第6話 相変わらず
いらっしゃい、ときれいな女性が彼を迎えた。
「驚いたわ、まさかあなたがくるなんて」
「すみません」
挨拶のあと、トールは謝った。
「僕も、マスターがきちんとお話をしていないとは思わなくて」
「あら」
サラ・サンダースは片眉を上げた。
「フィルの指示なの?」
「はい、もちろん」
「フィル」というのは〈クレイフィザ〉店主の名前ではないが、サラはそう呼んでいるとのことだ。
「……何だ」
彼女はがっかりしたように言った。
「てっきりトール君が、あんな店主にはもうつき合っていられないからと、私に雇ってくれと言いにきたのかと思ったのに」
「まさか」
これはサラの冗談だろう、とトールは笑ったが、サラは真面目な顔をしていた。
「ねえ、フィルが嫌になったらいつでもきていいのよ。あなたみたいな子なら、大歓迎だから」
「お言葉は嬉しいですが、それは有り得ませんでしょう」
「あら。どうして?」
「どうしてって……」
サラは知っているはずだ。トールが店主をマスターと呼ぶのには、「店の主人」以外の意味があること。
「あなたの自由度の高さについては、私、興味深いと言ったはずよ。あなたはもしかしたら……」
彼女はそこで口をつぐんだ。
「あの、サラ?」
「何でもないわ。ごめんなさい。私が言うことではなかった」
その言い方はトールをうなずかせるどころか、何だろうかとますます不思議に思わせただけであったが、言わないというものを無理に言わせることなどできない。
もとより、いまの言葉は「これ以上、尋ねるな」でもある。彼は「そうですか」と言って黙るしかなかった。
「それで? フィルはどうしてあなたをここへ?」
「はい、これのためです」
本題に入ったことにほっとして、トールは手持ちの鞄から記録媒体を取り出した。
「サラに頼まれたプログラムができたからと。データ送信は不安なので、解除キーのみを送ると言っていました」
「……あら」
彼女はぱちぱちと目をしばたたいた。
「もう、作っちゃったの? と、言うか、作っちゃったの」
「はい?」
「私、意見を求めただけだったんだけど。相変わらず仕事が早いって言うか、気が早いって言うか」
苦笑いを浮かべて、彼のマスターの後輩は言った。
「そうだったんですか」
トールは納得した。
「だから、こういう伝言なんですね。『そのまま使っても、参考にするだけでも、一向にかまわない。連絡も、製作者クレジットも必要なし』」
「欲がないわねえ、
彼女は「ロイド・クリエイター」の意味にとらわれず、「創り出す者」全般としてその言葉を使った。
「有難う。助かるわ」
サラは優しい笑みを浮かべた。
「一緒にティータイムでも……と言いたいところだけれど、あなた用の飲み物を用意させる訳にはいかないわね」
「お気遣いなく」
トールは片手を上げた。
「僕の用事は、サラにそれを手渡すことだけですから。ああ、それから」
これも、と彼はショコラティエの袋を差し出した。サラは目を丸くして、礼を言った。
「フィルの指示?」
「特別な指示はありませんでしたが、マスターの意図に適うことだと思っています」
真面目に彼が言えば、彼女はぷっと吹き出した。
「……あの?」
「ああ、最高! トール、あなた本当に、私のところにこない?」
「……えっと」
「ごめんごめん、冗談よ。ううん、本気だけど。あなたを奪ったりしたらフィルに一生、恨まれちゃう」
サラは笑いを納めようとしたが、巧くいかなかったと見えて、口元を押さえながら肩を震わせていた。「リンツロイド」は、何がそんなに可笑しいのかさっぱり判らなかった。
「でも」
咳払いをして懸命に笑いやめたサラは、それから不意に、真剣な顔になった。
「命令なら仕方ないけれど、ひとり歩きには気をつけなさい。近頃はおかしな事件が増えているから」
「そう言えば以前、ミスタ・ギャラガーのところのシャロンも似たようなことを」
思い出してトールは少し笑った。
「暴力への警戒心は女の方が強いのよね。性差で言うのは懐古趣味が酷いけれど」
〈シャロン〉まで「女性」扱いしてサラは肩をすくめた。一瞬トールは、サラが知らないのかなと思ったけれど、ギャラガーとサラは〈トール〉の話をしている。となればギャラガーは〈シャロン〉の話もしていておかしくない。
判っていて言うのだな、とトールは判定した。もっとも、確信がなければこちらからほのめかすことはするまい。
「男どもはちょっと無頓着じゃない? 鷹揚であれば格好いいってものでもないのに」
顔をしかめて彼女は肩をすくめた。ギャラガーも忠告してくれたことを公平に話すと、「じゃあフィルね」と個人攻撃になった。
「まだ時間はある? 大丈夫なら、もう少し話でもしない?」
「はい」
大丈夫です、と彼は答えた。
店主からは、特に指示がない。渡したらすぐに戻れとも何時までに戻れとも。ならばプライオリティ2から3クラス――「マスターの友人」はだいたいここに分類された――の人物の要請、希望には従うものだ。
「どうぞ、座って」
「いえ」
だがこの要請または提案には、トールは苦笑して首を振った。
「店頭でもデイジーに言ったんですが、僕がシートを使う必要はないかと」
「あら」
サラはくすくす笑った。
「そんなことないわよ。ロイドでもあるまいし」
「はあ」
判っているはずなのに、こういう言い方をする。それは彼が「ロイドのふりをする」と機嫌を損ねる彼のマスターに似ているような、似て非なるような。
「デイジーに会ったのね」
それからサラは尋ねた。
「はい。……あの、少し驚きましたけど」
「何……ああ、まだ売れてないことに」
トールの言いたいことを汲み取って、サラは笑った。
「案内人の方は、サラがデイジーを気に入るあまり販売をやめてしまったのだと」
「あら。そういうことを言うのは、ホークね。内輪だけの冗談にしておきなさいと言ったのに」
サラは少し顔をしかめた。
「デイジーが僕に気を許す様子を見せましたから、それくらい言ってもいいと判断なさったんじゃないですか」
ホーク氏が叱られては気の毒だ、とトールはフォローした。
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