13輪 籠から花

 この日、ロザリーのもとに届いた手紙は、クレイブン校の寮にいる弟コリンからのものだった。一人でラガーフェルドに残っているロザリーを気にかけて、近々、外泊許可をとって会いにくるつもりらしい。


 コリンと最後に顔を合わせたのは、皇太子との正式な婚約の挨拶のときだ。まだまだ育ち盛りの弟なので、会わない一年足らずの間で身長も伸びていることだろう。


 久しぶりのことであるし、弟のために成長に合わせた少し大人っぽいコートか、ポロの試合で着られるシャツを見繕うのもいい。


 その日を心待ちに、ロザリーが思案しているときだった。栗色巻毛のメイドが来客を告げにきた。


 客人の名を聞き、ロザリーは手早く身なりを調えて応接室へと急いだ。


 玄関ホールから直結する応接室へロザリーが入ると、向かい合わせに置かれた長椅子の一方に、よく知る皇太子の侍衛が座っていた。長椅子の間にあるテーブルにバスケットが置かれているのに気づき、ロザリーは彼がやってきた目的をすぐに察した。


 座っていても背が高いと分かる若者は、侯爵令嬢に気づくなり立ち上がって正しく会釈した。顔を上げた彼の凜々しい面差しに、ロザリーは自然とほほ笑みを向ける。庭からの採光で照らされた焦茶色の髪は、いつもより淡いミルクチョコレートの色合いに見えた。


「お待たせいたしました、ケイレブ様」

「こちらこそ、先触れもなく伺ってしまい申しわけありません。要件が済みましたら、すぐに失礼しますので」

「いいえ。大したおもてなしはできませんけれど、どうぞおかけになって」


 二人が向き合って腰を下ろせば、それを待っていたように侍女ミンディがお茶を運んできた。お茶を用意した赤毛の侍女が退室するのを見届けると、ケイレブはさっそく、テーブルに置いていたバスケットをロザリーへと差し出した。


「先日はケーキをありがとうございました。こちらを返しに参りました」

「恐れ入ります。お口に合いましたかしら」

「たいへん美味しくいただきました。ジェイデン殿下も、とても気に入ったごようすでした」

「それはよろしかったですわ」


 やはり皇太子の口にも入ったか、とロザリーは内心で思いながら、おくびにも出さずに笑顔でバスケットを受けとった。その流れで蓋を開いて中を確認すると、ふわりと甘い香りが漂い出る。ロザリーは軽く目をみはった。


「あら、これは……」


 朱赤と黄色の薔薇が一輪ずつ、バスケットに入っていた。赤いリボンで束ねられたそれを傷つけぬようにとり出せば、甘美な香気がさらに濃く広がった。


「その薔薇は、ジェイデン殿下からです。ロザリー殿にと」


 囁くような声音で、ケイレブが言った。それを聞きながら、ロザリーは反り返って重なり合う花弁に手を添えた。


「そうですか。殿下が……」


 伏し目がちにそう返事はしたが、ロザリーはケイレブの言葉は正確ではないだろうと感じた。

 ジェイデンがロザリーに贈る薔薇を選ぶならば、おそらくこの色のとり合わせにはなるまい――ロザリーの好みはもっと深い色だ。

 バスケットに薔薇を入れるよう指示したのは皇太子かもしれないが、色を選んだのはケイレブだろう。


 だが、それで構わなかった。ケイレブが選んだものを、ロザリーが喜ばないはずもない。相も変わらずあの皇太子は、こういう演出力には長けている。


 ケイレブはどんな思いで、この薔薇を選んだことか。真剣な表情で温室を歩き回る彼を容易に想像できて、ほほ笑ましくなってしまう。


 嬉しさと小憎らしさの両方を心に置いて、ロザリーは二色の花弁を顔に寄せ甘やかな香気を味わった。


「ロザリー殿」


 呼ばれてロザリーが目を上げると、ケイレブが真っ直ぐにこちらを見ていた。


「殿下は今でも、ロザリー殿を思っておいでです」


 澄んだ蜂蜜色のケイレブの瞳は、どこまでも真摯だった。命じられたからでなく、本気で皇太子とロザリーの関係修復をしたいと考えている。


 そんな彼を欺いている自分に、ロザリーの中にもわずかながら罪悪感に似た感情が芽生える。


 しかしそれ以上に、なにが彼をこれほど必死にさせるのかが気になった。面倒が多い男女関係など、話だけならば多少は娯楽たりえても、直接は関わりたくない最たるものだろう――これも、先日に皇太子が言っていた、なにかへの執着によるものなのだろうか。


 ロザリーは薔薇を胸元に当てて、ケイレブを正面から見詰め返した。


「ケイレブ様はなぜ、わたくしと殿下のことに、それほどこだわられるのですか」

「それは――」


 問われたのが意外だったのか、ケイレブはやや目を見開いた。透明感ある瞳が、躊躇うように震えを見せる。数度のまばたきで瞳の震えを止めたケイレブは、ゆっくりと言葉をまとめるように答えた。


「ジェイ……いえ、ジェイデン殿下は、ああ見えて、他人に心を開くことがほとんどありません。近侍の数を絞っていることからも、お分かりいただけるかと思います。そんな殿下が、ロザリー殿が隣にいるときには普段よりもとり繕ったところが少ないように、わたしには見えました」


 そこで一度、言葉を区切ったケイレブは、なにかを思い出したように表情を緩めた。


「率直な言い方をすれば、ロザリー殿といる殿下はいつも楽しそうでした。殿下があのように生き生きされていることは、滅多にありません。だからわたしは、ロザリー殿には殿下と共にいて欲しいと思うのです」


 最後の一言は、ひときわ真摯な声音をしていた。

 ケイレブからはそのように見えていたのか、とロザリーは少しばかり驚いた。


 張り合いのある相手、という意味では生き生きしていたというのも、あながち間違いではないかもしれない。ロザリーにとっても、ジェイデンほど向こうを張れる相手は、身内も含めてそうはいない。


 だが、それと好悪の感情は別だ。ロザリーとジェイデンは性格や考えのよく似た理解者ではあるが、共にいて安らげる相手ではない。でなければ、それぞれに別の相手を求める必要などないのだから。


 真っ直ぐな気立てのケイレブには、理解が難しい関係ではあるだろう。けれど彼にはそのままであって欲しい、と考えながら、ロザリーは薔薇を持つ指先の力を少しだけ強くした。


「わたくしも殿下とのおつき合いは短くはありませんから、ご性格はよく存じておりますし、新春の宴でのことも、亡き皇后陛下に関することで動揺されたのだと理解しているつもりです」

「それなら、なぜ」


 ケイレブがわずかに身を乗り出した。それをロザリーは目線で制し、彼の思考を少し揺すぶるつもりで、以前から用意していた言葉を声にした。


「皇后陛下が亡くなられた当時のことは、わたくしは幼過ぎてはっきりと記憶しておりません。ですが、皇后陛下が流行病で亡くなられたことも、ゆえにご遺体が速やかに火葬なされたことも、記録としては存じ上げています」


 ロザリーは憂わしげに睫毛を伏せた。


「流行病ならば、幼い殿下は母君の病床に近づくことも許されなかったでしょう。死に目にも、果たしてお会いになれたか……。殿下は甘えたい盛りのお歳だったはずです。さぞ母君への思慕が募ったろうと、容易に想像ができます。母君の形見で動揺されるのも、無理もありません。そう考えれば、殿下に同情さえできると思うのです。ですが……」


 再び目を上げ、ロザリーは訴えるように瞳を潤ませた。


「殿下と結婚をすれば、ゆくゆくは皇后の身分となりますし、御子を産めば母となります。そのとき――殿下がわたくしに、ご自身の母君の姿を重ねずにいられると思われますか?」


 ケイレブの表情が、凍りついたように強張った。その頬から、見る間に血の気が引いていく。視線まで焦点を失ったように不安定なものとなり、彼の反応をロザリーは訝しんだ。


「亡き皇后陛下とロザリー殿はまったく違います……ありえません」


 震える唇から発せられたケイレブの声は、息が足りずかすれていた。強い狼狽を見せる彼の表情を窺いながら、ロザリーはあえて手を緩めずに畳みかけた。


「本当にそう思われますか? 殿下は、首飾りを目にしただけであれほど我を忘れられたのですよ。わたくしが皇后と――母となったとき、あのときの殿下が顔を出さないと、本当に言い切れまして?」

「それは……」

「少しでも可能性があるのなら、わたくしは殿下と一緒にはなれません」


 静かに、それでも強くロザリーは言い切った。


 これで、ケイレブの中で強固に構築されている皇太子とロザリーの繋がりに、揺らぎなり疑問なりが生じさせるつもりだった。抽象的な恐れだけで引っ張るよりも、分かりやすい可能性を示すことで――よほど頑迷な相手でなければ――多少なりとも思考の機会を与えられる。同時に、ロザリーが復縁を拒絶する理由を補強する狙いもあった。


 沈黙が落ち、ケイレブがいよいよ顔色がんしょくを失った。なにか言おうとするように開いた口からは、喘鳴ぜんめいが漏れた。凍えたように真っ青になった唇を押さえ、やがて堪えきれなくなったように、彼は背を丸めて深く俯いてしまった。


 ただならぬようすにロザリーはさすがに驚き、急いで薔薇を置いて彼のかたわらまで移動した。


「ケイレブ様、大丈夫ですか? お顔が青いです。ご気分がすぐれないのですか」


 いたわる手つきで、ロザリーは震えるケイレブの背をさすった。


 まさか彼がこれほど体調に異常をきたすことがあるとは思わず、急なことにロザリーの中で焦りが生まれた。彼の苦しげな呼吸音に不安を募らせながら、頭の片隅では急変の原因についてせわしく思考が巡る。


 人を呼ぶべきか、と考えたところで、不意にケイレブに二の腕をつかまれた。ロザリーがどきりとした直後、体を離すように緩く肩を押された。


「大丈夫です……申しわけありません」


 いくぶん落ち着きをとり戻したようにケイレブは言ったが、唇にはまだ血の気がなかった。


「少し、休まれていかれた方がよろしいのではありませんか。お部屋をご用意いたします。皇宮にもご連絡を――」


 ロザリーは気づかって言ったが、ケイレブは蒼白な顔のままかぶりを振った。


「本当に、大丈夫です。ご心配をおかけして申しわけありません。今日はこれで失礼します」


 苦しげながらも断固とした口調で、ケイレブは言う。顔色が戻らぬまま立ち上がろうとする彼に、ロザリーは慌てて手を差し伸べた。


「ケイレブ様、どうかご無理はなさらないで」

「本当に、申しわけありません。わたしは大丈夫ですから……」


 手を貸そうとするロザリーを弱く押しのけるように、ケイレブは歩き出す。途端に、踏み出した足から彼の体が崩れ落ちた。驚いたロザリーは反射的に手を伸ばしたが、長身な男性の体重を一人で支えきれるはずもない。ケイレブは勢いよく絨毯の上に倒れた。


 床からの振動で、テーブルのティーカップから滴が散る。


 今度は、ロザリーが蒼白になる番だった。


「ケイレブ様!」

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