32輪 約束の色Ⅲ

 若草色の応接室に通されたロザリーは、テーブルセットを素通りして窓辺に立った。そこから見えるのは、花壇と煉瓦道だけが幾何学的に配置された、だだっ広い庭園だった。


 グンマイ家のメイドがお茶を淹れる音を背中に聞きながら、ロザリーはこの十年ほどですっかり様変わりした庭園を静かに眺めやった。


 花壇に植えられている花木はどれも背が低く、いまひとつ華やぎに欠けていた。それでもかろうじて見られる景色になっているのは、敷地の境界まで視界を遮るものがほとんどなく、薔薇色の町並みが門の向こうに見渡せるからだ。


 ロザリーが初めてこの屋敷を訪れたときには、高い生垣の迷路が一面を緑に覆っていた。それが二度目の訪問時には、ばっさりと刈られて根元だけが並んでいた。その根もすぐに残らず掘り起こされ、気づけば現在のような飾り気のない花壇へと姿を変えていた。


 煤けた大理石の四阿あずまやだけが、かつての名残として花壇に囲まれた中央に侘しく佇んでいる。


 他家に誇れるほどの規模があった生垣の迷路を、庭園の主はなぜつぶしてしまったのか。幼かった当時には分からなかったその理由も、今やはっきりしている――ロザリーが赤毛の少女と出会ったからだ。


 当初六歳だったロザリーに、名も知らぬ少女に似合うドレスを用意するなどできるはずもなかった。代わりに自身が持っていた白いリボンをポケットに忍ばせて、再び父にグンマイ家へと連れてきて貰った。ところがどうしてか、当の少女と会うことは叶わなかった。


 グンマイ家の娘だと紹介されたのは、赤毛ではなく、飴色の髪の少女だった。しかも、言葉も覚束ないほど歳下の幼児だ。


 もっと歳が上の赤毛の少女がいるはずだと、自分はその子に会いたいのだとロザリーは主張した。けれどグンマイは聞く耳を持たず、赤毛の少女を話題にしようとするだけで話を遮ったり逸らしたり、うとむむようすを見せた。それが幼いロザリーから見ても、あまりにも不可解だった。


 ロザリーが赤い髪の意味を知ったのはそれから数年後。さらにたるフィーユ民族がいかなる差別を受けているか目の当たりにしたのは、十三歳から二年間在籍した女学校でのことだ。


 その頃には、赤毛の少女が何者であるかをロザリーは突き止めていた。そして、なにをおいても再び彼女に会わねばという思いを強くしていた。


 ロザリーが十七歳になった年、父が爵位を継いだ。近い将来に皇太子妃となることも、ほぼ確定している。もはや力ない子供ではない。

 グンマイを従わせるために振るえる武器はすべて振るい、ようやく目的の少女に手が届いた。あとは、ここで待つだけだ。


 応接室の扉が控えめに叩かれた。庭に面した窓から室内の扉へと、ロザリーはゆっくり向き直る。


「どうぞ」


 ロザリーが応えてから、少し間があった。廊下にいるだろう人物の躊躇いが、扉越しに伝わってくるようだ。焦れることもなくロザリーが黙って待っていると、弱々しい声がやっと返ってきた。


「……失礼いたします」


 ゆっくりと扉が開く。若草色の室内に、赤が灯った。その赤は、ロザリーの記憶にある少女の面影と重なった。かつての少女は時を経て、すらりと丈高い乙女へと成長を遂げていた。


 けれど着ているドレスは、彼女の長身に対し丈が足りていなかった。窮屈そうな綿の靴のつま先が見えている。ドレスの色も半端な明るさのねずみ色で、せっかくの髪の鮮やかさをくすませている――まるで似合っていない。


 相変わらずグンマイ家の人間は、彼女の着るものに興味がないらしい。外に出す気がないからだろう。庭にあった隠れ場所すら跡形もなくとり払ってしまうほど、彼女の父は彼女を屋敷に閉じ込めておきたいのだから。


 綱渡りでもするような頼りない足どりで、赤毛の乙女が応接室へと入ってくる。ロザリーを見る大きな瞳が、なにかに驚いたように見開かれている。その青の精彩さも、金の虹彩の輝きも、幼き日の記憶そのままだ。


 立ち尽くすようにロザリーに見入ったあと、赤毛の乙女は焦ったようにぎこちない礼をした。


「お初にお目にかかります。ミンディ・グンマイです」


 そうか、とロザリーは思った。

 彼女は、ロザリーがかつて約束を交わした相手だと気づいていない。あるいは、忘れてしまったのだろう。再会まで時間がかかり過ぎた。忘れていても、なんら不思議ではない。


 父親の追及を恐れて初対面の振りをしている可能性も考えた。しかし顔を上げた彼女の真っ直ぐな眼差しにあるのは、初めて見るものに対する好奇心のようだった。


 彼女が忘れているのならば、それでも構わなかった。そんなことで約束が消えはしないし、ロザリーの思惑が阻害されるわけでもない。


 ロザリーはほほ笑み、色づいた落ち葉を拾い上げるように目の前の乙女の手をとった。


「わたくしがロザリー・フレディーコよ。やっと会えましたわね。ミンディ」


 初めて名前を呼んだ瞬間、ミンディの頬が朱に染まった。


 ミンディを自分の傍に置こうと、ロザリーはこの場で決意した。手を尽くして、グンマイ家から彼女をとり上げなければならない。そして約束通り、彼女に似合う白い花と白いリボンのドレスを贈るのだ。


 ロザリーは迷わなかった。グンマイ子爵はヘルツアス侯爵の配下だ。父侯爵の説得さえできれば、ミンディを侍女に迎えるのはそれほど難しくはなかった。行儀見習いならば妹の方をとグンマイは提案してきたが、そんなものは突っぱねてしまえる。ミンディ自身が侯爵家への奉公を強く希望したのも、話を進めるのに有効に働いた。


 ミンディを侍女に迎えて以降も、ロザリーは彼女とグンマイ家を切り離す方法を考え続けた。そこへ手を差し伸べてきたのが、皇太子ジェイデンだった。

 切り札となりえる白き薔薇が、おのずからきたのだ。






 一人きりではより広く感じられる食堂でロザリーが朝食を終えると、巻毛のメイドが銀の台車にお茶と複数紙の新聞を乗せて運んできた。


 常に最新の話題に乗り遅れることがないよう、各社の新聞と物語詩バラッドに目を通すのがロザリーの毎朝の習慣だ。特に今は、婚約破棄した皇太子が果たして復縁するか否かが世間の大きな関心事となっている。当事者であるロザリー自身のことがいかに書かれているか、油断なく目を光らせる必要がある。


 アイロンがけされた新聞の山から、ロザリーはさっそく一紙をテーブルへ広げた。新聞の見出しに素早く目を走らせていると、背後に立ったメイドが身を屈めてそっと耳打ちをした。

 新聞をめくるロザリーの手がぴたりと止まる。


「お父様が?」


 囁き返しながら軽く目をやれば、メイドは無言で頷いた。ロザリーは視線を新聞へと戻し、紙面を指先で叩きながら思考を高速で巡らせた。


 父・ヘルツアス侯爵が領地から皇都ラガーフェルドへ向かっているという。

 今は皇宮で議会がおこなわれるような時季でもなければ、近々に侯爵が参加するような行事もない。となれば十中八九、ロザリーに用があってのことだろう。その心当たりは、大いにある。


「思ったより早かったわね」


 低く呟いて、ロザリーは新聞を畳んだ。


「知らせてくれてありがとう。お母様に電報を打つわ。出かける支度をするから、ミンディを呼んでちょうだい。馬車の手配もお願い」

「かしこまりました」


 侯爵令嬢の素早い指示に、メイドは一礼して静々と食堂を出ていく。畳んだ新聞を重ね直したロザリーは、一度、息をついてからティーカップを口へと運んだ。


 父が到着する前に、迅速かつ念入りな根回しをせねばならない。まずは先手となる母への連絡。皇太子にも早々に動いて貰う必要がある。短時間ですべきことが一気に積み上がった。


 とはいえ焦りは禁物だ。差し当たって目の前のお茶をゆっくり飲み干してから、ロザリーは身支度のために席を立った。

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