ウミガメの道

@inugamiden

ウミガメの道

 国道42号線が、陽炎かげろうをたたえている。

 てらうことなく、夏の刻印を、ありありと刻んでゆく、アスファルトの日向ひなた。そんな車道を越えて、私は、防潮堤ぼうちょうていの階段をのぼる。タイヤの乾いてひびく音が、潮騒しおさいへと、変わってゆく。防潮堤に含まれている歩道が、一段高く、私に、海の景色を見せてくれる。せてゆく看板と、錆色さびいろの柱、人影もなくつづく白と黒の冷熱の境界線を越えて、ふとあらわれる海の姿が、私の心をしたおしてしまう。そのゆらめくコバルト色は全く、不純物なく生成された、神の色だった。

 永久をよそおう、本質の失われたプラスチックの青を、私は恨んだ。

 快晴のエッセンスを溶かしこんだような、太平洋の青が、なぎさと絡んで、白色のリボンを結んでゆく。テトラポットが、遠くの浜の上で、つみかさなって、波の破片でまみれている。

 この七里御浜しちりみはまを、私は幼少のころ、訪れたことがある。そのかすかな記憶のつてが、私の童心どうしんを以て、私を駅へ、かりだしたのだった。

 そのころの母の姿は、夜と溶けあう水平線を思わせるかすかな記憶のなかで、不知火しらぬいのごとく、やさしくゆれている。その白く澄んだ肌の、やわらかな残像が、私の手をひいて、私を浜へ連れてゆく。

 私は、階段をくだって、日本最長とされる砂礫海岸されきかいがんへ、足をふみいれてゆく。

 高らかな雲のみねの、まぶしくそそぐ白の反射が、浜の石のひとつひとつを灼く。どれひとつ、波の形をえがくことなく、ただ、海の形をえがいている。この浜が、人々から長く愛される理由のひとつが、この無数の石だろう。私は、その石をみながら、母の肩を想いえがく。骨をとらえながら、清らかな肉感が花をひらく、あのうぶな体の線が丁度、石の形と似ている。この石が、冷たい肉感を以て、あたたかな母なる海を、とらえている。渚へ近づくほど、石が大きくなる。

 神と仏を区別なくたたえまつる熊野信仰くまのしんこうの古道のひとつがここ、七里御浜のいったんを、通過している。それは、信心の海だった。

 私は、見えざる母の手で、みちびかれるまま、渚の前へゆき、ふと、立ちどまった。浜の石が、山と谷をつくりながらとうとう、いっぽんの道をえがいてゆく。私は、それが、ウミガメの産卵の道であることを悟った。夜――、そう、私の母の記憶と同じく、かすかな水平線のかなたから、一頭のウミガメが、この浜を這って、卵を産みおとしにきたのだった。まるで、あの信心の海からあらわれる、熊野の古道だった。私は、そのウミガメの、生命の軌跡きせきをながめながら、私の知ることのない、母の一生と重ねた。私は、母という、生命の信心から、生まれてきたのだった。私は、ウミガメの涙を思った。

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