24輪 侯爵令嬢の勘
ロザリーは自分よりやや背の高い弟コリンから二歩離れると、そのまま彼の周りを一周した。そつがない若者の気配を纏い始めている三歳下の弟の姿を、足先から頭の先までじっくりと眺める。
ずっと幼いと思っていた弟の背丈も肩幅も、少し見ぬ間にすっかり大人と遜色なくなっていた。姉弟でお揃いのバターブロンドに囲われた表情はまだ子供っぽいが、顔立ちからはあどけなさが抜けた印象だ。
品評するような姉の視線を浴びながら、コリンは新品のシャツの襟元や袖口を軽く引っ張って具合を確かめていた。尖った襟先がボタンで留められているシャツは、運動着として着用することを想定している。激しい動きや風で、襟がめくれ上がらないようになっているのだ。
コリンの後ろに立ったロザリーは、シャツの肩のあたりを摘まんで、しっかり体の線に沿わせた。少しばかり丈が長いようにも見えるが、今のコリンはたった数ヶ月で目線の高さが変わるほどの勢いで背が伸びている。現時点では大きめのシャツでも、すぐに寸足らずになるだろう。
「よさそうね。どこか窮屈なところはない?」
「うん。大丈夫そうだ」
「それなら、これにしましょう」
ロザリーが決めると、コリンはご機嫌な足どりでシャツを着替えに店の奥へ向かった。
クレイブン校に在学中のコリン・フレディーコが姉のロザリーに会うべく皇都ラガーフェルドの邸宅へ一時帰宅したのは、昨日の正午のことだ。学校からの許された滞在期間は二泊三日で、明日の日暮れまでには寮に戻らねばならない。
コリンが帰宅した当日は近況報告を兼ねた談話をのんびりと楽しんだが、久しぶりの姉弟水入らずがそれだけではやはりもったいない。二日目には、ロザリーは意気揚々とコリンを買いものへ連れ出した。
「ロージーを励ますつもりが、なんだかものを
購入品を片手に提げて衣料品店を出るなり、コリンがぼやく口調で言った。だが口調とは裏腹に、頬は嬉しそうに緩んでいる。
ロージーとは、ロザリーの愛称だ。弟と母だけが、彼女をこう呼ぶ。
嬉しさを隠せないところはまだまだ可愛げがあると思いながら、ロザリーは造花で飾られた帽子を傾げて横目にコリンを見た。
「あなたが帰ってきたから、元気になったとは思えないのかしら」
「ロージーがそう主張するなら、そういうことでもいいですよ。皇太子との婚約が破談になってひどく塞ぎ込んでいると聞いたから駆けつけたのに、変わらずぴんぴんしていて拍子抜けしたのは、ぼくの勝手です」
肩をすくめるコリンに、ロザリーは目を細くして笑った。
どうやら体が成長しただけでなく、口も立つようになってきたようだ。学校で、よい討論のできる友人でもできたのかもしれない。可愛げという面では目減りするが、次期侯爵としては好ましいことだ。
「弟がそんなに心配してくれるなんて、姉として冥利に尽きるわね」
「そりゃ心配くらいします。神経の太いロージーが塞ぎ込むなんて、大事件だ」
弟の余計な一言に、ロザリーはむっとして片眉を跳ね上げた。自身を繊細な
「その言い方ではまるで、わたくしが厚顔みたいではないの。でも、コリンがこうして心配して会いにきてくれるなら、たまには引きこもってみるのもいいかもしれないわね」
凄む代わりに、ロザリーは最上の笑みを浮かべる。
反撃されたコリンは、げんなりした表情になってこめかみを掻いた。
「そうやってぼくを引っ張り出すのは、さすがに勘弁してください。外泊の申請は、けっこう手間なんだ」
コリンが在籍しているクレイブン校は、屈指の名門とされる全寮制男子校だ。ノヴァーリス皇国中から選りすぐられた良家の子弟たちが教養と品格を磨く
クレイブン校の生徒が学外に出るには、短時間であっても原則として事前申請をせねばならない。外泊を伴うとなれば、さらに厳格な手続きを踏む必要があった。
うんざりとばかりに顔をしかめても、コリンの口から姉の無視しようなどという考えは出ない。それがまた、ロザリーが彼を可愛いと思えるところだった。
そうして会話をしながら、二人はまだ馬車には戻らず、衣料品店から二軒隣の宝飾品店へと舗道を歩いてはしごした。コリンが学校でつけられる、ネクタイピンを見繕うためだ。
クレイブン校の制服は通常、ネクタイの幅や着丈まで厳密に決められている。しかし監督生や最優秀生徒に選ばれれば、一定の装飾品や好きな色柄のウェストコートを身につけるのを許されるのだ。
姉弟が足を向けた宝飾店は、大理石の壁にひときわ贅沢に硝子を使用した店構えで、抜き出たきらびやかさを誇示していた――もちろん、ロザリーが皇后の首飾りを見つけたのとは別の店である。
先に立ったコリンが、金の把手の硝子扉を開いた。扉を押さえて道を譲る弟にほほ笑みかけ、ロザリーは店内へ足を踏み入れる。途端に、よく知る後ろ姿が視界の端に飛び込んできて思わず足を止めた。
入って右手の硝子ケースの前で女性店員と話し込んでいるその人物は、店内にいる誰よりも背が高かった。ベージュのジャケットに覆われた背中は広く、両脚でしっかりと床を踏む立ち姿に隙はない。店内をいっそうきらびやかに照らすシャンデリアの下で、焦茶色の髪が溶けたチョコレートのように艶めいている。
燕尾服の男性店員がロザリーらの来店に気づいて、すかさず歩み寄ってきた。しかし店員が傍までくる前に、ロザリーは右へと足を踏み出していた。
「ケイレブ様」
ロザリーの呼びかけで、ベージュのジャケットの肩が跳ねた。こちらに背を向けていた若者が弾かれたように振り返る。ロザリーを視界に収めると、ケイレブの蜂蜜色の瞳が大きく見開かれた。
「ロザリー殿。まさか、こんなところでお会いするなんて」
よほど驚いたらしく、ケイレブは若干たじろいだ仕草を見せた。想定していなかった出会いに、ロザリーの足どりは弾み、顔は自然とほころんだ。
「わたくしも驚きましたわ。お体は、もう大丈夫でして」
ケイレブと顔を合わせるのは、ヘルツアス侯爵邸で彼が倒れた日以来だった。その翌日からは療養のための休暇をとっていると皇太子から聞いていたが、やはり頭の片隅で彼のことはずっと気にかかっていた。
ロザリーの前でさらしてしまった醜態を思い出してか、ケイレブは落ち着かなげに首をさすった。
「その節は、たいへんご迷惑をおかけいたしました。体調はもうなんともありませんので、明日から仕事にも戻る予定です」
「お気になさらないでと、何度も申し上げましたでしょう。お元気そうで安堵しましたわ。今後も、無理は禁物でしてよ」
本人の口から状況を聞けたことで、ロザリーは言葉の通りに胸を撫で下ろした。こうして外出していることからしても、本当に大丈夫なのだろう。そうでなければ、皇太子が仕事復帰を許さないはずだ。
休暇中とあって、ケイレブの服装はいつもと趣が違った。皇太子の侍衛としての彼は常に近衛騎士の制服である紺色のフロックコートで正装しているが、今の彼は軽やかなベージュのスーツだ。明るい色合いが年相応の若々しさを引き立たせていて、意外にもよく似合っている。あまり見ることのない私服姿の新鮮さも相まって、ロザリーは胸をときめかせた。
「ロージー、知り合い?」
少し遅れて隣までやってきたコリンが尋ねた。ロザリーはやや胡乱げな顔のコリンを一瞥してから、ケイレブを紹介した。
「ええ。こちらは皇太子殿下の侍衛の、ケイレブ・シューゲイツ様。次期ユーゴニス伯爵でいらっしゃるのよ」
ロザリーは体の角度を変え、今度はケイレブにコリンを紹介した。
「ケイレブ様。弟のコリンです。今は、クレイブン校の学生ですの」
これまで戸惑い気味だった目元をなごませて、ケイレブがコリンへと手を差し出した。
「ロザリー殿に優秀な弟君がいると、噂はかねがね聞いています」
コリンは意外そうに眉を上げてから、やや慌てて握手に応じた。
「こちらこそ、皇太子殿下と同期で監督生を務めた卒業生として、クレイブン校内では今でも評判を聞きます。お会いできて光栄です」
「それはなにやら、とんでもない尾ひれがついていそうで聞くのが恐ろしいな」
「悪い評判はないのでご安心を。鉄壁の皇太子を陥落した唯一の相手だとか、もっぱらそういう話です」
「ああ……なるほど」
コリンがいたずらっぽく笑い、ケイレブは眉尻を下げてあまりありがたくなさそうに苦笑する。
ロザリーは二人のやりとりをほほ笑ましく眺めながら、さりげなく話に割って入った。
「今日はコリンのネクタイピンを見にきましたの。ケイレブ様は、どなたかに贈りものでして?」
問いかけと共に、ロザリーは内心を覆い隠す極上の笑みを浮かべた。
店内でケイレブに声をかけた時点で、ロザリーは気づいていた。脇に控えている店員と話し込みながら、彼が生真面目な表情で見入っていた硝子ケース。
そこに並んでいる宝飾品はすべて――女性用だ。
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