温情

卯月

序章:二度目の北海道

プロローグ 再訪

 二〇二六年二月。


 おおよそ五年と半年ぶりに訪れた北の大地は、前回とはまったく別の世界のようだった。前に来たときと同じ場所に立っているはずなのに、目に映る景色がまるで違う。


 足元に広がる真っ白な雪に午後の太陽光が反射して、目の奥に軽い痛みを感じる程まぶしい。よく冷えて引き締まった空気には、思わず背筋が伸びる。

 長時間の移動で凝り固まった体をほぐそうと、腕を伸ばし大きく息を吸うと鼻がツーンと痛み、じんわりと涙が浮かんだ。さらに、喉に何かを詰まらせたわけでもないのに、なぜかむせてしまう。


 僕の体は今、二十六年間の人生で経験したことのない反応を示している。これが北国の冬か、と感動しながら目尻にたまった涙を手袋で拭い歩き出す。

 二月。

 一番寒いと言われるこの時期に、僕は北海道のほぼ真ん中に位置する旭川市にやって来た。東京の自宅を出発したのは昨日の十五時頃だから、約二十四時間にも及ぶ長旅だ。

 さすがに体がバキバキなので、とりあえずホテルのベッドで大の字になりたい。


 ホテルは、五年前と同じところを予約した。いや、ホテルだけではない。飛行機を利用すれば四時間程で移動できたはずのところをあえて電車、船、バス、再び電車と乗り継いできたのも前回と同じだ。

 違うのは、旅行の時期が真夏から真冬に変わったことと、二人旅から一人旅になったこと。

 前回一緒に旅をした祖父は、


 僕の祖父、奈良岡寿ならおか ひさしは老衰により去年の年末に他界した。

 八十七歳だった。


 大きな病気を患うことはなかった。徐々に食事量が減り、口数が減り、寝ている時間が長くなり、やがて一人では起き上がれなくなった。

 以前、自宅で転倒して足の骨にひびが入ったことをきっかけに入院した病院で、子どもや孫たちに囲まれて最期を迎えた。

 苦しむことなく、穏やかに息を引き取った祖父の顔が安心したように見えたことをよく覚えている。


 祖母は七年前に亡くなっている。

 祖父よりも七つ歳下の祖母は、七十四歳でこの世を去った。がんだった。

 女性の平均寿命が八十七歳を超えた現代で、七十四歳の祖母の死は早すぎといえるだろう。


 僕から見た祖父母はとても温厚で、いつでも優しかった。

 二人とも穏やかな性格だからか、けんかをしているところなんて見たことがなかったし、互いに相手を思いやっている様子が伝わってきた。

 きっと、世間一般の憧れの老夫婦像ってものに限りなく近い二人だったんじゃないだろうか。

 誰の目にもおしどり夫婦として映っていたからか、通夜の参列者たちは皆、天国で二人がようやく再会できる、と安堵した様子だったし、そう信じることで祖父の死を受け入れ、温かく送り出そうとしていたんだと思う。だから、祖父の葬儀は祖母のときよりも和やかな雰囲気だった。


 祖父の四十九日法要を終えた僕は、雪解けを待たずに北海道へと向かった。

 二月の海はなかなかに荒れた。どんよりとした空と荒波を見ていると不安が募る一方だった。

 しかし、冬場の船旅に慣れている様子の乗客たちは揃って落ち着いていたし、僕の不安とは裏腹に、船は予定時刻通りに目的地の苫小牧港に到着したってことは、きっと大した荒れではなかったのだろう。


 十七時四十五分に大洗港を出発した船は、翌日の十一時三〇分に苫小牧港に到着した。

 船から降りた僕はバスに乗り換え、約二時間かけて札幌駅を目指す。窓の外を見ると吹雪のように見えるのに、バスはお構いなしに高速道路を走るもんだから気が気じゃなかった。

 不安のあまりスマホでこっそり「北海道 雪道 高速道路」と検索してしまった。

 どうやら、大雪や吹雪のときには通行止めになるようなので、やはりこれも現地の人からしたら大した雪ではなかったのだろう。定刻通り、札幌駅に到着した。


 札幌からは電車で旭川へ向かった。

 苫小牧から札幌までは降り続いていた雪も、岩見沢を過ぎたあたりから止み、深川に入る頃にはすっかり晴天になっていた。

 天気が落ち着き、目的地に近付いたことでようやく僕の不安も晴れたのだった。


 本州在住の人間が、初めての北海道旅行でめちゃくちゃなプランを立てるという話はそう珍しくない。

 朝食は釧路の和商市場で好きな刺身を自分で選ぶ勝手丼を食べて、午前中は旭川にある旭山動物園でホッキョクグマやアザラシなどの行動展示を見る。午後は、札幌ススキノで買い物や食事を楽しみ、夜は函館で百万ドルの夜景を見る。

 そんな北海道大満喫プランは夢物語。プライベートジェットでもあれば話は別だが、公共交通機関で移動するのであれば、この旅行プランは絶対に実現しない。


 まず釧路から旭川へ電車で移動するには六時間前後かかる。

 最短ルートでスムーズに乗り換えできたとしても、朝食を済ませてから移動するのでは、到着は昼過ぎになるだろう。ちなみに、旭川から札幌までは電車で約一時間半、札幌から函館までは三時間半以上かかるらしい。

 かくいう僕も、無謀な旅行プランを立てる側の人間だったため、五年前、祖父から北海道がいかに広大な土地かを聞かされてひどく驚いた。


 僕が今いる旭川は、札幌に次いで北海道で二番目に人口の多い中核市だ。

 川が多い地域ではあるものの、上流に位置するため大雨による河川氾濫の心配が少ないらしい。周囲を山に囲まれた盆地のおかげか、台風の影響は受けにくい。さらに、これまでに大きな地震が起きた回数は極めて少ないそうだ。

 おまけに、北海道の中心部に位置しているため、どこへ出掛けるにも便利な立地ときた。

 人口もそこそこいるから、さぞ発展した地域なのだろうと思っていた。


 しかし、はじめてこの地に足を踏み入れた僕の感想は「なんだか、寂しい街だな」というものだった。当時のその印象は、季節が変わったことで今回より強くなったように感じる。


 天井が高く開放感のある旭川駅は、木材をふんだんに使用した暖かみの感じられるデザインだけれど、一歩外に出ると本当に北海道で二番目の人口数を誇る街なのだろうか、と疑いたくなるほど通行人の数はまばらだ。

 駅に直結する大型ショッピングモールにはそれなりに人はいるが、ほかにこれといった施設はないらしい。

 五年以上の月日が流れても、この街の様子はあまり変わっていなかった。


 僕は駅のすぐ近くのホテルにチェックインを済ませ、ひとまずベッドに仰向けで寝ころんだ。

 手足を大きく広げて、んんーっ!! と声を漏らしながら固まった体の可動域を広げる。血液が手足の先まで流れていくような気がした。


 少しほぐれた体がベッドに沈み込む前に僕は立ち上がり、バッグから愛用のカメラを取り出す。ライカD-LUX7は三年前、十八万円程で購入した。

 当時まだ見習いで薄給だった僕にとってはかなり大きな出費だったけれど、休日もカメラに触れていたかったし、少しでも早く上達したいとの思いから自己投資と思って購入に踏み切った。

 三年間使い込んだ愛機は、今、僕の手によく馴染んでいる。


 僕はカメラ片手にホテルの近くを歩いてみることにした。

 旭川の中心部には、平和通買物公園と呼ばれる歩行者専用道路がある。駅から北に一キロメートル程真っすぐ伸びるその道は、日本で一番最初の恒久的な歩行者専用道路らしい。

 道幅は二〇メートル程あり、竹下通りよりもはるかに広い。

 しかし、人の姿はまばらで、陽が落ちてきたせいもありこの街からはますます寂しさを強く感じてしまう。

 

 僕は二ブロック程歩いてみる。ところどころ、ロードヒーティングの熱によりコンクリートが出ている安全な道があるが、僕はあえて雪道の上を進む。山形出身の師匠に薦めてもらったスノーブーツを心から信頼して、というかこのスノーブーツだけを頼りに、小さな歩幅で、少し背中を丸めて不格好に、おっかなびっくり、ゆっくりと進む。

 ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。

 靴底のゴムの溝に雪が詰まっていく新鮮な感覚が足の裏から伝わってくる。このギシギシ感、どこかで触れたことがある気がするんだけれど、どうも思い出せない。


 寒さに耐えながら二〇分程歩き回り、その一部に雪を被った野外彫刻や、イルミネーションが点灯しはじめた木々、雪が降る様子などを何枚か撮影した。

 仕事としてではない。これは個人的な旅の思い出としての撮影だ。

 それでも、東京に戻ったら師匠の柳さんに見てもらうつもりでいるので、相応の気合を入れてシャッターを切る。


 僕は柳さんが個人で立ち上げた柳写真館で新米カメラマンとして働いている。柳さんと僕、それから予約の受付やスケジュール調整を担当している柳さんの奥さんの三人だけの小さな写真館だけれど、最近になって少しずつ僕にも予約が入るようになり、充実した日々を送っている。


 柳さんと出会ったのは、大学三年の二月だった。カメラの道を志した僕はアシスタントを募集している事務所を探していたときに、柳写真館のホームページへと行きついた。

 ホームページには求人情報は掲載されていなかったものの、写真を見た瞬間、この人の元で学びたい! と思いすぐにメールを送った。

 個人事務所だしアシスタントは募集していない、と言われたが、それでもどうしても諦められず、お金はいらないから見学させてほしい、と無理を言った。

 今思えば、相当常識はずれな行動をしている自分自身にあきれるが、柳さんは数日返答を保留にした後なぜか僕を受け入れてくれた。


 大学卒業を目前に控えても就職先が決まっていなかった僕を見かねたのか、柳さんは、十ヵ月ほど見学の日々を過ごした僕に「あてがないなら、ウチに来るかい?」と声をかけてくれた。思わず涙があふれた。

 僕は迷うことなく「よろしくお願いします!」と頭を下げた。

 それから四年、柳写真館のホームページのスタッフ欄にようやくカメラマンとして僕の名前が掲載された。


 そのことを祖父に伝えると、自分のことのように喜んでくれた。

 しかし、胸を張って見せられる写真が撮れる前に祖父は亡くなってしまった。

 葬儀や法要で休ませてもらう回数が増えたにもかかわらず、僕は図々しくも四十九日を終えてすぐ、柳さんに五日間の休暇を申請した。

 理由は、


 休暇の申請理由として不充分であることは百も承知だ。当然もっと詳しく聞かれると思っていたけれど、柳さんは何も聞かずにあっさりと休暇をくれた。

 僕が深く頭を下げると柳さんは僕の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃとなでた。

 五十代にしては程よく鍛えられた恰幅の良い肉体から伸びるその手は力強くて、僕は安心感を覚えた。


その日の夜から早速僕は祖父の故郷・北海道へ向かう準備を進め、数時間前ようやく目的地である旭川に到着したわけだ。


 僕は明日、この街に住む祖父の初恋の女性の元を訪ねる。祖父が彼女に遺したものを渡すために。

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