第2章 わたくしが正しいのは当然です

12輪 籠に花

 執務室の机で手紙の仕分けをしていたケイレブは、扉の開く音で顔を上げた。定刻通りに現れた皇太子ジェイデンの姿を目に留めて立ち上がり、臣下の礼をとる。


「おはようございます」

「おはよう」


 挨拶を返したジェイデンの身なりは、すでにきっちりと長髪を束ねて隙なく整っていた。乳白色の尾のように長髪を翻し、皇太子は自身の机へと足を向ける。だがその歩みは、入ってすぐの応接テーブルの前で止まった。


 ジェイデンが怪訝に目をやったテーブルの上には、先日ロザリー手製のケーキが入っていたのと同じバスケットが置かれていた。


「またなにか貰ったのか?」

「いや、これから返すものだ」


 ケイレブが答えると、ジェイデンは眉をひそめて振り向いた。


「まだ返していなかったのか」

「一緒に入っていた布巾の洗濯があと回しになっていたんだ。今朝、全部揃ったから、今日明日中に返してくる」


 椅子に腰を下ろしながら、ケイレブはあまり動じずに説明した。眼鏡のずれを直して仕事の続きにとりかかる。

 そんな近侍にジェイデンは一瞥くれて、改めてバスケットへと視線を落とす。片手で蓋を少し持ち上げれば、曇りなく拭き上げられた皿と、几帳面に畳まれた布巾だけが入っていた。


「ケイレブ」


 皇太子に呼ばれ、秘書を兼ねた侍衛はすぐに手紙の山から顔を上げた。皇太子はバスケットに視線を落としたまま言葉を続けた。


「これは、このまま持っていくつもりか?」

「そのつもりだが、なにか足りなかっただろうか」


 ジェイデンの言いたいところが分からず、ケイレブは無難に問い返す。ジェイデンはバスケットの蓋から離した手を持ち上げ、思案顔で顎をさすった。


 ケイレブの問いには答えないまま、ジェイデンは室内を横切って自身の執務机へと向かった。皇太子がそのまま席についたので、ケイレブは首を捻りつつ手紙の仕分け作業へと向き直った。


 皇太子宛の手紙は日々、領地や慈善団体から届く報告書、華美な催しの招待状に、詩的で猥褻なファンレターまで、数百から多いときには千通を超える。それらをすべて仕分けた上で重要な親書をのぞいて中をあらため、皇太子の目に触れるには不適切なものを抜き、ようやく本人の手に渡る。内容に応じて返信の代筆も手配する必要があるので、手紙を処理する業務だけでもひと仕事だ。


 差出人名を一つ一つ確認しながらケイレブが黙々と手を動かしていると、またすぐにジェイデンが呼んだ。


「ケイレブ」


 今度はなにかと顔を振り向ければ、ジェイデンは席から立つことなく、書類を一枚こちらに向かって差し出していた。


 ケイレブは仕方なく立ち上り、部屋の主の机へと大股に歩み寄る。書類を受けとって見れば、そこにはいくらかの文言と共に、皇太子の署名がされていた。


「温室の薔薇を持ち出す許可を出すから、適当に見繕ってバスケットへ一緒に入れていくといい。貰ったものに対して、なにもなしではつまらないだろう。分からなければ、温室にいる世話係に聞けばいい」


 指示を聞きながら皇太子自筆の証書に視線を走らせたケイレブは、上目にジェイデンを窺った。


「自分で選ばなくていいのか。彼女の好みは、君がよく知っているだろう」

「構わない。贈りものが多少好みと違ったくらいで、文句をつけるような女性ではないさ、彼女は」


 ジェイデンから直々に渡したのでなければ、という但し書きつきではあるが――それはケイレブの知らぬことだ。


 皇太子から元婚約者への信頼ともとれる断言に、ケイレブは苦笑まじりの息をつき、証書を折りたたんだ。


「分かった。薔薇は君からだと伝えて渡しておく」


 証書を胸ポケットに仕舞いながら、ケイレブは言い添えた。

 ジェイデンはそれに対し、すぐには是とも否とも言わなかった。ただ少し考えるようすで、マホガニーの机に頬杖をついた。


「そうだな。この際、これから定期的に彼女に薔薇を届けるのも悪くない」


 思いつきを口にするジェイデンの声は、これまでより弾んでいた。楽しげな従弟につられるように、ケイレブは自然とほほ笑んだ。


「まさか、それもわたしに任せるとは言わないよな」

「そのつもりだが?」


 冗談のつもりがこともなげな肯定され、ケイレブはぎょっとして笑みもすぐさま引っ込んだ。


「本気か?」

「わたしと彼女の関係については、全面的に協力するのだろう?」

「確かにそうは言ったが……」

「温室への出入りは自由にできるように伝えておく。花以外にも贈りものによさそうなものがあれば、君の判断で購入して構わない。わたしに事後報告があればいい」


 当たり前のように話を進めるジェイデンに、ケイレブは呆れ返ると同時に困惑して頭を掻いた。


 新春の宴から一連の騒動について謝罪したのを最後に、ジェイデンは自分からロザリーに近づくことに慎重になっている。自らのおこないによって令嬢にトラウマを植えつけてしまったのだから、相手を思いやればこそ当然の配慮といえるだろう。


 最近になってやっと直接話し合う機会を作れているが、断れる呼び出しであることはロザリーにはっきりと伝えている。


 そのような状態なので、ジェイデンの心配りがケイレブを経由してロザリーに届くよう体制を作ってはいるのだが……果たして贈りもの選びにまで介入していいものなのか。


 大切な人への贈りものならば自分で選ぶべきでは。と、思う一方で、ケイレブ自身は女性との交際経験がないゆえに、自信を持って判断できなかった。


「そこまでわたしに任せてしまっていいのか? 正直、女性がなにを喜ぶか、わたしはまったくと言っていいほど知らない」


 ケイレブは予防線を張りつつ念のため確認した。しかしジェイデンは少しも考えを変える気はないようすで、胸を反らせて脚を組んだ。


「構わないと言っただろう。まずは先入観なしに、彼女の話す内容や身に着けているものからなにを好むかをシンプルに考えれば、大きく外すこともあるまい。これまで浮いた話の一つもない君が、女性のことを理解するよい機会だとでも思えばいい」


 ジェイデンの容赦ない言葉に、ケイレブはぐっと口を引き結んだ。


 ケイレブとて、これまでに女性から好意を向けられた経験は何度かある。けれど彼女らに覚えたのは強い戸惑いばかりで、真剣に向き合う気持ちにはなれなかった。


 近頃は縁談を持ちかけられることも出てきたが、妻子を持つ自分というのが、どうあっても想像できない。


 それがなぜ、従弟の思い人を相手に腐心することになるのか。ケイレブは頭を抱えたくなった。


 さりとて、二人の間を本気でとり持つつもりなら、贈りもの選びも両者を理解する課程として必要かもしれない。そう自分を無理に納得させて、ケイレブは渋々ながら頷いた。


「……努力はしよう」


 ケイレブの返答に、ジェイデンはいかにも満足げに笑った。


「届けるときには使いは頼まず、君自身でいってくれ。名代の名代では、さすがに恰好がつかない」


 つけ加えるようにジェイデンが言い、そこは気にするのかとケイレブは呆れた。真っ直ぐな眉をひそめ、図々しい従弟を軽く睨めつける。


「たまには、自分で持っていくのだろう?」


 ジェイデンは肘かけにもたれて従兄を見上げると、ふっと不敵に口角を上げた。


「そうだな。たまには、な」

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