25輪 ハニーイエロー
ケイレブの長躯の脇から、ロザリーは素早く硝子ケースの中身に目を走らせた。
輝くケースの中は主に女性用、とりわけ、宝石をあしらった耳飾りが多く並べられている。
見たところ、今のケイレブに同伴者はいない。成人男性が一人で、女性用の宝飾品を買い求めにきている。考えられる理由は限られる。
ケイレブの目線が一瞬、ロザリーから逸れた。蜂蜜色の瞳にわずかな動揺を見てとり、ロザリーのときめきが不穏なざわめきに変わる。
すぐに視線を戻したケイレブは、刹那のたじろぎがなかったかのように人好きする笑みを浮かべた。
「そんなところです。こういう宝飾品には疎くて、選ぶのに少し苦労していますが」
「素敵ですわね。ケイレブ様からものを贈られて、喜ばない女性はいないのではありませんこと」
「そうだと、いいのですが」
複雑そうに、ケイレブは笑う。ロザリーの胸の内に、冷たいものが兆した。
女性への贈りものであることを、彼は否定しなかった。つまり、そういうことだ。
笑顔を貼りつけたままロザリーは、
「休暇中に急に声をおかけして失礼いたしました。ぜひまた、屋敷にお越しくださいね。ごきげんよう。コリン、行きましょう」
「ああ、うん」
ケイレブに軽く礼をして、ロザリーはコリンをうながす形でいったんその場を離れた。
こんなところで、ぼろを出すわけにはいかない。自身の
店員に声をかけて男性用の品が並ぶ一角へと移動しても、ロザリーは意識の端でケイレブの姿を追っていた。優美な金細工のネクタイピンをコリンの胸元にあてがってやりながら、頭の中ではケイレブが贈りものをする女性の心当たりを探す。
ケイレブに歳の離れた弟がいることは知っているが、女兄弟がいると聞いたことはない。であれば、考えられる身内女性は母親。しかしユーゴニス伯爵夫人は今は領地にいる。明日から勤めに戻るケイレブが、急いで贈りものを用意せねばならないほどすぐに会うとは思えない。しかも今日までまとまった休みがあったのだから、肉親と会うならその間に会っているだろう。
肉親が違うなら、他に誰がいるのか。
皇太子に近侍する彼。次期伯爵として社交の場に立つ彼。いくら思い巡らせても、特定の女性と親しくする姿は思い浮かばない。
ジェイデンからはなにも聞いていない。万一、本当にケイレブに近しい女性がいたとして、あの皇太子が知らないとは思えない。知っていた場合、ロザリーに隠したりするだろうか。そうであれば協定違反だ。裏切りが発覚すればロザリーからの報復があることを、皇太子が分かっていないはずもない。
では一体、ケイレブがものを贈る相手とは――
思考が堂々巡りを始め、ロザリーは嫌気がさした。あまり経験のない焦燥感に、意識が掻き乱される。
これほど余裕のない感覚は、ジェイデンと引き合わされた当初以来かもしれない。あのときは自制しきれず皇太子に感情をそのままぶつけてしまった――あれがなければ今の皇太子との関係も多少違っただろうか――が、今はもう、そんな愚を犯すような子供ではない。
されども対人関係において常に自身の優位性を意識してきたロザリーにとって、思考がもつれ鈍る状態はなんとも受け入れがたかった。
そうした苛立ちをロザリーが必死に押し隠している間に、コリンは気に入ったネクタイピンをやっと一つ選びとった。オニキスの装飾がされたピンを店員に包んで貰い、ロザリーが会計を済ませる。
コリンが品物を受けとる隣で、ロザリーは横目にケイレブのようすを窺った。彼も、ちょうど会計をしているところだった。
その手の中のものを彼がどこへ持っていくつもりか、直接問うてみようか。一瞬そう考えるも、やはり駄目だとロザリーは思い直す。
彼の口からロザリー以外の女性の名前を聞くようなことを、自ら冒す必要はない。そんな気分の悪いことをせずとも、探り出す手立てはいくらでもあるのだから。
ロザリーはケイレブを待つことはせず、コリンの袖を引いて足早に宝飾店を出た。
馬車を待たせている方へ、ロザリーはよどみなく歩を進める。並んで歩くコリンの胡乱げな眼差しが、彼女のこめかみをちくちくとつついた。
「ロージー、あのさ――」
「ロザリー殿」
控えめに発せられたコリンの声が、背後からの呼びかけで遮られた。ロザリーは舗道の真ん中で、ぴたりと足を止める。深呼吸をしてから振り返れば、ケイレブが駆け足にロザリーたちを追ってきていた。長身に比例して長い脚で駆けてきた彼は、息を切らせることもなくロザリーの前で立ち止まった。
「よかった、間に合って」
安堵したように、ケイレブはほほ笑む。ロザリーは帽子のつばに手をやってさりげなく表情を隠しながら、彼を見上げた。
「ケイレブ様。いかがなさいまして」
「あの、これを――」
一瞬だけ躊躇するような仕草を挟んでから、ケイレブは持っているものをロザリーに差し出した。片手に収まるほどの大きさのそれは、つい先ほどあとにしたばかりの宝飾店の箱だった。
たいへん珍しいことに、ロザリーの思考が一時停止した。
ケイレブの広い手の平に乗せられていると、箱は実際の体積より小振りに見えた。表面は上品な銀のベルベットだ。内側におそらくサテンが張られていて、蓋の裏には店名が金色で印字されているだろう。宝飾店の箱なのだから中身は宝飾品に違いないが、首飾りや華美な細工のものが入る大きさではない。入れるとしたら、ロザリーの手でも握り込めるくらいの小さなブローチか、細い指輪か――
一度止まった思考がまったく無意味な稼働を始めたことに気づいて、ロザリーは我に返った。重要なのは箱の中身ではなく、ケイレブがこれをどうしたいかだ。
ロザリーは顔を上げた。思考が迷走したのは時間的には一瞬だったらしく、ケイレブは安堵の微笑のままだった。ロザリーは帽子のつばにやっていた手を下ろして、戸惑いを表現するように口元へ添える。
「これを、わたくしに?」
困惑げにロザリーが問えば、ケイレブの微笑に少し恥ずかしそうな色が加わった。
「実はこれから、先日のお詫びのために侯爵邸へ窺うつもりでした。それで、なにかお渡しできるものを用意したいと思いまして。偶然とはいえ、渡すつもりの方の前で品物を選ぶというのもなんだかおかしな気がして、先ほどはあんな言い方に」
胸の中心が熱くなるのをロザリーは感じた。今度は高揚感で思考が鈍りそうになる。
そもそも今日は、ケイレブを見かけた時点からいつになく頭が冴えていなかった。彼が女性への贈りものを選んでいると分かった時点で、その相手の候補になぜ自分を含めなかったのか。
期待して傷つくことを恐れたとでも言うのか、ヘルツアス侯爵令嬢ロザリー・フレディーコともあろう者が。
だが、もうそんなことはどうでもよかった。胸の高鳴りに押されるように、ロザリーは両手を差し出した。
ロザリーの手の平へ、ケイレブの手で贈りものの箱が置かれる。
「ありがとうございます」
謝意を告げながら、ロザリーは箱を両手で包み込むように握った。そっと蓋に指を添えて、慎重に開く。
入っていたのは、小さな耳飾りだった。手の込んだ飾り気はなく、蜂蜜のようにとろりと黄色い二粒の輝きがサテンの台座に鎮座している。小粒でも透明度が高く澄んだ輝きは、間違いなく上等なものだ。
「綺麗――」
なんの狙いもなく、ただ思ったままがロザリーの口をついて出た。頬が緩むのを自覚しながら、改めてケイレブの瞳を見上げる。
「本当に、ありがとうございます」
ロザリーが二度目の礼を告げると、ケイレブが虚を突かれたような表情をした。彼はとり繕うように一度咳払いをして、またすぐに笑顔になった。
「気に入っていただけてよかった。侯爵邸へは、また改めてお伺いします」
「ええ。お待ちしておりますわ」
「それでは」
ケイレブは丁寧な動作でロザリーに一礼して、身を翻した。
歩幅の広いケイレブの後ろ姿は、あっという間に遠ざかっていく。ロザリーはすぐにはその場を去りがたく、舗道の真ん中に立ったまま彼の背中を見送った。
「ふぅん」
すぐ傍で、コリンが呟いた。弟の存在がすっかり意識の外に出ていたロザリーは、不意打ちを食らった心地で振り向いた。
横目でロザリーを見るコリンの口元が、笑いを堪えて波打っていた。
「なにか言いたそうな顔ね」
ロザリーが目を眇めて言うと、コリンは露骨に肩をすくめた。
「言いたいことは色々とありますが、とりあえず皇太子に振られても元気な理由はよく分かりました」
「ずいぶんと自信ありげに言うではないの」
「ロージーのあんなにとろけそうな顔、初めて見ましたよ」
まさか、と思いながらロザリーは頬に片手を当てた。確かに頬は緩んでいたが、そんなに傍目にも分かるほどだったろうか。だとしたら由々しきことだ。
ジェイデンを説教した手前、ロザリー自身が原因で彼との協定が露見するなどあってはならない。より気を引き締めねばと思いながら、ロザリーは耳飾りの箱を両手で包んだ。
「このことを知っている人は、他にどれくらいいるんですか」
コリンが余計な詮索をしてくる。けれどその表情は茶化すものではなく、姉の現状を気にかけてのことと分かる。
世間の耳目は、皇太子とその元婚約者が寄りを戻すか否かに注意を向けている。それがロザリーのによる操作であると、先ほどのケイレブとのやりとりを見てコリンは気づいただろう。皇太子が
隣にいたのがコリンでよかった。明日には学校の寮へ戻るので話は広まりにくいし、そもそも姉の嫌がることをあえてするような弟ではない。無闇に吹聴はしないと信用できる。しかしまだ、完全に手の内を明かす段ではなかった。
コリンの質問に、ロザリーは意味深な笑みを返した。
「あなたは、無事に学校を卒業することだけ考えてらっしゃい」
コリンはそれでロザリーの意思を察し、ちょっと上目になった。
「分かりました。その代わり、進展があったら一番に教えてくださいよ」
引き下がりはしても姉のことは気にかかるらしいコリンに、ロザリーは目を細くする。
コリンの察しのよさからくる立ち回りの器用さにはロザリーと同じ血が垣間見えるが、素直な思いやり深さは姉弟といえどやはり違う人間だと感じる部分だった。
ロザリーは手の中の箱を大切に抱えて、本来の進行方向へ向き直った。
「帰るわよ」
靴のかかとを軽快に鳴らし、ロザリーは舗道を早足に歩き始める。返答を保留にされたコリンは、もう一度だけ肩をすくめてそのあとに続いた。
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