第3話 龍生、藤島家のボディガードを警戒する

「……そうか、国吉。あの男が学校に向かったとなると、厄介やっかいだな」


 ふいに、龍生は眉間みけんにしわを寄せてつぶやくと、


「安田、すまない! いつもよりスピードを上げてくれ!」


 彼にしては珍しく、慌てたように、運転手の安田に指示を出した。

 安田は、『承知しました』と即答し、警察に目を付けられない程度にスピードを上げる。


 結太は、ギョッとして横を向き、


「えっ?――な、なんだよいきなり? どーして急ぐんだ? 車なら、ゆっくり走っても、まだ遅刻する時間じゃねーだろ?」


 龍生は、さして表情を変えることなく、じっと前を見据みすえていた。

 しかし、腕組みしながら、右手の人差し指で、左腕をトントンとたたいているところを見ると、かなり苛立いらだっているようだ。


「なあ、どーしたんだよ龍生? さっき、国吉さんが学校に向かうと厄介だ、とか何とか言ってた気ぃするけど、何が厄介なん――」

「決まっている! 咲耶だ!」


 言葉尻に被せて返され、結太は再びきょとんとなった。


「『咲耶だ』って……。保科さんがどーかしたのか?」



 龍生の言う『咲耶』とは、保科咲耶ほしなさくや。龍生の恋人であり、婚約者でもある少女だ。

 龍生とクラスは違うが、同学年。イーリスとは、また違ったタイプの美少女だった。

 幼い頃に数回だけ、共に遊んだことがあったそうなのだが、咲耶は、つい最近まで忘れていた。


 龍生の方は、彼女のことをずっと覚えていて、密かに想い続けていたらしい。

 結太の恋の応援をするフリ(いや。実際、協力してくれていたところもあるが)をして咲耶に近付き、これまた結太の知らぬところで、告白していた。


 その後、二人の間には、あれこれあったそうなのだが……それらも、結太の知らぬところでいつの間にか解決させ、この初夏に、晴れて恋人同士になったのだ。



 その咲耶が、どうしたと言うのだろう?


 首をかしげる結太に対して言っているのか、ただのひとり言なのか、どちらかはわからない。

 龍生は前を向いたまま、


「国吉……。だ。俺以外の男に、興味など少しも示さなかった咲耶ですら、は、うっとりした様子だった。……危険だ。早く行って、咲耶があの男と出くわすのを、なんとしても阻止そししなければ……」


 などと言い、しきりに人差し指で、腕をトントンしていた。



(……あー……。そー言や、国吉さんに初めて会った時……)



 龍生のつぶやきを聞き、結太は思い出した。

 咲耶は、国吉の声を耳にしたとたん、


『金さん!――金さんだ!!』


 と嬉しそうな声を上げ、国吉に近付いて行ったかと思うと、


『なあ、頼む! 〝これにて一件落着いっけんらくちゃく〟って、言ってみてくれないか!?』


 彼の服をギュッとつかむようにして、おねだり――いや、お願いしていた。(咲耶が主張するところによると、彼女の大好きな時代劇役者の声に、国吉の声が、とてもよく似ているのだそうだ)


 興奮した咲耶に迫られ、国吉は唖然あぜんとした様子だったが、すぐに龍生がやって来て、彼の服から、咲耶の手を強引に引きはがした。


 龍生の妨害ぼうがいにより、咲耶のお願いは、叶えられずに終わったわけだが――。


 咲耶のことだ。再び国吉を見掛けたら、即座そくざに近付いて行って、前と同じお願いをすることだろう。


 結太にしてみれば、『そんなの、べつにどーってことねーんじゃねーの?』『声にうっとりするくらい、許してやりゃいーじゃん』という感じなのだが。

 龍生にとっては、彼女が自分以外の男と、ほんの少しの間一緒にいることですら、耐えがたいことなのだそうだ。



 咲耶と付き合い始める前の龍生は、特定の人や物に、執着しゅうちゃくするタイプの人間ではなかった、はずなのだが……。


 どうやら、彼にとって咲耶だけは、例外のようなのだった。



(普段は、一切感情を乱れさせねー龍生が、保科さんが関係することとなると、『イライラしてんなー』とか、『ムカムカしてんなー』とか、すーぐわかっちまうよーな態度とか仕草とか、し始めんだよなー……。まったく。龍生をここまで変えちまうなんて、つくづくスゲー人だよな、保科さんって)



 苦笑しつつ、結太は咲耶の顔を思い浮かべた。

 すると同時に、ある少女の顔までもが浮かんで来てしまい……。


 とたんに結太は、鬱々うつうつとし始めた。



 鬱々の原因は、ここ数日の、結太の悩みにある。

 結太の悩み、それは――……。


 イーリスが転校して来た日。

 彼女の家で、引っ越しの手伝いをしようとした時に起こった、ある出来事。


 そのことが原因で、結太の想い人である伊吹桃花いぶきももかに、ずっとけられている――ということだった。

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