらしなくてよ」

「でも……」


 ちょっと体を捻ってロザリーの方を見ながら、赤毛の少女は反論を絞り出した。


「ぴったりの大きさの服だと、すぐに着られなくなってしまうでしょう?」

「丈を詰めたらいいのよ」


 ロザリーは少女の肩を押して真っ直ぐに前を向かせた。彼女の肩の位置に合っていないドレスの縫い目を摘まんで、内側に折り込んで押さえる。それだけで肩幅も袖の長さもちょうどよくなり、たくし上げてできていた皺も少し伸びた。


「こうやって調節して、ここを縫ったらいいの。背が伸びたら糸を切ってアイロンを当てれば、またちょうどよく着られるわ。わたくしの服は全部、お母様がわたくしの体に合わせて綺麗に縫ってくれているのよ」


 得意になって言って、ロザリーは少女のドレスから手を放した。途端にドレスの肩は少女の二の腕の位置まで落ち、垂れ下がった袖が白い手の平を覆い隠した。

 少女に教えるのがすっかり楽しくなったロザリーは、弾みながら改めて彼女の正面に回った。


「服を作るとき、仕立屋さんにきちんと寸法を測って貰っている?」


 少女は袖をたくし上げ直しながら、首を横に振った。


「服はいつも、メイドが外で買ってくるの」

「自分で選んだりはしないの?」


 赤毛の少女はやはり、かぶりを振る。ロザリーは呆れて、腰に手を当てた。


「あなたのメイドは、絶望的にセンスがないのね」


 ロザリーが思ったままを言うと、赤毛の少女は唇を噛んで顔を青くした。少女の泣き出しそうな顔を見たロザリーは、なにか言葉を間違えただろうかと自身の発言を思い返した。


 これまでにも、今のように教えるつもりで話している内に相手が泣き出したり、怒り出したりすることが何度かあった。それで両親にも叱られている。

 だからロザリーは、自身が困ることでなければあまり口を出さないように、少しだけ気をつけていた。特に大人が相手の場合は、ロザリーが教えられる側であるように振る舞った方が可愛がられるのだ。


 今、目の前にいるのはロザリーと同じ子供だ。大人相手のときと同じに振る舞う必要はない。それでつい夢中になって、不要なことまで言ってしまったかもしれない。


 このあとはもう少しだけ気をつけようと考え、ロザリーは次に言うべき言葉を探した。だがその言葉が発せられる前に、少女が口を開いた。


「あなたのドレスは、とても似合ってる」


 ロザリーはびっくりして赤毛の少女を見上げた。直前まで青ざめていた少女の顔は、今度は少し恥ずかしそうにほんのり赤らんでいた。

 ロザリーの姿を眺めるように瞳を動かして、彼女は続ける。


「その赤いドレスに金髪が被さると、きらきらして見えてとても綺麗。わたしには着られない色だから羨ましい」


 気持ちが高揚するのをロザリーは感じた。同世代の子供の褒め方と言えば、ドレスが綺麗だというだけで、ロザリーが着ることで引き出される魅力など理解しないものだ。


 けれど目の前の少女はきちんと理解している。ロザリーは一気に少女のことが好きになった。


「そうでしょう。ドレスはたくさん持っているけれど、このドレスが一番わたくしに似合うのよ」


 ドレスとそれを着る自分をよく見せるために、ロザリーはその場でくるりと一回転した。


「後ろにリボンがあるのも素敵でしょう。よそ行きのお洒落をするときにはレースのフリルがついたショールと、白サテンの靴を合わせるの。そうすると、もっと素敵になるのよ。でも、このドレスをあなたが着たとしても、確かに似合わないわね。髪が赤いから全部が真っ赤になってしまうもの」


 どんなに綺麗な髪もドレスも、組み合わせ次第では台なしだ。目の前の少女がそうであるように。

 目がちかちかするような色彩を改めて見やる。すると急に閃くものがあり、ロザリーは少女の手をとった。


「わたくしがあなたに似合うものを見つけてあげるわ」


 赤毛の少女が目を剥いた。驚きで口をぱくぱくする少女の手を、ロザリーは両手でぎゅっと握った。


「好きでもなければ似合いもしないものを着ていたって、少しもいいことないもの。あなたはそのドレスを、好きで着ているの?」


 少女は焦った顔で首を左右に振った。その返事に満足して、ロザリーはにこりと笑った。


「それならやっぱり、もっと似合うものを着るべきよ。赤い髪は珍しいし背も高いから、着飾ればたくさんの人に見て貰えるわ。あなたはどんな服が着たい?」


 ロザリーは少女の瞳を覗き込んで尋ねた。すると、ほんのりと色づいていた少女の頬が、さらに鮮やかな朱に染まった。青い瞳を彩る金の虹彩も、強くきらめきを増ます。


「わたしが、着たい服……」


 呟いて、赤毛の少女は今着ているドレスを見下ろし、それからロザリーのドレスをもう一度眺めた。たっぷりと時間を使って少女は考え込み、やがて意を決するように口を開いた。


「紫じゃなくて、白い花の服がいい。白い花と、白いリボンのドレス」


 赤い髪に白いドレスは必ず似合う。その確信で、ロザリーはますます楽しくなった。目の前の少女を、すぐにでも着飾らせたくてたまらない気持ちになる。


「白い花と白いリボンね。わたくしに任せて。あなたに一番似合うものを見つけて、次に会うときに必ず持ってきてあげるわ。約束よ」


 ロザリーは、握っていた少女の小指に自身の小指を絡めて囁く。

 赤毛の少女の顔に、明るい笑顔が咲いた。ここで出会ってから初めて見せた笑顔だった。


「うん。待ってる」


 幼い少女たちの小指が強く結ばれる。この約束は必ず守ろうと、ロザリーは心深く刻み込んだ。


「ロザリー」


 遠くから呼ぶ声が聞こえて、ロザリーは慌てて指を解いて周囲を見回した。緑の生垣が視界いっぱいに連なるばかりで、少女たちの他に人の姿は見えない。迷路の外から呼ばれたのだ。


「お父様だわ。お話が終わったのね。戻らないと」


 ロザリーは、立ち尽くしている赤毛の少女に向き直った。少女は頬を上気させて、ぼんやりと自分の手を見下ろしていた。


「ねえ、あなたは帰り道がどちらか分かる?」


 ロザリーに問いかけられて、少女は我に返ったように顔を上げた。慌てて手を下ろして、せわしなく頷く。


「うん。こっち」


 少女は身を翻して軽快に駆け出す。緑の中を迷いなく駆ける極彩色をロザリーは追いかけた。


 赤毛の少女はまったくよどみない足どりで、迷路の出口が見えるところまでロザリーを連れていってくれた。しかし少女自身は頑なに生垣の外に出ようとしない。仕方なく、ロザリーは出口の一つ前の角で彼女とお別れをした。


 迷路から出た瞬間、そこにあまりにも見慣れた父の姿があり、ロザリーは急に夢から覚めたような心地になった。出口の分からない迷路で自分が不安になっていたことにようやく気づく。淡紅色の建物を背にした父へ夢中で駆け寄り、すらりとしたその脚にしがみついた。


 父テオドールは甘える娘の頭を撫でて苦笑すると、生垣の迷路の方へ視線を巡らせた。


「一人で遊んでいたのか。見守りを立てずに申しわけなかった」


 ロザリーは強くかぶりを振って父の顔を見上げた。


「いいえ。一人ではありませんでしたわ」


 途端に、父は表情を怪訝げにしてロザリーへと目線を下ろした。


「迷路に誰かいたのかい」


 即座に答えようとして、ロザリーは赤毛の少女に名前を尋ねなかったことに思い至った。名前を知らないままで再会の約束を果たせるか、ふと不安がよぎる。

 だがすぐに、あの特徴的な髪色ならば見間違えることはないだろう、とロザリーは気をとり直した。


「女の子がいましたわ。わたくしと同じくらいの歳で、背が高くて、赤い髪の」


 ロザリーの答えを聞くと、テオドールは眉間を開いた。


「ああ、それは――」

「中でその子供を見たのか」


 別の声が割り込んできて、ロザリーは父の脚にしがみついたまま振り向いた。父の隣に立っていたグンマイが、気難しげな顔をさらに厳しくしてこちらを見下ろしていた。

 その目がぞっとするほどの冷たさを湛えていて、ロザリーはこれまで向けられた経験がない種類の眼差しにすくんだ。そして今さらのように、彼の瞳が深い青の色味を帯びていることに気づいた。


「迷路の中で、赤い髪の子供を見たのだな」


 グンマイが抑揚なく繰り返す。ロザリーは気圧されるように頷き、父のスラックスに縋りついた。

 顔を上げて迷路の方を向いたグンマイの青い瞳が、なにかを見出そうとするように細められる。


「――そうか」


 ロザリーに対し、グンマイは遅過ぎる返事をした。

 これ以上この男の傍にはいたくないと、ロザリーは心の底から思った。なぜと問われても分からないが、子供心に彼を恐ろしいと感じる。

 早くグンマイから離れたくて、ロザリーは父の脚に頬を当てて上目づかいをした。


「お父様、お話が済んだのならもう行きませんこと。街でお買いものをして帰る約束でしたでしょう」


 グンマイに訝しげな目を向けていたテオドールは、すぐに振り向いてほほ笑んだ。


「ああ、そうだったね。グンマイ、わたしはこれで失礼するよ」


 テオドールが笑みを向けると、グンマイも目を細くして微笑を返した。けれどその表情がどこか作りものじみて見えて、ロザリーは彼への警戒心を深めた。


「またいつでもきたらいい。この次は、娘を紹介しよう」

「楽しみにしているよ。さあロザリー、ご挨拶を」


 グンマイの方を向くよう、父がロザリーの肩を押す。とにかく長引かせたくなかったロザリーは、「ごきげんよう」とだけ素早く返して、父の手を引っ張った。すでに玄関ポーチの前で馬車が待っていることには、とっくに気づいていた。


 父を急かして乗り込んだ馬車が、グンマイの見送りを受けてゆっくりと動き出す。馬車が並木のアプローチを抜け、銀の門を出るまで、ロザリーはずっと気が休まらなかった。


 グンマイのなにが怖かったのか、幼いロザリーにはうまく言葉にできない。それでも、この屋敷にはまたくることになることは分かっていた。迷路で出会った赤毛の少女と、再会を約束したのだから。


 嫌なことよりも楽しいことを考えようとロザリーは決めて、赤毛の少女に似合いそうな白い花のドレスに思いを巡らせた。




 その後ロザリーは、思惑通りに何度もグンマイの屋敷を訪れた。

 しかし約束は果たせなかった――赤毛の少女と、会えなかったからだ。

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