第4章 わたくしが幸せになるのは当然です

30輪 約束の色Ⅰ

 六歳のロザリー・フレディーコは、大人に構って貰うのが好きだった。大きなベロアリボンのついたお気に入りの赤いドレスを着せて貰うと、その傾向はますます顕著だった。

 目についた大人に人懐こい笑顔で駆け寄っては、ふわりと広がるドレスを見せびらかさずにはいられない。そうすれば誰もが、愛らしく美しい子だとロザリーを褒めそやしてくれたからだ。


 赤いドレスに自分のバターブロンドと葡萄酒色の瞳がよく映えることも、ロザリーはちゃんと分かっていた。だから、ロザリーが着るからこそドレスの華やかさが引き立つのだと分かっていない、同世代の子供と話すのはつまらなかった。なぜ他の子供が、自分をよりよく見せるものを自分で選んで着る、という簡単なことができないのかも理解ができなかった。


 ロザリーのことを一番よく褒めてくれるのは、もちろん両親だった。特に母グレッタ・フレディーコは、ロザリーが求めている言葉を的確に与えてくれた上に、もっと素敵になるにはどうすればいいかの助言までしてくれた。


 次期ヘルツアス侯爵たる父テオドール・フレディーコもたくさん褒めてはくれたが、女の子に対する言葉選びがほんの少しだけ下手だった。

 その代わりテオドールは、ロザリーをよく外へ連れ出して目新しいものをたくさん見せてくれた。三歳下の弟に母の手がとられているときでも、父がよく構ってくれたので不満はなかった。


 この日もテオドールは、ロザリーを馬車に乗せて初めての場所へ連れてきてくれた。そこは淡い薔薇色の壁の家々が寄り集まる街の一画にある、古風な屋敷だった。


 街の通りから遠目に垣間見えた屋敷は、淡紅色の壁が日光でぴかぴかと光って美しかった。ところが近づいてみると、外壁に灰色の雨の筋が目立ち、色彩がくすんで陰気さが漂っていた。

 車窓から見た景色に一度は胸を躍らせたロザリーだったが、到着するなり少々落胆の気持ちで建物を見上げることになった。


 屋敷は周囲の家屋よりも二階層分は高かった。円柱が前面に並ぶ伝統的な意匠の古びた建物は、中央棟と、いくぶん小さな左右の翼棟の三つに分かれている。緑の生垣の迷路と噴水のある庭は、もう一棟くらいは建物を増やせそうなくらいに広い。

 ロザリーが暮らしている領主館には及ばないものの、十分に贅沢な規模を誇っている。


 もう少し外壁掃除をこまめにおこなって、庭に色の濃い花をたくさん植えれば、さらに明るく見違えるのに――というのが、ロザリーが最初に抱いた感想だった。素地はよいのだから、手のかけ方を少し変えるだけで外壁の色彩が格段に輝くはずなのだ。


 なぜ屋敷の住人がそれをしないのか、ロザリーは理解に苦しんだ。ロザリーの母ならば、見苦しいままになど絶対にしておかないだろう。けれどそれを大人に放言すればあとで叱られることも、ロザリーはすでに学習していた。


 若草色を基調とした応接室に通されると、父テオドールは屋敷の主と思しき男性とテーブルを挟んで話し始めた。父と同世代らしき気難しげな顔の男性は、赤いドレスのロザリーをほんの一言褒めただけで、すぐに父との難しい話に移ってしまった。


 あまり自分の話がされなかったことに、ロザリーは不満を抱いた。どうにかして、父らの気を自分の方に向けさせたかった。さりとて、そのために大人の話に無理やり割り込むのは品がない。

 幼いなりに侯爵家の嫡女としての矜持きょうじが育っていたロザリーは、どうしたら卑しいことをせずに自分の望みを叶えられるかをいつも考えていた。


 今回も考え抜いた結果、ロザリーは応接室を出ることにした。そうすれば必ず、彼女だけに構ってくれる大人が現れる。大人たちは決して、彼女を一人きりで放置などしないのだから。今はそれで妥協することにした。


「お父様」


 隣から控えめに呼びかけると、若いながら正統な紳士然としたテオドールはおもむろに振り向いた。ロザリーは自分と鼻筋がよく似た父の顔を見上げて、軽く甘えるようにフロックコートの袖を摘まんだ。


「お外へ出てもよろしいですかしら」


 あどけなく首を傾ける娘に、テオドールは自然と頬を緩めた。


「ああ、ロザリーには退屈な話だったね。申しわけなかった。グンマイ、この子に庭を見せてやっても構わないか」


 テオドールが正面へと顔を戻すと、そこに座るグンマイと呼ばれた男性は興味なさそうな表情で頷いた。


「構わない。庭の迷路で遊べば退屈もしないだろう」

「だそうだ。行っておいで」


 父にうながされて椅子から立ち上がったロザリーは、グンマイの方を向いてスカートを摘まんだ。


「ありがとう存じます」


 最大限に愛らしく見えるようにロザリーは小さく膝を曲げる。それでもやはり、グンマイは目の前の少女に関心を示さない。子供が好きではないのかもしれない。眼差しにどこか鬱陶しがる色合いも感じられ、軽い反感を覚える。


 気難しい大人のご機嫌とりはひとまず保留することにして、ロザリーはさっさと応接室を出た。


 庭に出るまでに、遊び相手を命じられたメイドなり従僕なりがあとを追ってくるだろうとロザリーは予想していた。けれど、玄関ホールまできても後ろからは誰もやってこず、ポーチでしばらく待ってみてもやはり相手をしてくれそうな大人は現れなかった。


 すっかり当てが外れたロザリーは、子供一人で放置されたことにふてくされた。父へ訴えに応接室に戻ってもよかったが、グンマイに煩いものを見るような目を向けられるのはどうしても嫌だった。


 こうなれば迷路を隅から隅まで攻略し尽くそうと決めて、ロザリーは庭のほぼ半分を占める生垣の連なりへと駆け込んだ。


 緑が密な生垣はロザリーの背丈の倍以上も高さがあり、折れ曲がった道の先がどうなっているのかさっぱり見通せなかった。子供だましの迷路かと思いきや、どうやら外から見た印象よりもずっと複雑らしい。どちらを向いてもまるで代わり映えしない景色の中で、ロザリーはあっという間に現在位置を見失ってしまった。


 タイル敷きの狭い通路を歩けども歩けども行き止まりばかりで、ちっとも前進している気がしない。焦るほど自分がきた方向も判然としなくなり、出口を目指すことも入口に戻ることもできなくなる。


 右往左往するロザリーが、もういくつ目か分からない角を曲がったときだった。唐突に景色が変わった。

 目の前に、ドーム屋根が乗った大理石の四阿あずまやが現れたのだ。


 生垣にぐるりを囲われた中心に建つ四阿あずまやは、元は白かったろう屋根が風雨で灰色に煤けていた。屋根の真下の日陰には、同じくらい古びた大理石のベンチが設置されている。


 そのベンチの上に、赤い髪の少女が一人立っていた。

 ロザリーと歳が近いと思われるその少女は、四阿あずまやの煤け具合とは対照的に、鮮烈な色彩を放っていた。背中に垂らされた髪の赤さといったら。こんなに鮮やかな髪色を見るのは初めてだ。


 さらに、少女が着ているドレスには大きな紫の花いくつも描かれていた。印刷と思しき冴えた紫は、単体で見れば晴れの日に咲く菫を思わせる美しい色だった。が、少女が持つ赤い髪と合わさると、途端に色の主張の強さがぶつかって、目がちらつくほど毒々しく悪趣味な配色になり果てていた。ドレスの丈も彼女の体に合っておらず、長過ぎる袖をたくし上げている。


 こんなにも似合わないドレスを着ている少女がいることが、ロザリーには一番の衝撃だった。


 少女自身は、自分がどんなにとんでもない恰好をしているか意識にないようだった。ベンチにのぼって端から端まで歩いたかと思えば、片足で飛び降りてみたりと、声もあげずに一人で遊んでいる。

 背景が生垣の緑なせいでますます暴力的に目に刺さる色彩を、ロザリーはただただ唖然と凝視した。


 生地の薄いスカートを翻して振り返った少女と、不意打ちで目が合った。ぴたりと動きを止めた少女の目が、大きく見開かれる。その瞳まで鮮やかな夏空のような青をしていて、ロザリーは驚いた。青の上には、金の虹彩が花のように広がって輝いている。


 少女が素早く身を反転した。逃げるように、ロザリーがきたのとは別の通路の方へ駆け出す。ロザリーは慌てて、赤毛の揺れる背中を追いかけた。


「待って! ねえ、待って!」


 咄嗟に淑女の言葉づかいを忘れてロザリーは声を張り上げた。すると少女が駆け込んだ生垣の影から、赤い頭だけがひょっこりと覗いた。なぜか怒ったような目でロザリーの方を見た赤毛の少女は、口の前に人差し指を立てて、しーっと音を立てた。


「大きな声を出さないで。見つかってしまうから」


 ひそめられた少女の声は、外見のわりにやや舌足らずだった。彼女がまた逃げ出す前に、ロザリーは急いで駆け寄った。


 隣に並ぶと、似合わないドレスに身を包んだ少女はロザリーよりも背が高かった。けれど先ほどの舌足らずさや、白くて丸い頬を見るに到底、歳上とは思えない。少し見上げる位置にある少女の顔に鼻先を向けて、ロザリーは気安く囁いた。


「見つかってしまうって、あなたここで隠れているの?」


 赤毛の少女は頷いた。


「本当は部屋から出てはいけないの」

「どうして?」


 戸惑い気味にひと呼吸置いてから、少女は答えた。


は、家族以外の人に見られちゃいけないから」


 切羽詰まった顔で少女が言うので、ロザリーは困惑した。

 どんなに綺麗な庭でも、必ず落ち葉の数枚は落ちているものだ。それを見られてはいけない理由が、ロザリーにはさっぱり分からない。この迷路にも、生垣から落ちた葉がたくさん散らばっている。


「どうして落ち葉を見られてはいけないの?」


 ロザリーが率直な疑問を投げかけると、少女のまなじりが悲しげに下がった。


「嫌な気持ちになってしまうから」

「あなたが嫌な気持ちになるの?」


 この問いには、少女はかぶりを振る。


「わたしを見た人が、嫌な気持ちになってしまうの。の赤い髪は見苦しくて、気持ちが悪いから」


 ロザリーは少女がなんの話をしているのかはまだ理解できなかったが、というのが彼女の髪を指しているらしいことは察した。言われてみれば、真っ赤に紅葉した楓とよく似た色合いかもしれない。


「あなたの髪は気持ち悪くないわよ。赤い髪は初めて見るけれど、すごく綺麗。わたくし、色では赤が一番好きなの。気持ち悪く見えるとしたら、そのドレスのせいよ。まったく似合ってないもの」


 自信満々にロザリーは断言した。

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