19.5輪 淑女の振る舞いくらい
「今日はずいぶんと機嫌がいいのね」
侯爵御曹司のためのベッドを整えていた黒髪のメイドは、同輩メイドの鼻歌を聞きつけて言った。洗い立てのカーテンを何枚も抱えた栗色巻毛の同輩メイドは、ぱっと目を輝かせると、深緑色のカーテンの塊ごと黒髪メイドに駆け寄った。
「そうなのよ! やっぱり分かる?」
うふふと笑いながら、巻毛メイドは体を傾けて肩をぶつける。黒髪メイドはベッドカバーの角を引っ張って皺を伸ばしてから、その肩を押しやった。
「鼻歌まで歌ってたら、わたくしでなくても分かるに決まってるわ。今度はなに? また皇太子殿下がいらっしゃった?」
「ジェイデン殿下が、そんなに頻繁にいらっしゃるわけないでしょう」
間髪入れず、妙に冷静な口調になって巻毛メイドが返す。急な変化に黒髪メイドは若干、面食らいつつも確かにと頷いて、カーテンのない窓の方へと体を向けた。
「でも近頃は、何度かお見かけしてるわよね」
「従兄君のケイレブ様もいらっしゃっているものね。倒れられたときには、さすがに驚いてしまったけれど。あのとき殿下が直々にいらっしゃったのは、ロザリーお嬢様にお会いになる目的もあったに違いないわ」
きゃっ、と巻毛メイドにははしゃいだ声をあげる。黒髪メイドは相手にせず、窓の前に踏み台を運んだ。その背後へ、巻毛メイドが再び走り寄る。
「あれ以来、お嬢様も殿下への態度が軟化していらっしゃると思わない?」
そう言われて、黒髪メイドはここ数日の侯爵令嬢のようすを思い返した。
「そうかしら?」
「そうよ。お嬢様のお部屋に飾られている赤と黄色の薔薇を、あなたもご覧になってるでしょう? あれは殿下からの贈りものという話よ。あの薔薇のためにお嬢様は専用の花瓶をご用意されて、自らお世話もされてるのだから。殿下と寄りを戻されるのも、時間の問題ではないかしら」
「その通りに進めば、言うことないのだけれど」
黒髪メイドは懸念するように言いながら、巻毛メイドの手から重いカーテンを一枚引きとった。踏み台に乗ってカーテンのとりつけを始めた黒髪メイドを、巻毛メイドはにこやかな顔で見上げる。
「殿下も以前より少し積極的になってきているもの。きっと秒読みよ。つい最近も、ミンディ様を送ってみえたでしょう。味方に引き入れて、とりなして貰うおつもりなのではないかしら」
「本当に想像力がたくましいわね、あなたって」
一枚目のカーテンをとりつけ終わった黒髪メイドは、いったん床に降りて踏み台を窓の反対の端に移動させた。巻毛メイドは次のカーテンを手渡しながら、力説を続ける。
「だって、ミンディ様はお嬢様のお気に入りだもの。殿下は外堀を埋めにきていらっしゃるのよ、絶対に。わたくしも侍女にとり立てていただけていたら、殿下と同じ馬車に乗れたのかしら。羨ましいわ」
後半に本音を漏らした巻毛メイドに呆れつつ、黒髪メイドは踏み台の上で背伸びした。
「殿下のお顔が見られるだけでも幸運なのでしょう。お嬢様が殿下の元婚約者な分、他の方よりもその機会があるのだから、贅沢を言ったら
「わたくしだって侯爵家仕込みのメイドだもの。淑女らしい振る舞いくらいできるわよ」
巻毛メイドはむっと頬を膨らませる。その表情は淑女というよりは子供っぽく、黒髪メイドは苦笑して踏み台から降りた。
「それなら、その淑女の振る舞いで、まずはコリン坊ちゃまをきちんとお出迎えしなくてはね」
とりつけたカーテンを房飾りのタッセルで留めた黒髪メイドは、次の窓の前へと踏み台を運んだ。その後ろを、巻毛メイドが追いかける。
「分かってるわよ。だからこうして部屋のお支度をしているのでしょう」
「そうね。まあ、一番張り切っていらっしゃるのはお嬢様だけれど」
ちょっと小声になって黒髪メイドは言い添え、巻毛メイドはカーテンを渡しながらニヤリとした。
「お嬢様も坊ちゃまには甘いものね。気持ちは分からなくはないけれど」
「あなたも弟がいるの?」
黒髪メイドが少し驚いて見下ろすと、巻毛メイドは不思議そうな顔で首を傾けた。
「わたくしに弟はいないわよ」
「でも今、お嬢様の気持ちが分かるって」
「だって、コリン坊ちゃまって素敵じゃない?」
巻毛メイドの瞳がきらめき、黒髪メイドはすぐさま彼女の性質を思い出した。
腕の中のカーテンを抱き締めて、巻毛メイドはうっとりと身を揺する。
「坊ちゃまは昔からお綺麗な御子だったけれど、最近は帰省されるたびに背がお伸びになっているし、今回もきっと、またさらに伸びていらっしゃるに違いないわ。将来有望な美少年の成長を見守るのもまた、心が潤うわよね」
「……あなたの守備範囲が広いのは分かっていたけれど、歳下も射程内とは思っていなかったわ」
「あら。美しい殿方に年齢は関係なくてよ」
当然とばかりに、巻毛メイドは力強く言う。黒髪メイドは先ほどよりも生き生きとした相手の眼差しから目を逸らし、カーテンをとりつける手元へと視線を戻した。
「まあ、坊ちゃまも学校で最優秀生徒に選ばれているし、あなたが言う意味とは別で将来有望なのはそうよね。奥様もお嬢様も、坊ちゃまへの支援は惜しまないくらい可愛がっていらっしゃるし」
「フレディーコ家の女性は皆、坊ちゃまの味方だものね」
弾む口調で言ってから、巻毛メイドはぐっと声をひそめて続けた。
「それでたまに、旦那様は肩身が狭そうなごようすだけれど」
巻毛メイドの囁きに、黒髪メイドは思わず噴き出した。とりつけ終わったカーテンから手を放し、踏み台の上で軽く身を屈める。
「そんなこと言っていると、また叱られるわよ」
「平気よ。フレディーコ家はそれでうまくいっているのだもの。旦那様だって、ああ見えて実は――」
そのとき、がちゃりと扉の開く音が室内に響いた。顔をつき合わせていた二人のメイドは慌てて背筋を伸ばして振り向いた。糊のきいた燕尾服の若い従僕が、扉に手をかけたまま顔を覗かせていた。
「君たち、それが終わったらこっちを手伝ってくれ」
「はい! すぐに参ります!」
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