第2話 結太、イーリスを気に掛ける
イーリスをマンション前に置いて来てしまったことが、気になって仕方がないらしい。
彼女の姿が、すっかり見えなくなってしまった後でも、結太は落ち着きなく、何度も後ろを振り返っていた。
龍生は、前を向いたまま軽くため息をつくと。
「そんなに気になるなら、ここで降りるか? 今ならまだ、走れば数分ほどで、彼女の元に戻れるぞ?……まあ、遅刻は決定的になるが」
結太は、『うっ』と苦しげな声を出し、頬を
「べっ、べつに気にしてなんかいねーよ! ここんとこ、毎日マンション下で待ち伏せされて、『ついでに自転車で送ってって』とか言われて、メーワクしてたんだからな! 龍生だって、たった今、現場を目撃したばっかだろッ!?」
「……まあ、な。彼女が転校して来てからというもの、つきまとわれて困っていると言っていたしな。――だから今日、わざわざ遠回りまでして、様子を見に来てやったんだぞ? 感謝されこそすれ、
腕組みしつつ告げると、龍生は、冷めた目で結太を見返す。
またも『うっ』と短く声を上げてから、結太は真っ赤になって反論した。
「う、恨んでなんかねーよ! オレがいつ、そんなこと言ったよ!? 妙な言い掛かりはやめてくれよな!」
「……ならいいが。藤島さんを残して発車した時、不満げな顔をしていただろう? それが少々、気に掛かってな。……だが、俺はあの時、一応彼女に訊ねたぞ。『結太と共に送って行くけど?』とな。それを拒否したのは、彼女の方だ。嫌がるものを、無理に乗せて行くことなど出来ないだろう? 違うか? 俺の申し出を断ったことにより、彼女が遅刻したとしても、それはあくまで、彼女自身が選んだ結果だ。俺が
結太は、とっさに返す言葉もなく、ムググと詰まってしまった。
――確かに、『結構よ!』と断ったのはイーリスだ。
一度断られたのに、しつこく『乗って行け』と言うのも、なんだか違う気がするし……。
結太は悔しそうに唇を
「……間違って……ねー、けど……」
その答えを聞き、龍生は、当然だと言うようにうなずいた。
それから、窓の外に視線を投げ、
「心配するな。彼女は――藤島さんは、遅刻などしない。そんなヘマをするような人ではないさ」
やけに断定的に言い切る。
結太は首をかしげつつ、『なんで、そんなことがわかるんだよ?』と、龍生を
龍生は窓の外に視線を向けたまま、フッと笑みをこぼす。
「彼女には、頼りになるボディガードがいるだろう? 確か、国吉と言ったか。――彼が側にいる限り、問題ないさ。すぐに追いつく」
「へっ?……『追いつく』……?」
きょとんとする結太の耳に、ブォオオオオンと、バイクのエンジン音のようなものが聞こえて来た。
ハッとして後ろを振り返ると、大型バイクが、数十メートルほど先に見え――……たと思ったら、あっという間に、龍生の家の高級車を追い抜いて行った。
「ほら。だから言っただろう? 『遅刻などしない』と」
結太は
「……ああ……。そー……だな……」
とだけつぶやき、とっくに見えなくなってしまった、バイクが走って行った先を見つめていた。
バイクを運転していたのは、ヘルメットを
その男にしがみつくようにして、後部席に乗っていたのは、やはりヘルメットを被った、結太と同じ高校の、女子の制服を着た少女だった。
少女のヘルメットの下から、美しい金色の髪がなびいていたので、まず、イーリスと思って間違いないだろう。
「国吉さんって……バイクで通って来てたんだな」
見えなくなったバイクの残像でも眺めているのか、ぼんやりと前を向き、結太は小声でつぶやく。
結太の言う『通って』とは、どういう意味なのか。
結太の家の隣に引っ越して来たイーリスは、どうやら、一人暮らしをしているらしいのだ。
何故そう思うかと言うと、彼女以外があの部屋から出て来るのを、今のところ、結太は目にしたことがなかったからだ。
平日の朝と夜、そして、休日の朝から夜までは、国吉が毎日通って来て、料理や洗い物、簡単な掃除からゴミ出しまで、やってくれているということだった。
(ボディガードって、そこまでしなきゃいけねーもんなのか? すっげー大変なんだな……)
イーリスから話を聞いた時、結太は思わず、国吉に同情めいた感情を抱いたものだ。
実は龍生にも、ボディガードと言える人間が、約二名いる。
さすがに、料理や洗濯、掃除などは、
ある事件を起こし、他に行くところがなくなった彼らを、秋月家当主の
一応、ボディガードとしても役に立つよう、訓練もして来ているが、本業は〝ボディガード〟というよりも、〝龍生の付き人〟や、〝龍生専属の使用人〟と言った方が、うなずけるくらいだった。
そういった、特別な事情がある彼らとは違い、国吉は、普通に〝ボディガード〟として雇われているはずだ。
それなのに、ハウスキーパーのようなことまでさせられているとは。
以上のような理由から、結太は常日頃から、国吉を気の毒に思っていた。
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